届いたばかりの『CDジャーナル』8月号をぱらぱらやっていたら、バッハ・コレギウム・ジャパンを率いる鈴木雅明という指揮者兼鍵盤奏者が面白いことを言っている。


バッハの教会カンタータを外国人がやるには翻訳が必要だ。ただ、翻訳を通してしかわからないことがある、外国人が一所懸命翻訳を通して学び、演奏してみる、というプロセスは実はドイツ人にはできない。


 言われてみれば同じことは何度か聞き、その度に納得してきたものの、こういう一見翻訳とは縁遠いように見える人から言われると、妙に心に沁みる。

 この人たちの演奏には、スピード感やビート感が強い、という感想があるらしい。別段速くやろうとしているのではなく、やっていて気持ちがよい速度でやろうとするとそうなる、というのは実にまっとう。


古楽も、研究の成果を発表するのではなく、日々の生活の糧になるような形で「楽しめる」ようにやりたい



 クラシックでもこういうことをいう人がいるのは意外でもあり、楽しくもなる。

 この人は自分でもソロでオルガンやチェンバロを弾くそうで、平均律も出している、となるとちょっと聞いてみたくなった。バッハの鍵盤に関してはグールドしか聞く気になれなかったが、この方面も確実に変化しているはずではある。をを、大好きなフランス組曲も出してるぞ。ゴールドベルクよりはこっちから聞いてみよう。(ゆ)