これってかなり凄いことではないか。というのも美空ひばりはものすごく乱暴に言ってしまうと、ドロレス・ケーンやノーマ・ウォータースンやレーナ・ヴィッレマルクやウンム・クルスームやマリア・デル・マール・ボネットやハリス・アレクシーウやエスマやトト・ラ・モンポシーナやリラ・ダウンズや、とにかくそういううたい手たちに肩を並べる人ではないか、と密かに思っているからだ。

 「乱暴に言う」ことの意味は、上にならべた人たちがうたっているような意味での「伝統音楽」とひばりのうたが同じ次元にあるとは、そう簡単には言えないことだ。とはいうものの、そのうたに無心に耳を傾けるならば、日本語の伝統から生まれて、その伝統を体現し、ひとつの時代を作って次の世代にとっての指標となった、うたい手としてそういう存在にまぎれもない。ひばりのうたは、第二次大戦後の日本語世界の「フォーク・ミュージック」にあって、せいいっぱい伝統音楽に近づいたものではなかったか。

 だから、ひばりのうたが世界に聞かれることは、海外にいる日本人や日系人だけが聞くわけではない。むしろ真の意味での「ワールド・ミュージック」として聞かれるチャンスになりうるはずだ。琉球や奄美とは違う、古典芸能とも違う、本土の日本語から生まれたワールド・ミュージック。そこが凄い。

 それにしても71曲という数字は生誕71周年に合わせたものと聞いて愕然としてしまう。52歳は本来全盛期の幕開きではないか。世紀末の、そして世紀が変わってからのひばりを聞きたかった。少しはこちらの耳もできた上で、聞いてみたかった。その意味では、同じ伝統音楽でも、むしろビリー・ホリディに近かったのかもしれない。(ゆ)