クラナドのリード・シンガーでハーパーの Maire Ni Bhraonain または Moya Brennan がドニゴールはグイドーアの自宅で安らかに亡くなった、と家族から発表があったそうです。享年73歳。死因は未公表。遺族は夫君 Tim Jarvis と男女一人ずつの子ども、それに兄弟でクラナドのメンバーでもあった Ciaran と Pol。モイアは姉妹兄弟の最年長でした。

 録音としては2024年の Cormac De Barra との共作《Voices & Harps IV: A Tribute To Mary O’Hara》が最後になりました。ハーパーであるコーマック・デ・バラとは2010年からアルバムをリリースしていて、これは4作目。二人だけではなく、バンド形式で伝統歌やオリジナルを唄い、演奏しています。どれもなかなか良いアルバムです。音源は Bandcamp にあります。




 クラナドについては我々古くからのファンと、当人たちの間にかなり認識の相違があります。バンド自体は1982年の 〈Harry's Game のテーマ〉によるブレイク以前のアルバムは習作としてまともに評価してくれるな、という立場ですが、ほぼリアルタイムで追いかけてきたあたしのようなリスナーは、ブレイク以前こそがクラナドの真骨頂であり、音楽的に最も豊かな時期と見ています。具体的にはセカンドとその次の《Dulaman》を頂点とし、ファースト、《In Concert》と《Magical Ring》の2枚のライヴがこれに次ぐという評価です。

 初期のクラナドはブリテンのペンタングルのほとんど唯一のフォロワーと言っていいと思います。それも表面的な形式よりも、ペンタングルの音楽の方法論、伝統音楽とジャズの融合を採用し、めざした点がユニークでした。当時、他のほぼ全てのバンドがロックのフォーマットとスピリットで伝統音楽を解釈しようとした中で、この二つの存在は際立っています。そしてどちらも時代の制約を超えて、今聴いても実に新鮮な音楽を奏でています。

 モイアは1996年8月に、ドーナル・ラニィ・バンドの一員として初来日し、同じ年の10月、クラナドとして唯一の来日公演を行いました。その時のライヴのレヴュー記事を以下に転記して、追悼に更えたいと思います。

 キャリアの長いバンドではあるが,ぼくにとってクラナドはどうも捕えどころがない。いわゆる〈ブレイク〉以後のアルバムから聞えてくる音楽は,アイルランドの色も匂いもどんどん抜けてゆく。ことさらにドニゴール出身を強調されると,ポーズにしか聞えない。それでもライヴに出かけたのは,8月にドーナル・ラニィ・バンドの一員として生に接したモイア・ブレナンのシンガーとしてのすばらしさ,来日メンバーの中にヴィニー・キルダフの名を見つけたこと,そして,やはりアイルランド中毒のせいだ。

 結論から言えば,クラナドは「バンド」ではなく,4つの声を持つリード・シンガーなのだろう。様々な装飾に埋もれがちのスタジオ録音だけでは,あのコーラスのすばらしさはわからなかった。こうして生に接するとやはり唯一無比。その意味で,アンプラグドな組立ての演奏をもっと聴きたい。

 ライヴの楽しみであるハプニングとして,メル・コリンズをお目当てにしていた人も多いだろうし,その期待は裏切られなかったと思うが,そういう人たちもヴィニー・キルダフのティン・ホィッスルの妙技には度肝を抜かれたのではないか。期待していったぼくにしても,生半可な期待などどこかにすっ飛んだ。続いて登場して前半を締めくくった,これも見事としか言い様のないモイアの無伴奏ゲーリック歌唱よりも拍手が大きく長かった。

 今回のハイライトはこの二つのアクトである。後半のほうがバンド全体のノリも良くなっていたし,アンコールに向けて盛りあがってはいた。ただ,盛りあがるところはクラナド本体からは離れているようにみえる。音楽的にもアイルランドというよりはジャズや主流ロックの文脈なのだ。

 確かに最後にまたフロントに戻って決める。アイルランドから出かけて,外の世界で遊んだ後,またアイルランドへもどる。それがクラナドのスタイルであり,一面あの国の人びとの本質をついているのは確かだ。ただかなうならば,外での遊びにアイルランドの色や香りをもう少し溶けこませて欲しい。それが中毒者の願いである。

 蛇足を加えると、この時のクラナドの「バック・バンド」はサックスのメル・コリンズとホィッスルの名手 Vinnie Kilduff を含み、ドラムス、ベースなども揃ったバンドでした。

