バゥロンのトシさんに誘われて、奄美の唄者、朝崎郁恵さんのライヴに行く。トシさんがバゥロンで朝崎さんのバックに入るという。録音でも朝崎さんはアフリカ系も含む多彩な打楽器を活用しているから、バゥロンを入れようというのも不思議はないが、バゥロンの性格の影響があるかないか、聞いてはみたかったのだ。

 朝崎さんはまず声の人である。童顔の人がいるように、童声の人もいる。むろん単に幼い声ではない。ネオテニーの一種といえなくもないか。もっとも童顔ほど多くはないだろう。うたの上手下手の前に、この声は癖になる。もっとずっと聞いてきたくなる。その上で、上手下手は超越したうた。低いうたいだしからコブシを回しながら昇ってゆき、すっと裏返る。これさえあれば他に何もいらない。

 朝崎さんはアップテンポがお好きのようで、レゲエが大好きという言葉に嘘はないだろうし、そういううたは確かに楽しい。それでもやはりハイライトはスローの極致〈スラヨー節〉だった。こちらも大島紬を粋に着こなしたピアノの江草啓太氏も、うたの勘所、朝崎さんの声の特質をきちんと掴んでいる。弾いているフレーズは奄美のものではない。これはジャズと呼ぶべきものだろう。奄美ジャズではない、西洋音楽としてのジャズを奄美に対置して違和感が全くない。力業だ。

 十年前にどこぞのレコード会社のディレクターに、すっぴんの奄美島唄は三曲で飽きると言われてショックを受け、こうした試みを始めたそうだ。十年の精進のあとは明らかで、ライヴの現場でも現代の設定としてひとつの完成を見せている。奄美の伝統と無縁の人にも聞かれるようにする努力の成果はまぎれもない。

 それを認めた上で、すっぴんの朝崎さんをぜひ聞きたい。十年の精進で得たものがあれば、当然失われたものも小さくないはずだ。十年前から時代は変わっている。もうそろそろ、朝崎さん本来のうたを聞きたい。一晩に一曲でもいい。無心にひたすらうたに没頭する朝崎さんの声を聞きたい。あえかなコブシの陰影を味わいたい。

 それにしても、現代的設定にあって、唄者としての存在感は圧倒的だった。声の出てくる源が違うのだ。その体のどこかに別の世界に通じる弁があって、そこから滔々とうたが流れこんでくる。それはもう溢れてくる。

 一朝一夕に成ることではない。「前座」に出て、コーラスと三味線を担当していた若い男女の二人はまだ自分の喉から声が出ていた。まあ、それが若さだろうし、若さの魅力もある。

 ステージのあるフロアのひとつ上、地下一階にあたるテラスのようなところで聞いたせいか、トシさんのバゥロンは今ひとつよく聞こえなかった。いつものように実に楽しそうに叩いていたが、あとで聞くと、冷や汗ものだったそうな。奄美のビートや揺れは慣れるまでは結構時間がかかるらしい。確かに一番乗っていたのは、ピアノ・ソロと渡りあっていたときと、最後の六調のところだった。

 この日はオープニング・アクトとして、ビューティフル・ハミングバードという女性シンガーと男性ギタリストのデュオが出た。このシンガーも声の人で、珍しいほど密度の濃い声の持ち主。声域も広く、下から上まで無理がない。高い方では気持ちよく裏返るところも奄美に通じる。ややもすると、声に頼るところも見えるが、この声では仕方ないと思えてしまう魅力だ。

 それでも一個のミュージシャンとして突き抜けるには、一度この声を捨てるくらいの覚悟が要るのではないか。ともすれば高くなりがちの声を比較的低く抑えた〈冬のこども〉がハイライト。この曲の入っているファースト《空ヘ》を買ってみたが、全体の出来としてもこの曲がベスト。

 バゥロンの影響を云々するにはまだ早かったようだが、人の声の玄妙さを、あらためて思い知らされた夜ではあった。(ゆ)