いま発売中の『ラティーナ』にチーフテンズ関連の記事を書きました。記事の中でも断っていますが、わが国では一般に「チーフタンズ」の表記が通っていて、国内盤もコンサート・ツアーの表記もそちらなんですが、ぼくはもう20年来「チーフテンズ」と言い習わしてきたのと、例えばパディ・モローニの発音はどう聞いても「チーフテンズ」としか聞こえないので、本誌でもこのブログでも「チーフテンズ」と書いています。

 記事を書くために久しぶりに一通り聞き直してみましたが、やはり1970年代のほとんどゲストを入れない、素っ裸のチーフテンズの演奏にはほれぼれしました。アイリッシュ・ミュージック全体のプロモーションも視野に入れた戦略としては、豪華ゲストとの共演による市場拡大は正解だったと思いますが、それがバンドとしてのチーフテンズの成熟に寄与したかとなると、やはり首をかしげざるをえません。1980年代後半のバンドが壁にぶつかっていて、これ以上良くはならないとパディは判断した。というのは、やはり下司の勘ぐりでしょう。

 《アイリッシュ・ハートビート》《アナザー・カントリー》《イン・チャイナ》《サンティアーゴ》等々の名作を生んだことには感謝こそすれ、何の文句もないんですけれど、あのすばらしい1977年の《ライヴ!》のバンドがそのまま、かれらだけで、あくまでもアイリッシュ・ミュージックを真正直に追求していったとすれば、どんな音楽が生まれていたか、やはり聞いてみたかった。ひょっとするとその過程でバンドは分解していたかもしれません。しかしそのかわり、今のような孤高の状態ではなく、チーフテンズ・チルドレンが世界中に生まれていたのではないか、とも思うのです。

 その辺のことは、パディももちろん感づいていて、だからこそ来日記念盤として出る《エッセンシャル》の2枚組を、チーフテンズだけの1枚と共演ばかり集めた1枚という構成にしたのでしょう。

 チーフテンズを前にすると、そういう相反する想いが同時にわいてきて、千々に心が乱れると言うと大げさですが、どうも冷静に聞くことが難しい。アルタンやダーヴィッシュや、あるいは再編プランクシティを聞くように、音楽にひたすら心をゆだねるようにいかないのであります。そうするとどうしても、若さとみずみずしさがみなぎっていた頃の録音に手が伸びてしまいます。

 90年代以降、マットやショーンもソロを出さなくなってしまうのも寂しい。マットは先日、The West Coast String Quartet のセカンドにゲスト参加していましたが、最近のチーフテンズの録音ではあまり聞いたことのない、生き生きとした演奏が印象的でした。単に環境が新しい、ふだんとは違うメンバーとやっているためだけではないような気がしました。

 とまれ、6月の公演では、その戦略の行着いたひとつの結末をしっかり見ておこうと思っています。(ゆ)