duc note 久しぶりに上京したので、東京駅丸の内口オアゾの丸善に行く。まっすぐ文具売場に上がって、ダック・ノートを買う。このところメインのノートになっているので、ひとつの上のサイズを買う。いま使っているのはB6で、このサイズには方眼は4ミリしかない。一つ上は、正方形に近い、不思議なサイズで、方眼は4ミリと8ミリの2種類。見くらべてみて、8ミリのものはどうも使いにくそうだったので、4ミリにする。さらに上の、いちばん大きなサイズは、形は同じでそのまま1.5倍ぐらいの大きさで、こちらでは8ミリしかない。この大きさはふだんもって歩くにはいかにも大きすぎる。学校ではB5判で平気だったのだが、小さめのほうが使い勝手がよいというのは、真理か、人間が小さくなったのか。

 ダック・ノートに較べると、他のノートはモールスキンも見劣りがする。中の紙や製本はもちろんなのだが、表紙の布張りがよい。手触りが抜群。ざらりとしているが、品格がある。色もシック。さらによいのは、どちらの表紙も表にできることだ。右開きにしたとき表になるほうの右片隅に、小さく "MARUZEN" と入っているだけなのである。右開きで縦書きに使いたいのだが、国産の方眼ノートでも、左開きを前提につくられている。今のところ、例外には出遭っていない。伊東屋が和綴じのノートを出しているが、あろうことか、左開きである。和綴じのノートに横書きで書けというのだ。和服でオリンピックの百メートル走に出ろ、というのか。

 パソコン、ワープロで横書きはまだわかる。しかし、日本語の文字はどれも縦書き用にできている。横組み用の日本語フォントのデザインや、レイアウト・ソフトが字組、行組でみんな苦労しているのはそのためだ。屋名池誠の『横書き登場―日本語表記の近代』が明らかにしているように、明治に横組みが生まれるまで、生まれてから千年以上、日本語はすべて縦に書かれ、組まれていた。日本語は縦に書くときにいちばん楽に書けるし、また読めるのも理の当然だ。横組みの普及は日本語の柔軟性の現れではある。が、日本語の生理には反している。本質的に無理をしている。そのことは忘れるわけにはいかない。

 とはいえ、このご時世である。左開きのノートを作れ、というのは無理難題の部類に入るだろうことは承知している。しかし、どちらからでも使える、ぐらいのデザインはできるはずだ。それがただのひとつも無いとは、なにか大切なものを脇に置いていないか。

 丸善のダック・ノートは、その中で、どちらからでも使える形に一番近い。これを見つけたときには、安堵感のあまり、気を失いそうになった。

 今のところ、唯一の欠点は、ネットで買えないことである。丸善の法人向けサイトでは買えるようだが、個人での登録はできない。手に入れるためには、丸善の店舗まで出かけていかねばならない。まあ、ひとつぐらい、そういうものがあってもよかろう。なんども足を運ぶのがどうしてもできないなら、行けるときに大量に買って、送ってもらえばよい。

 これに書くのは丸善の「エターナル・ブルー」を入れたペリスケ。このインクは日本橋店を改装したときに、記念に発売したもの。そろそろ無くなるので補充しようとインク売場に行くが、見あたらない。店員に聞いたら、もともと500個限定発売だったのだそうだ。ただし、注文していただければ作ります、という。あちこちの文具店でオリジナル・インクを売るのが流行のようになっているが、これはみなセーラーが作っている。「エターナル・ブルー」もセーラーのインク・ブレンダーとして有名な石丸氏のオリジナル作品だそうだ。注文があると、特注して作ってもらう由。特注だが、一個から注文可能で、価格は2,100円。容器の形は変わったそうだが、容量50ccも同じ。これもこの店まで買いに来なければならないから、交通費を足せば3,500円ぐらいにはなるが、それだけの価値のあるインクではある。

 「エターナル・ブルー」はコバルトとブルー・ブラックの中間の色だと思うが、コバルトほど浮つかずにおちつきがありながら、ブルー・ブラックのように沈みこまない。そのバランスが絶妙。書いた直後と時間が経ってからの色の変化が少ない。書いていて、じつに気持がよいし、後で読みかえすときにも視認性がよい。白い紙でもよいが、ダック・ノートのクリーム地にまたよく合う。

 セーラーの石丸氏はインク工房として全国を回っているので、そこに行けば作ってもらえるかもしれない。

 ペリスケと「エターナル・ブルー」の組合せはなぜかはまっている。ペリスケはとくに優れたペンではないかもしれないが、妙に手になじむ。万年筆は使っているとペン先が磨かれて手の癖に合ってくるというが、これがそうなのか。いま使っているペリスケはペン先の製造にミスがあるらしく、一ヶ所引っかかってインクがかすれるところがあるのだが、気にしないでふだん使いに使っていたら、いつの間にか手放せなくなってしまった。(ゆ)