ティム・ロビンスンのこの名著が New York Review of Books から現代の古典として復刻されるそうで、めでたいかぎり。

 元々はアーティストである著者がアイルランド西部、ゴールウェイはコネマラ沖合に浮かぶアラン諸島最大の島、アラン島に住みつき、島内をくまなく歩きまわって、詳細きわまる地図を作る。その過程で見、聞き、触り、嗅ぎ、味わったものを、美しく、喚起力の強い言葉でつづった二部作が『アランの石』 STONES OF ARAN。

 第1部「巡礼」Pilgrimage はアラン島の海岸線を東端の浜の一画から始めて時計回りに一周する。落ちている小石の一つひとつにまでいたると思えるほどに、微に入り、細を穿って描いてゆくのは、島を造る岩の生成から、住みついた生きものたち、かれらと風と波と太陽が刻んできた場所の姿、歴史。さらにはその場所に宿る精神ないし霊。

 アラン島はヨーロッパでも有数の特異な動植物相を持ち、ここでしか見られない植物も多い。著者の植物への関心は学者はだしで、近著 Connemara: Listening to the Wind (Connemara Trilogy 1) (2006) でも存分に発揮されているが、読みおわっての印象は、アラン島は岩と草花と波と風でできている。鳥もいる。人間などは片隅にしがみついている。アラン島では人間は北側の斜面に散在して住んでいる。本書の半分をなす南の海岸線、つまりほぼ一直線に続く有名な断崖絶壁には人影はない。北に回っても、著者はとにかく水際を丹念に歩くので、ここでも人間はほとんど出てこない。アラン島の人間については第2部「迷宮」Labyrinth を待たねばならない。

 そして、この岩と草花と鳥、波と風の世界のなんと豊饒なことよ。人間などの立ち入る余地のない、穏やかにさりげなくむき出しになっているこれは、自然と呼ぶには複雑すぎ、大きすぎる。アランの石は宇宙に直結している。地球の縮図。太陽系の縮図。銀河系の縮図がここにある。

 もう一つ、それを見ている人間の存在。むき出しになっているものを一つひとつ確かめ、観察し、記録してゆく人間の存在。立ち入る余地のないところへ、一歩一歩、入ってゆく人間の存在。アランの石を一つひとつ確かめてゆく過程で、アランと一体化してゆく人間の存在。この人間にとって、歩くことは見ることであり、考えることであり、書くことである。アランの石が宇宙に直結していれば、それを通じて、人間もまた宇宙へとつながる。

 ちっぽけな島なのだが、では、これだけの詳細きわまる探索の対象として、これに匹敵する島が世界中にどれだけあるか。そう思わせるものが、ここにはある。そして、著者の驚異的な観察力と、見たものを岩を刻むようにつづってゆく文章もまた、この島にふさわしい。

 チャンスがあれば日本語に移してみたい作品の一つではある。これはこの人にしか書けない本だから。日本語ネイティヴでこれに相当する本を書ける人間は、まず当分出ないだろう。アラン島という対象がまずユニークであり、アプローチの方法がユニークであり、記述のスタイルがユニークであるからだ。

 いや、チャンスを待つなどと甘っちょろいことを言っていないで、とにかく訳してみるしかないだろう。刊行できるかどうかはいつも二の次なのだから。(ゆ)