以下は本誌昨年6月号に掲載した、ブルターニュのバンドネオン奏者フィリップ・オリヴィエのインタヴュー記事です。フィリップ本人から、リンクを貼りたいので記事を公開してほしいとの要請があったので、ここに転載します。(ゆ)
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Bugel Koar に聞くブルターニュ音楽の未来
おおしまゆたか
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ブルターニュからヴォーカルのマルト・ヴァッサーロ、バンドネオンのフィ
リップ・オリヴィエのデュオ、ビューゲル・コーアルが来日しました。
http://bugel-koar.stalig.com/
http://www.philippeollivier.com/
ブルターニュといえば、数年前、ヤン=ファンシュ・ケメナーが来日して、
すばらしい「カン・ハ・ディスカン」を聞かせてくれました。これは元々二人
(ないし二組)のシンガーや楽器奏者によって交互に演奏されるものなので、
一人でやるのはなかなかたいへんな様子でしたが、ケメナーさんの飄々として
熱い「カン・ハ・ディスカン」は強烈な体験でした。
今回来日した二人から見ると、ケメナーさんは大先輩のいわゆる「ソース・
シンガー」の一人です。アイルランドでいえばエディ・バチャーやダラク・オ・
カハーン、あるいはレン・グレアム、スコットランドならばジョック・ダンカ
ンやアーチー・フィッシャーに相当します。イングランドならばやはりイワン・
マッコールやA・L・ロイドというところ。その存在や活動自体が伝統のコア
をなすような人です。
ビューゲル・コーアルはブルターニュ音楽の現在最前衛を引っぱっています。
あまりに前衛すぎて、地元では今ひとつ理解されにくいらしく、むしろラテン・
アメリカはじめ海外での評価が高いそうです。こういう存在は、以下の記事で
も明らかなように、アイルランドやスコットランドには見あたりません。イン
グランドのベロウヘッドやスウェーデンのフリーフォート、イタリアのバンディ
タリアーナなどに通じるところがあります。
今回の来日は、わがキキオンとの交流の結実の由。日仏学院でのライヴでは、
第一部キキオン、第二部ビューゲル・コーアル、第三部両者共演の形で得難い
体験をさせてくれました。
ポセイドンの増田洋氏のご尽力でフィリップ・オリヴィエにインタヴューす
ることができました。以下はこのインタヴューによるものに、他からの情報も
加えてまとめたものです。
ビューゲル・コーアルを見ても、ブルターニュ音楽はどうやらたいへん面白
いことになっているようです。なお、通訳は黒木朋興さんが担当してください
ました。
黒木、増田の両氏に、心から御礼申し上げます。
ブルターニュでバンドネオン?とは誰しも思うところです。フィリップによ
ればブルターニュでプロとしてバンドネオンを弾いているのは、フィリップの
他にはかれの師匠でもある人物ぐらい。当然、タンゴが盛んな土地柄でもあり
ません。
全体にケルト圏は自身の体温が高いせいか、ラテン系の音楽にはあまり関心
を示しません。タンゴやポルカ、ギリシアや東欧など「南」の音楽が大好きな
北欧は、やはり比較的体温が低いのかもしれません。
フィリップはタンゴをやろうとしてバンドネオンを手にしたわけではありま
せん。ブルターニュ音楽の表現の幅を広げるために、バンドネオンの楽器とし
ての特性に眼をつけたのでした。それまで主に使っていたアコーディオンでは
できないことが、バンドネオンではできるのではないか。
フィリップがバンドネオンを聞いていたのはもちろんピアソラをはじめとす
るアルゼンチンの演奏者ですが、音楽とは切りはなして楽器だけを導入するの
は、まさに伝統音楽の動作原理に忠実です。ブズーキを採りいれながら、ギリ
シア音楽はかけらも入れなかったアイリッシュにも通じます。
ブズーキのように、バンドネオンもブルターニュ音楽に不可欠の楽器になる
かどうかはわかりませんが、少なくともビューゲル・コーアルの音楽として、
ブルターニュ音楽に新しい次元を開いて見せたことは確かです。
それ以前の流れとは断絶したこうした展開は、アイルランドやスコットラン
ドとはいささか様相を異にします。あえて言えばアイルランドのプランクシティ
革命に相当するものでしょう。とはいえ、プランクシティにおいてもイルン・
パイプに象徴される伝統の連続性があります。
ビューゲル・コーアルの音楽はより大胆に、伝統の換骨奪胎を徹底していま
す。このあたりはむしろファーンヒルに代表されるウェールズ音楽に通じるよ
うにも見えます。言語面でウェールズのキムリア語とブルターニュのブレイス
語が近縁であることは、ここにも顔を出しているのかもしれません。
