よしだよしこさんを聴きなさいと言われたのは初夏だった。その人のライヴを企画したから来いという誘いでもあった。〈Black muddy river〉を日本語化してうたっているよ、というのはあたしを誘いだすための殺し文句だった。別途 YouTube の URL も送られてきた。それを聴き、収録されているアルバム《ヨイシラセ》を買って聴いた。同時にライヴへの出席も申込んでいた。
![ヨイシラセ [ よしだよしこ ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/1482/4524505351482.jpg?_ex=128x128)
ヨイシラセ [ よしだよしこ ]
ヨイシラセ [ よしだよしこ ]
場所は誘った友人たちとその一党が月に一度集ってバンドの練習をし、録音もしているスタジオだという。送られてきた住所をスマホのマップに入れて辿ると地下鉄の月島の駅からほど近い。が、地図の示す場所に着いてもそれらしきものはない。狭い路地に住宅が建ちならんでいるだけだ。周囲を回ってみてもやはりそれらしきものは見当らない。しかたがないので一番近そうな路地の入口に腰を下ろし、開場時間まで待つことにした。するとほどなく誘った張本人の片割れが迎えに出てきてくれた。やはり自力で見つけるのはムリとわかっていたのであろう。案内されてみれば、マップの示した個人宅の1階がそのスタジオなのだった。ここの〈亭主〉が実家を隠居所に建てかえたとき、永年の夢をかなえるために造ったものの由。広さにすれば十六畳ぐらいだろうか。25名限定のライヴだ。
欧米ではこういうハウス・コンサートは珍しくない。フォークやルーツ・ミュージックのミュージシャンたちは頻繁にやっている。
よしださんはギターとハーモニカ、マウンテン・ダルシマーと御本人の唄。サポートがつくこともあるそうだが、今回はソロ。ここなら生音でもOKと思われたが、ちゃんとコンソールを通し、声も楽器もPAを通す。見事な音響でバランスもいい。おかげで実に気持ち良く、唄も楽器も聴くことができた。
一時間半ノンストップ。はじめは休憩を入れるかどうか、決めていなかった様子だったが、流れからしてノンストップになったらしい。カヴァーがメインでオリジナルが交じる。ように聞える。カヴァーの方に印象の強い曲が多いからだろうか。カヴァーといっても海外の曲に日本語の詞をつけたものだ。それも訳詞というよりは半分以上オリジナル。まずオープナーの〈シューリルー〉、後半の〈ディポーティー〉〈Black muddy river〉そしてアンコールの〈ベルナデットの唄〉。まったく独自の日本語なのだが、各々の唄がうたっているキモの部分はしっかり押えているのに感嘆する。コーラスでは原詞により近く寄り添う。BMR のコーラス、黒く濁った河のように流れていけ に共感する。生で聴くと共感が深くなる。
あたしは〈ベルナデット〉はもっぱらジェニファ・ウォーンズで聴いていて、あのコーラスには、とりわけ最後の1回にいつも感動して背筋に戦慄が走るのだが、よしださんの日本語のコーラスにも同じ戦慄を味わう。
何でも日本語にしてしまうのには賛成できないが、「ディポーティー」とされてしまうことの痛みと重みが、よしださんがうたうと実感される。
よしださんの唄はフォーク・ソング、民衆歌の基本から揺るがない。弱い人、虐げられた人の声なき声をうたう。本来癒しようもない痛みをうたにくるむことで聴くに耐えられるようにする。聴く者は痛みを一部共有する。それによってすぐに何かが変わるわけではないが、すぐ変わるものはまたすぐ変えられる。めざすのはより深い変化だ。考え方、感じ方そのものの変化だ。
それにしても凄い唄が続く。〈竹田の子守唄〉の原曲。京都の竹田とも九州の竹田とも言われ、さらにうたわれているのが竹田という場所に限られることでもないそうだ。むろん子どもを寝かしつける唄ではない。
マリー・ローランサンの詞に高田渡が曲をつけた〈鎮静剤〉。典型として女をうたっているけれど、ことは女に限られるものでもないだろう。
しかし何といっても衝撃を受けたのは〈クラウディオさんの手〉と〈てっちゃん〉だった。チリからの亡命者であるクラウディオさんと、詩人・桜井哲夫をそれぞれにうたう。
クラウディオさん(あたしはご本人を存じ上げないが、よしださんのうたを聴いた後ではこうとしか呼べない)が故国にいられなくなり、亡命する羽目に追いこまれた事情、その事情の原因となったかれの父親の行為には身がすくむ。同じ立場に立たされたとしたら、あたしはどうするか。
てっちゃんとよしださんが新百合ヶ丘から乗る小田急線はあたしが住むところも通る。優先席を譲られたこともあるし、その時も譲った相手は礼を言う間もなく消えてしまった。ハンセン病患者たちに国は謝罪をした。しかし同様を仕打ちをしながら謝罪は愚か、過ちを認めてもいない人たちは他にもいる。そういうこともよしださんのうたは思い出させる。
よしださんは最初の3曲〈シューリルー〉〈竹田の子守唄原曲〉〈鎮静剤〉を椅子に座り、マウンテン・ダルシマーを弾きながら唄う。弦は指で押える。
4曲目自作の〈3/4あたり〉から立ってギターを弾く。時折りホールダーをつけてハーモニカを吹く。ギターもハーモニカもそれはそれは巧い。どちらもいい音がする。後で伺ったらギターは日本の個人メーカーの製品の由。
生で聴いて初めて気がついたのはよしださんの声のうるみだ。どこか喉にからんでいるように二重に響くのが生で聴くとしっとりしたうるみに聞える。スコットランドのダギー・マクリーンの声に響き方がそっくりだ。
この声と上手なギターによってていねいに唄われるうたはヘヴィで厳しい詞の内容がするりと入ってくる。ヘヴィで厳しいことに変わりはないが、受入れること、共感することができるようになる。心と体のどこかに跡を残す。それをなでると痛がゆく、気持ちよくなくもない、気がつくとなでてしまうような跡。いずれそれについて自分にも何かできるチャンスが来るかもしれない。その時に備えておくために、そこを時折りなでることになるだろう。そこをなでるためにもよしださんの唄を聴くことになるだろう。ヘヴィで厳しく重いことではあるけれど、それをうたうよしださんのうたを聴くのは快感なのだ。
11月リリースに向けて録音している、とその時おっしゃっていた新作は先頃リリースされた。それを聴きながら、またこの場所で、よしださんの唄を聴きたいものだと思う。(ゆ)
![よしだよしこ / 願います [CD]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/mifsoft/cabinet/647/ls-2025.jpg?_ex=128x128)
よしだよしこ / 願います [CD]
よしだよしこ / 願います [CD]