 もう一つ、2003年にソロ・アルバム《Two Horizons》を出したときのインタヴュー記事も転記しておきます。

 ソロとして4年ぶり、レーヴェルも移籍して心機一転、今回の新譜には様々な新機軸がある。まず何といっても目につくのは名前のスペルの変更だ。

 「"Maire" ではどうしても正しく読んでもらえなかったから。そのうちみんなちゃんと読んでくれるようになると期待したんだけど、コンピュータ時代になってこれがスペルチェックに引っかかってしまうわけ。レコード店では『マリー・ブレナン』にされてしまうのよ」


 プロデューサーはトリ・エイモスやアフロ・ケルト・サウンド・システムとの仕事で知られるロス・カラムですね。

 「レコード会社からの提案だったんだけど、その名前に直感が働いたの。思った通り、かれはお互いを知る時間を作りたいという私の提案を快く受けてくれたわ」


 あなたの家で二人で古い伝承音楽のレコードを聴いたりしたそうですが、どんなものを聞かれたんですか。

 「昔の人、たとえばシェイマス・オ・ヒーニィや、60年代の録音、ショーン・オ・リアダなんかね。オ・リアダはアイルランドの伝承音楽で最重要人物の一人よ。カロランの音楽を復興させたのも彼」


 ゲストにマーティン・カーシィが入っているのに驚きましたが、いつどこで会われたんですか。

 「70年代の初め、アイルランドのフェスティヴァルね。その頃のフェスティヴァルは今とはぜんぜん違って、アーティストは全員期間中ずっといて自由に交流していたのよ。だからみんな知合」


 ナイジェル・イートンやトロイ・ドノクリィもいますね。

 「ナイジェルはロスが一度一緒に仕事をしたの。トロイは今のバンドのメンバーが何度も一緒だった。今回のアルバムではアコーティック楽器の音を重要視したので、いろんな人に来てもらったわ」


 この新譜の背景になっている物語は聖杯探求伝説をベースにしてると思いますが。

 「他の人にもそう言われたけど、聖杯探求伝説そのものは意識していなかったのよ。今までやったことが無いことをしようとして物語のあるアルバムにしたんだけど、物語そのものは私とは関係なく自然にできてしまった感じね。でもそう思っていただいてもかまわないわ。ただ聖杯の『聖』は宗教的なものじゃない。ハープは私にとって古代から受け継いだ、かけがえのない楽器と言うこと」


 空白の4年間に、彼女は自伝 "The Other Side of the Rainbow" (2000) を出している。出版社からの提案だったそうだが、書く以上は何事も隠さずにしようとしたモイアの態度は、特に女性たちから圧倒的な支持を受け、音楽以外の世界も広がった由。クラナドはどうやらその役割を終えたようだが、モイア自身はこのアルバムで新たな方向性をつかみ取った、そうした自信があるのだろう、今共演したい人はとたずねると、こう答えた。

「どんな人でもいいわ。エミネムとでもやってみたいわね(笑)。日本には誰かいないかしら」


 ほんとに、どなたか、いかがですか。

[注]
シェイマス・オ・ヒーニィ(ジョー・ヒーニィ)=1919-84。コネマラ出身の偉大なシャン・ノース・シンガー。
マーティン・カーシィ=1940-。イングランド・フォーク界最高のシンガー/ギタリスト。
ナイジェル・イートン=ペイジ・プラントにも参加したブリテン随一のハーディガーディ奏者。
トロイ・ドノクリィ=アイルランドのバンド、アイオナのメンバーで、イリン・パイプを始めとするマルチ・インストルメンタリスト。

 Irish Times の追悼記事では何人かの人がモイアを The First Lady of Celtic Folk Music と呼んでいました。アイルランドの伝統音楽出身のミュージシャンとして最初にブレイクし、ワールドワイドな人気を持ちつづけた点で確かにそう呼ばれてもおかしくはないでしょう。しかし、あたしにとって音楽家としてのモイアの評価はそれとは別のところにあることも否めません。

 先月のドロレス・ケーンに続く訃報に、いささか落ちこんでいます。そういう時期になった、ということなのでしょう。

 とまれ、モイア・ブレナンがこんにちのアイリッシュ・ミュージックを作った一人であることはまちがいなく、その恩恵を蒙っている身としては冥福を祈るばかりです。合掌。(ゆ)