昨晩は武蔵野スイング・ホールソフィア・カールソンの初来日。再来日熱望。

 完全に誤解をしていたのでありました。生身のソフィアは、へたに触れれば粉々になってしまうような繊細さと、大地に深く根をおろしてどんな嵐がこようがびくともしない靭さを兼ね備えた、類稀なるうたい手でありました。後半は裸足になってしまうくらい「天然」の妖精でもありました。笛も達者、ギターもよく、まさに音楽をするために生まれてきた人。

 前半はじっくりとソフィアのうたを聞かせます。MCはほとんどないのも潔い。北欧にすぐれたうたい手は少なくありませんが、ソフィアのうたのうまさはちょっと次元が異なる気もします。

 後半はノルウェイから参加のギデオン・アンデションがマンドリンでアイリッシュ・チューンを聞かせたり、そのギデオンがカホンで相方をつとめてオッレ・リンデルがすばらしいパンデレイタを披露したり、ヴァラエティに富んだ趣向。

 三人のバック陣は一騎当千なのは当然として、ヒロインの繊細さを包みこむようなサポートで、息もぴったり。自分にとって大事な仲間としてひとりひとりていねいにソフィアが紹介するのもほほえましく、楽しいものでした。

 スイング・ホールの特性を活かして、ときにマイクをはずれて生の声や笛で聞かせたりもします。牛飼い唱法もしっかり披露。

 サウンド・エンジニアも連れてきていて、かぎりなくアコースティックに近い音で聞けたのもうれしいもの。一方でグスタフ・ユングレンのラップ・スティール(?)を使った幻想的な音も不思議なくらいぴたりと合っていました。それにしても、このホールで聞くダブル・ベースの音は格別でした。

 こういう繊細さと強靭さが同居したうたい手は、これまで北欧では聞いたことがなかったとおもいます。というよりも、ヨーロッパを見渡しても、滅多にいるものではない。近い人といえばアルタンのマレードがアイルランド語でうたうときか。でもおそらく一番近いのはアン・ブリッグスでしょう。もちろん天の時も地の利も違うし、音楽そのものも違いますが、ミュージシャンとしての在り方が似ています。

 ですから、ソフィアにはぜひうたい続けてほしい。40歳、50歳になったときの彼女のうたを聞いてみたい。それまではなんとか命長らえて、よぼよぼの爺になって、成熟したソフィアのうたにひたりたい。

 満席の聴衆もソフィアの音楽の良さがよくわかる人ばかりで、1曲ごとに拍手が大きくなり、その反応にまたミュージシャンが昂揚する理想的なライヴ。休憩と終演後にはCDが飛ぶように売れ、サイン会には長蛇の列ができていました。このうたい手と時空を同じくして生きるありがたさをしみじみと嚼みしめながら、家路についたことでした。(ゆ)