「ブラック・ホーク」の時代は過去のものになった。
この本『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』は、
そのことのひとつの証左でもある。
そうだ、自分の中にくすぶっていたあの時代への郷愁もあぶり出された。


 この中で、皆さん、口をそろえて言っているが、
「ブラック・ホーク」に通ったことと、
松平維秋の文業に接したことは、
ぼくにとっても決定的な体験だった。
しかし、今やはりあれは過去のことに属する。
「ブラック・ホーク」で聞いていた音楽そのものは、
今でも新鮮に聞き返すことができるが、
松平さんが「ブラック・ホーク」を去ってからも、
音楽自体は先へ進んでいる。

 松平さんが「ブラック・ホーク」を去った時に起きていたことは、
ロックのポップ化だけでは無かった。
これも、船津さんが書いているが、
次の時代への胎動も確実に始まっていたのだ。

 「99選」に含まれるアルバムは
いずれも時代を超えた価値を持ってはいる。
だが、
ディック・ゴーハンにしても、
ヴィン・ガーバットにしても、
ジューン・テイバーにしても、
あるいは
フェアポート・コンヴェンション
ペンタングル
アルビオンズのメンバーたちにしても、
みな、その後に巨大な仕事をしてきている。
死んでしまった人びとは別としても、
生きている連中はいずれもバリバリ現役だ。
オールダム・ティンカーズだって、
活動を続けている。
例外はアン・ブリッグスぐらいだ。

 その事情はトラッドだけでなく、
他の音楽にしても同じはずだ。
「99選」のリストを全部そろえるよりも、
あそこに名前が挙がった人びとの
「その後」や「今」を追いかける方が、
収穫は遙かに大きいはずだ。

 また、
すぐれたレコードはあの99枚に限られるわけではもちろんない。
同じくらいすばらしい、
あるいはもっとすばらしいものだって、
いくらでもある。
はやい話、ここに選ばれた人びとの後を追って、
たくさんの人びとがあらわれ出ている。
かれらに負けない、
ときにはかれらもかなわない
音楽をうみ出してきている。

 加えて、
良い音楽がすべて「ブラック・ホーク」にそろっていたわけでも無い。
初期の頃はいざ知らず、
「ブラック・ホーク」がとりあげたのは英語圏白人の音楽で、
それもブルース色は極力排除されていた。
テクノやプログレ、ハード・ロックやメタル系は別としても、
アメリカン・ミュージックの二つの高峰、
フランク・ザッパとグレイトフル・デッドも、
ほぼ無視されていた。
カントリーとブルーグラスの本流も、
オールド・タイムのコアの部分も、
直接の担い手よりは、
そうした音楽を消化して独自の音楽を作った人びとを通じての、
間接的な関わり方だった。

 つまりは、
「ブラック・ホーク」で聞けた音楽のタイプは、
ごくせまい範囲のものだったのだ。
むろん、それは意図的な制限であり、
あえて守備範囲を絞ることで、
その奥の広大な世界へ分けいるためだ。
そうやって客を選別し、固定客を増やす。
他のタイプを聴きたければ、どうぞ、他の店に行ってくれ。
ここでは、これしかかけないよ。

 99枚のレコードをそろえて聴くことも、
ひとつのアプローチではあるだろう。
しかし、そこで満足してしまっては、
この99枚が提示された意図を裏切ることになる。
ほんとうにやるべきことはそこから始まるからだ。
99枚を聴くことで、
音楽への、そしてその背後の文化への、
感性を鍛えること。
そして、その感性を使いこなして、
自分なりの何かをつかみとってゆくこと。
松平さんが、言い続け、書き続けたのは、
結局そのことの大切さであり、
言い続け、書き続けることで、
そうした営為に向かって、
リスナーを、読者を励ましていたのではなかったか。
叱咤激励と書きたいところだが、
松平さんに「叱咤」は似合わない。

 この本に登場する、その後独自の道をあるいてきた人びとも皆、
「ブラック・ホーク」でおのれの感性を磨き、
みがいた感性で自らの音楽をつかみとってきている。

 つまるところ、
かの人はこの人生をどう生きるかを、
自分の手でつかみとることの大切さを
言い続け、書き続けたのではなかったか。

 これこそ、「文化的雪かき仕事」でなくてなんだろうか。

 「99選」は松平さんの意図ではない。
彼が店にあるかぎりはありえない企画だった。
これは松平さんが去った後、
殘った人びと、後から来た人びとがその仕事を継承するための、
試みのひとつだった。

 ならば、自分なりの「99選」を作ることはどうだろう。
他人に見せるための99枚のリストを作ること。
その場限りの思いつきではなく、見るものを納得させるリスト。
見た人に、そのリストを持って(中古)レコード屋を回らせるだけの力のあるリスト。
これとはまったく重複せず、
しかし、同じくらい強烈な価値観を、感性を、哲学を主張するリスト。
そういうリストを、おまえは作ることができるか。

 この99枚のリストは、じつは読者に向かって、リスナーに向かって
靜かにそう問いかけている。(ゆ)