2曲目だった。
高瀬さんが自らメロディーになりきってうたう。
「わたしがうたわなければ、誰にも聞かれない」メロディーが、
まさにいのちを吹きこまれ、放たれてゆく。
この3人で「うたう」ことの意味が、
胸にうちこまれた瞬間だった。
これを聞くために、今日、ぼくはここに来たのだ。
このうたをうたうために、今日、この3人はここにいる。
このコンサートを企画し、ささえている人びとのすべての努力は
ここに実を結んでいる。
〈スリー・メロディーズ〉のうちの2曲で、
まだ未完成とは後の MC で知らされる。
しばらく未完成のままでもいいではないか。
これを今の形でうたいつづけて熟成させてほしい。
そうすれば3曲めは自然に生まれるだろう。

  その後にもハイライトはいくつもあった。

  「潔い」というよりも、男からみればいっそ「恐しい」〈願い〉。

  新作からの〈ほん〉〈うそ〉〈歌っていいですか〉の三連発は、
この順番でなければならなかった。
これを聞いてしまうと、新作が消化不足に聞こえる。
CD ではまだうたがことばに追いついていないと感じる。
ライヴではうたとして昇華している。

  ほんとうにうたが空を翔ける〈そらをとぶ〉。

  その次にコミカルで深刻な〈しんたいそくてい〉をもってくるのもにくい。

  これをはさんでもう一度新作からの〈メガネ〉と〈ばか〉。
〈ほん〉と〈ばか〉は文句なしの傑作。

  ホールの響きがまた美しい。
高瀬さんの声がなにものにもさえぎられずにのびてふくらむ。
大坪さんのベースは芭蕉の句のように、軽々と舞うかとおもえば、深く沈む。
ほんものの低音は「重く」はない。
谷川さんのピアノの弾みかた。
この人の生を見るのは二度目だが、
弾いている姿と出てくる音から、
どうしてもレプラコーンを想像してしまう。
あるいは沖縄のキジムナーはこんな生きものだろうか。

  唯一の不満はアンコールでも〈鉄腕アトム〉が聞けなかったことだが、
これはまあ、CD での演奏が絶品なので、
それを聞いていればよい。
この1曲のためだけで、 新作《うたっていいですか》は買う価値がある。

  20代の人からおばあさんまで、客層は多彩。
こういう音楽を普段着感覚で楽しめるのはうれしい。
子どもの姿がなかったが、場所柄だろうか。
聞きやすいかもしれないけれど、
ことばとしては最低限の活動しかしていない曲が巷には氾濫しているが、
ああいうものよりも、
日本語のもつ能力を最高度に発揮させているうたを、
子どもたちに聞いてほしい。

  それにしてもこれはポップスではない。
ジャズが基調にあることは確かだが、
ジャズにの範疇には入らない。
クラシックなどではさらにない。
分類不可能といってしまうのも簡単だが、
あえてここではフォーク・ソングといってみたい。
うたの原点、
ひとがうたわずにはいられなくなるものにまで遡ってうたっているからだ。
DiVa はそれをことばに置いている。
独自の生命をそなえたことばに出会ったとき生まれる想いから、
かれらの音楽は動きだす。

  これはうたが生まれ、うたわれる道としては
最も苦難に満ちた道だろう。
ことばをうたうことは別の形の生命を育むことであるからだ。
ことばに備わった生命はそれには抵抗する。
抵抗することばをうたに育てるのに
適切なメロディーを探りあてるだけでも至難の技だが、
そのうえで何度もくり返しうたわねばならない。
凡人にはそれこそ気が遠くなるほどくり返しうたう。
それしか方法はない。
はずだ。

  DiVa の3人、いやこのユニットは
それをいとも軽々と、楽しげにやっている。
心の底からその苦難を楽しんでいる。
ようにみえる。
だからうたわれるうたも幸せだし、
聞いているほうも幸せになる。

  DiVa は続けてほしい。
毎月とはいわないが、そう一年に二度くらいはライヴを体験したい。
あるいは自然にそうなれば、一週間に一度を四回連続でもいい。
そしてライヴ録音を出してほしい。
DVD なら一層良い。

  新宿駅までの帰り道、途中の寒暖計の示す7度が、ずいぶん暖かく感じられた。(ゆ)