A New History of Ireland: Medieval Ireland 1169-1534 (New History of Ireland) 今年の目標というよりやりたいことの一つに、アイルランドの歴史を勉強しなおすことがあります。そして、できれば自分なりの通史を書いてみたい。日本語で読めるアイルランドの通史で、きちんとしたものがないのは、やはり困ったことであります。

 入門篇とか、現代史、ノーザン・アイルランドに関するものはいくつかありますが、ちょっと突っこんで知りたいと思うと、英語にあたるしかありません。すると勢い、「伝説」や「神話」や俗説がまかり通ることになります。アイルランド音楽にとっても、これは不幸な状態です。

 素人の自分にたいしたことはできませんが、誰もやってくれないとなれば自分でやるしかない。無いものは自分で作れ、とはコンピュータの世界、特にソフトウエア方面でよく言われることですが、世の中、たいていのことにはあてはまりそうです。自分で作ろうとしてみて初めてスキルも身につきます。やってみて損はない。

 その勉強の素材としてまず真っ先にあげられるシリーズの第2巻『中世アイルランド 1169-1534』ペーパーバック版(Medieval Ireland 1169-1534, Art Cosgrove, ed., Oxford University Press, ISBN978-0-19-952970-3)が出ています。表紙は教皇勅書をカシェルの大司教に渡すイングランド王リチャード2世。大司教のうらめしそうな眼がなんとも言えません。

  ハードカヴァー初版は1987年。1993年に第2刷が出ていて、この時若干の訂正と文献リストの補遺が加えられています。総ページ数1002、本文826 ページ、文献リストが補遺も含めて139ページ、索引38ページ。モノクロ写真24葉。第1巻ではコート紙の巻末別丁になっていましたが、今回は本文と同じ用紙で全体のほぼ真ん中に入っています。
 
  なぜか向こうではもう出ているのに、アマゾン・ジャパンでは半年ぐらい先の刊行になっていたので、編集部は Amazon.co.uk で買いました。英国は送料が安いので、uk で買っても jp より安いくらいです。今は  jp でも買えるようになってます。円高で半年前の第1巻からは2500円安くなってます。CD3枚分から2枚分に減ったわけです。
 
  この巻がカヴァーするのは第2代ペンブローク伯リチャード・ド・クレアに率いられた、いわゆるノルマン人の侵入から第10代キルデア伯トマス・フィッツジェラルドによるイングランド王への反乱まで。通称ストロングボウ、わが国でいえば鎮西八郎為朝ですかね、から通称絹のトマス、こちらはちょと思いつかないな、までの4世紀。いろいろな面で現在につながるアイルランドの基礎ができた時代。たとえば "county"、通常「州」と訳されてますが、この区割りが始まるのも、13世紀末、イングランド王が支配力強化のためにつくった、あるいは作ろうとした行政区画が起源です。それにそもそもゲールのシステムとイングランドのシステムが共存あるいは併存する状態が始まるのが、まさに1169年です。
 
  アイルランドのナショナリストがよく言う「800年にわたる英国の圧制」というのはここからきているわけですが、F・X・マーティンが序文で書いているように、アイルランドとイングランドの関係はもちろんそんな一方的なものではない。まあ、わが列島でいえば「万世一系」みたいなスローガンでしょうか。
 
  ノルマンの侵入はヨーロッパ全体で起きていた人間の移動の一環でありましたが、アイルランド側から見れば、現生人類の誕生以来、この島にやって来た人間集団の最後の波でありました。ケルト人はこの波のおそらくは最大のもので、それ以前に来て住みついていた人びとのシステムをほぼ完全に呑みこみました。次の大きな波が9世紀に始まるヴァイキングで、以後のケルトないしゲールのシステムはかれらの影響でできあがるもの。12世紀後半にやって来たノルマン人たちはヴァイキングの遠い末裔でもありますが、3世紀の間に自分たちのシステムを確立していましたし、人数もずっと多かったらしい。これ以後ゲールとイングランドのシステム、つまり言語、法体系と行政組織、そして制度がふたつながら存続してゆくことになります。