フィリップは1969年、ブルターニュ半島北端の海辺ペンヴェノンに生まれま
した。7歳から11歳までピアノを習いましたが、身は入らず。16歳で地元のバ
ガドに参加してボンバルドを始め、17歳のとき、弟が借りてきたダイアトニッ
ク・アコーディオンに心を奪われます。
しかし、かれにとってほんとうの転機は13歳のときでした。名付け親の女性
が2枚のレコードをプレゼントしてくれたのです。ニール・ヤングの《ハーヴェスト》
とマイク・オールドフィールドの《Five Miles Out》。前者は「カントリーと
クラシックの融合」、後者は現代音楽に、フィリップの眼を開くことになりま
す。
ブルターニュの若者として伝統音楽に漬かりながらも、フィリップはより広
い視野をはじめから備えていたわけです。ダイアトニックからクロマティック
のアコーディオンに移っても、次第に満足できなくなっていったのは、こうし
た広い素養と志向をもっていたからでしょう。
いっぽうでまたブルターニュ音楽内部でも新しい動きが始まっていました。
1990年代に入り、ブルターニュ音楽を展開する枠組みが、アイリッシュ・ミュー
ジックからクラシックに代わったのです。1970年代のアラン・スティヴェル以
来、ブルターニュ音楽はブリテンやアイルランドの音楽の手法を手本として展
開されていました。80年代には時代の流れに沿って使われる楽器が電気増幅の
ものからアコーティックなものに変わりますが、この時にも本来ブルターニュ
の伝統にはなかったウッド・フルートが採用されたりもします。
フィリップは90年代の変化に感応し、またこれを担うことになります。かれ
のお手本はスティーヴ・ライヒであり、フィリップ・グラスであり、アルヴォ・
ペルトであり、クセナキスです。
この変化の根柢にあったのは、アイリッシュ・ミュージックの枠組みを借り
ることへの疑問でした。スティヴェルがアイリッシュ・ミュージックにモデル
を仰いだのは、やむをえないところもあったでしょう。ですが、アイリッシュ・
ミュージックの手法はブルターニュ音楽にとってほんとうにプラスなのか。両
者はやはり違うものではないのか。
マルト・ヴァッサーロもクラシックの訓練を受けています。オペラをうたっ
てもいるそうですから、スウェーデンのレーナ・ヴィッレマルクのような存在
でしょう。レーナが伝統のコアをも伝えているように、マルトも一方で ロワネ
ド・ファル Loened Fall というバンドでフェス・ノーズのためにうたってもい
ます。
フェス・ノーズはブルターニュのうたと踊りを中心とした集まりで、ブリテ
ン諸島の「ケイリ」に相当する催しです。ただし、ブルターニュではうたは基
本的にダンス伴奏であり、人びとはうたに合わせて踊ります。ブルターニュ伝
統音楽の根幹をなす「カン・ハ・ディスカン」とは、何よりもまずこのダンス
のためのうたです。
うたとダンスが截然と分かれているアイルランドやスコットランドとは対照
的です。ダンスもペアあるいはソロによるものでなく、多数の男女が手をつな
いで長い列を作ります。ロワネド・ファルの最新作《DIWAR LOGODENN 'VEZ
KET RAZH》の DVD で、この模様が見られます。YouTube でも、たとえばこの動画
の後半に踊っている人びとが現れます。
マルトはこうした活動も積極的に続けながら、これとは別のブルターニュ音
楽の可能性を考えていました。フィリップとマルトは直接共演したことは無い
ながら、たがいの存在や活動は知っていました。フィリップは一時演奏活動を
離れ、録音エンジニアとして働いており、ロワネド・ファルの録音も手がけて
います。ちなみにフィリップはこの方面でも優秀で、ビューゲル・コーアルの
アルバムの録音は秀逸です。
フィリップは新しいブルターニュ音楽を模索するなかで、マルトとやれば面
白いのではないか、次に会った時誘ってみようと考えていました。ところが実
際にイニシアティヴをとったのはマルトの方でした。むろんフィリップは二つ
返事でオーケーし、かくてビューゲル・コーアルが生まれます。
最初の一年はレパートリィ作りとリハーサルのみに費やしました。オリジナ
ルはフィリップが曲を書き、マルトが詞をつけます。マルトの書く詞はエスプ
リとユーモアと諷刺にあふれ、時に悽愴な美しさを感じさせます。ビューゲル・
コーアルの音楽の大きな魅力の一つです。アルバムにはブレイス語原詞、フラ
ンス語対訳、英語による大意が載っています。
アルバムではサポートを入れていますが、ライヴは二人だけが基本です。コ
ンビとして息がぴったり合い、たがいに過不足を感じていないからですが、実
際、日仏学院でのライヴでは、二人だけで一つの宇宙を生みだしていました。
もっとも次のアルバムでは、サックスのヤニック・ジョルディを加えたトリ
オの形を試してみる計画だそうです。ビューゲル・コーアルの 2nd《NEBAON!》
