梅雨の晴れ間の散歩から帰ってきてみたら、Mac お宝鑑定団のブログでソフトバンクが発表というニュースが流れていた。

 ドコモはどうもアップルとは合わないんじゃないかと思っていたから、まあ、おちつくべきところにおちついたと言うべきではあろう。

 とはいうものの、待たされすぎて、当初の意欲が半減していることは確か。iPod touch で、あのインターフェイスも味わえてしまったし、ケータイを持たねばならない必要もあまり感じない。むしろ、やはりできるだけ手元にたくさん曲を持っていたいから、大容量のクラシックに惹かれたりもする。

 しかし、別の見方をすれば、むしろ、かつてのニュートンや一時期の Palm のような使い方、つまり PDA として本格的に使えるとおもしろいかもしれないMandal-Artが対応してくれると、楽しくなってくる。iPod 機能で音楽を聴きながら、Mandal-Art で原稿を書く、というのは想像するとわくわくしてくる。

 まあ、Mandal-Art とまでいかなくとも、iPhone 向けのテキスト・エディタあるいは高機能なメモ帳、Mori とか DEVONThink とか Yojimbo、あるいは Tree でもいいが、ああいうタイプのアプリが使えるようになると期待する。

 ウォークマンと iPod で音楽は「書斎」から解放された。変わってゆく風景の中で聞くことで音楽も変化するのは新しい体験だったから、今度は原稿を書くことが「書斎」から解放されるかもしれないと思うと期待もふくらむ。当然、生まれてくる文章も変わるはずだ。

 iPod touch でもやろうと思えば不可能ではないが、あのメモ帳だけでは文章を書こうという意欲が湧いてこない。iPhone だからプログラマは様々なアプリを開発しようという意欲が湧くのだろうし、こちらもそうして開発されたアプリを使う意欲が湧いてくる。実際には同じことなのかもしれないが、touch はどうも「iPhone もどき」という感じは否めない。

 と妄想をふくらませておいて、さて、いくらだろうか。