  イングランドの言語といってもこの時点ではまだ英語ではありません。ノルマン・フランス語による文献について一章がさかれています。当時のノルマン人、というその正体がまた問題でもあるわけですが、かれらの「帝国」はフランス北半分からイングランド、ウェールズにかけての地域です。近代国家ではなく、「家」ないし一族の支配圏。わが国でいえば、鎌倉以降戦国までの武士集団の領地が一番近いか。われわれは「イギリス史」とか「フランス史」とかいいますが、これも多分に近代国家の枠組みから離れられない見方でもありましょう。当時の人びと、少なくともプランタジネット一族の人びとの意識ではイギリスとフランスは別れていなかったはず。

  つまるところ、リチャード・ストロングボウとともにアイルランドにやって来た集団を構成していたのは生粋のノルマン人(などというものがいたとして)だけではありません。プランタジネット家の支配下にあった地域の人びとは多種多様であったのですから、そこにはウェールズ人やスコットランド人、アングロ・サクソンなども含まれていました。

  ブリテン島では自然の単位つまり島が政治単位と等価でなかった時期が長いんじゃないか。内部でもイングランド、ウェールズ、スコットランド、さらにはコーンワルと別れていましたし、外にもカヌートの王国ではデンマークとつながっていました。両者が等しくなるのは百年戦争後、テューダー朝以降ではないですかね。テューダー朝にいたってようやくイングランド王は中央集権に成功して、強力な政権を作れるようになりますが、それも大陸の領地を諦めざるをえなくなって、島内に「経営資源」を集中したから、とも見えます。もっとも、大陸の領地を諦めるかわりにアイルランドへの進出を本格化させるのですから、やはりアイルランドは「裏庭」だと思っていたんでしょう。
 
  それからの連想ですが、われらが列島の歴史上、たとえば九州、中国地方から対馬、朝鮮半島南部を支配圏とするような政権ができてもおかしくはなさそうですが、そうはならかなかったのはなぜなんだろう。対馬と半島の間は英仏海峡より若干広いくらいですが、対馬と本土の間が広すぎ、海流や季節風もあって障壁になったのでしょうかね。それとも、実際にはあったのだが、記録が抹殺されたのかな。
 
 アイルランド史をアイルランド島史とすれば、二つのシステムは時に片方が優勢になることはあっても、劣勢になった方も完全消滅することはなく、結局現在なお併存しています。アイルランドのナショナリスト的見地からすれば、アイルランド島は一つの政体のもとに統一されるのが理想なのかもしれませんが、この島に関しては有史以来統一状態は一瞬たりとも実現していないわけです。こうなるとここでは統一はむしろその本性とは相容れない状態なのかもしれません。

 だとすれば、そのことは音楽をはじめとするこの島の作物にも反映されているはずです。少なくとも「単一民族国家」の文化ではなく、複合社会の産物であることを念頭においてアイリッシュ・ミュージックに接するほうが、実りは大きいはず。例えば、編集部なども一時信奉していた、カトリック=伝統音楽、プロテスタント=ポピュラー音楽という図式は虚構ないし曲解です。有名なクロンターフの戦いのブライアン・ボルーも、「外国勢力と戦った愛国者」というのは「プロパガンダ」のおかげでうまれた「伝説」だそうな。

 複合でない社会など、この地球上にまず存在しないわけですが、地続きではない島にあっても、全島統一は事実上不可能であるのは興味深い。島は自然の境界が明確なので、中身の境界と重なると見えますが、実際にはことはそう簡単ではないんですねえ。

 収録論文は19人による29本。この時期全体を概観する序文がF・X・マーティン。政治、経済方面が多くなるのはやむをえないところでしょうか。文芸・文献、建築・彫刻、写本と装飾については、それぞれに章がありますが、残念ながら前巻にあったような音楽の章はなし。あるいはこの時代の音楽については資料がないのか。単に研究している人がいないのか。

 次はまた半年後、 第3巻『近代アイルランド前期 1534-1691』Early Modern Ireland 1534-1691。アマゾン・ジャパンでも、またえらく先になってますが、予約を受け付けてます。円高が進んでさらに安くなってます。(ゆ)