の[06]〈ケンパー・グウェツェネグの漁師たち〉を展開したものになるようで
す。
フィリップはマルトとならぶブルターニュの最重要シンガー、アニー・エブ
レルを擁したバンド Dibenn のメンバーでもあり(録音には参加せず)、ベー
シストのアラン・ジェンティ(もうすぐ来日するスコットランドのトニィ・マ
クマナスとも共演しています)、アコーディオンのアラン・ペネックなどとも
旧知の仲。とすれば、ビューゲル・コーアルとは別の活動も期待しましょう。
オリジナルが格段に増えた《NEBAON!》は、ビューゲル・コーアルの個性を確
立し、その可能性を見せてくれています。しかし、このユニットのほんとうの
姿が現れるのはおそらくこれからです。それはまたブルターニュ音楽の潜在能
力がまたひとつ解放される瞬間でもありましょう。
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Bugel Koar に聞くブルターニュ音楽の未来
おおしまゆたか
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ブルターニュからヴォーカルのマルト・ヴァッサーロ、バンドネオンのフィ
リップ・オリヴィエのデュオ、ビューゲル・コーアルが来日しました。
http://bugel-koar.stalig.com/
http://www.philippeollivier.com/
ブルターニュといえば、数年前、ヤン=ファンシュ・ケメナーが来日して、
すばらしい「カン・ハ・ディスカン」を聞かせてくれました。これは元々二人
(ないし二組)のシンガーや楽器奏者によって交互に演奏されるものなので、
一人でやるのはなかなかたいへんな様子でしたが、ケメナーさんの飄々として
熱い「カン・ハ・ディスカン」は強烈な体験でした。
今回来日した二人から見ると、ケメナーさんは大先輩のいわゆる「ソース・
シンガー」の一人です。アイルランドでいえばエディ・バチャーやダラク・オ・
カハーン、あるいはレン・グレアム、スコットランドならばジョック・ダンカ
ンやアーチー・フィッシャーに相当します。イングランドならばやはりイワン・
マッコールやA・L・ロイドというところ。その存在や活動自体が伝統のコア
をなすような人です。
ビューゲル・コーアルはブルターニュ音楽の現在最前衛を引っぱっています。
あまりに前衛すぎて、地元では今ひとつ理解されにくいらしく、むしろラテン・
アメリカはじめ海外での評価が高いそうです。こういう存在は、以下の記事で
も明らかなように、アイルランドやスコットランドには見あたりません。イン
グランドのベロウヘッドやスウェーデンのフリーフォート、イタリアのバンディ
タリアーナなどに通じるところがあります。
今回の来日は、わがキキオンとの交流の結実の由。日仏学院でのライヴでは、
第一部キキオン、第二部ビューゲル・コーアル、第三部両者共演の形で得難い
体験をさせてくれました。
ポセイドンの増田洋氏のご尽力でフィリップ・オリヴィエにインタヴューす
ることができました。以下はこのインタヴューによるものに、他からの情報も
加えてまとめたものです。
ビューゲル・コーアルを見ても、ブルターニュ音楽はどうやらたいへん面白
いことになっているようです。なお、通訳は黒木朋興さんが担当してください
ました。
黒木、増田の両氏に、心から御礼申し上げます。
ブルターニュでバンドネオン?とは誰しも思うところです。フィリップによ
ればブルターニュでプロとしてバンドネオンを弾いているのは、フィリップの
他にはかれの師匠でもある人物ぐらい。当然、タンゴが盛んな土地柄でもあり
ません。
全体にケルト圏は自身の体温が高いせいか、ラテン系の音楽にはあまり関心
を示しません。タンゴやポルカ、ギリシアや東欧など「南」の音楽が大好きな
北欧は、やはり比較的体温が低いのかもしれません。
フィリップはタンゴをやろうとしてバンドネオンを手にしたわけではありま
せん。ブルターニュ音楽の表現の幅を広げるために、バンドネオンの楽器とし
ての特性に眼をつけたのでした。それまで主に使っていたアコーディオンでは
できないことが、バンドネオンではできるのではないか。
フィリップがバンドネオンを聞いていたのはもちろんピアソラをはじめとす
るアルゼンチンの演奏者ですが、音楽とは切りはなして楽器だけを導入するの
は、まさに伝統音楽の動作原理に忠実です。ブズーキを採りいれながら、ギリ
シア音楽はかけらも入れなかったアイリッシュにも通じます。
ブズーキのように、バンドネオンもブルターニュ音楽に不可欠の楽器になる
かどうかはわかりませんが、少なくともビューゲル・コーアルの音楽として、
ブルターニュ音楽に新しい次元を開いて見せたことは確かです。
それ以前の流れとは断絶したこうした展開は、アイルランドやスコットラン
ドとはいささか様相を異にします。あえて言えばアイルランドのプランクシティ
革命に相当するものでしょう。とはいえ、プランクシティにおいてもイルン・
パイプに象徴される伝統の連続性があります。
ビューゲル・コーアルの音楽はより大胆に、伝統の換骨奪胎を徹底していま
す。このあたりはむしろファーンヒルに代表されるウェールズ音楽に通じるよ
うにも見えます。言語面でウェールズのキムリア語とブルターニュのブレイス
語が近縁であることは、ここにも顔を出しているのかもしれません。
フィリップは1969年、ブルターニュ半島北端の海辺ペンヴェノンに生まれま
した。7歳から11歳までピアノを習いましたが、身は入らず。16歳で地元のバ
ガドに参加してボンバルドを始め、17歳のとき、弟が借りてきたダイアトニッ
ク・アコーディオンに心を奪われます。
しかし、かれにとってほんとうの転機は13歳のときでした。名付け親の女性
が2枚のレコードをプレゼントしてくれたのです。ニール・ヤングの《ハーヴェスト》
とマイク・オールドフィールドの《Five Miles Out》。前者は「カントリーと
クラシックの融合」、後者は現代音楽に、フィリップの眼を開くことになりま
す。
ブルターニュの若者として伝統音楽に漬かりながらも、フィリップはより広
い視野をはじめから備えていたわけです。ダイアトニックからクロマティック
のアコーディオンに移っても、次第に満足できなくなっていったのは、こうし
た広い素養と志向をもっていたからでしょう。
いっぽうでまたブルターニュ音楽内部でも新しい動きが始まっていました。
1990年代に入り、ブルターニュ音楽を展開する枠組みが、アイリッシュ・ミュー
ジックからクラシックに代わったのです。1970年代のアラン・スティヴェル以
来、ブルターニュ音楽はブリテンやアイルランドの音楽の手法を手本として展
開されていました。80年代には時代の流れに沿って使われる楽器が電気増幅の
ものからアコーティックなものに変わりますが、この時にも本来ブルターニュ
の伝統にはなかったウッド・フルートが採用されたりもします。
フィリップは90年代の変化に感応し、またこれを担うことになります。かれ
のお手本はスティーヴ・ライヒであり、フィリップ・グラスであり、アルヴォ・
ペルトであり、クセナキスです。
この変化の根柢にあったのは、アイリッシュ・ミュージックの枠組みを借り
ることへの疑問でした。スティヴェルがアイリッシュ・ミュージックにモデル
を仰いだのは、やむをえないところもあったでしょう。ですが、アイリッシュ・
ミュージックの手法はブルターニュ音楽にとってほんとうにプラスなのか。両
者はやはり違うものではないのか。
マルト・ヴァッサーロもクラシックの訓練を受けています。オペラをうたっ
てもいるそうですから、スウェーデンのレーナ・ヴィッレマルクのような存在
でしょう。レーナが伝統のコアをも伝えているように、マルトも一方で ロワネ
ド・ファル Loened Fall というバンドでフェス・ノーズのためにうたってもい
ます。
フェス・ノーズはブルターニュのうたと踊りを中心とした集まりで、ブリテ
ン諸島の「ケイリ」に相当する催しです。ただし、ブルターニュではうたは基
本的にダンス伴奏であり、人びとはうたに合わせて踊ります。ブルターニュ伝
統音楽の根幹をなす「カン・ハ・ディスカン」とは、何よりもまずこのダンス
のためのうたです。
うたとダンスが截然と分かれているアイルランドやスコットランドとは対照
的です。ダンスもペアあるいはソロによるものでなく、多数の男女が手をつな
いで長い列を作ります。ロワネド・ファルの最新作《DIWAR LOGODENN 'VEZ
KET RAZH》の DVD で、この模様が見られます。YouTube でも、たとえばこの動画
の後半に踊っている人びとが現れます。
マルトはこうした活動も積極的に続けながら、これとは別のブルターニュ音
楽の可能性を考えていました。フィリップとマルトは直接共演したことは無い
ながら、たがいの存在や活動は知っていました。フィリップは一時演奏活動を
離れ、録音エンジニアとして働いており、ロワネド・ファルの録音も手がけて
います。ちなみにフィリップはこの方面でも優秀で、ビューゲル・コーアルの
アルバムの録音は秀逸です。
フィリップは新しいブルターニュ音楽を模索するなかで、マルトとやれば面
白いのではないか、次に会った時誘ってみようと考えていました。ところが実
際にイニシアティヴをとったのはマルトの方でした。むろんフィリップは二つ
返事でオーケーし、かくてビューゲル・コーアルが生まれます。
最初の一年はレパートリィ作りとリハーサルのみに費やしました。オリジナ
ルはフィリップが曲を書き、マルトが詞をつけます。マルトの書く詞はエスプ
リとユーモアと諷刺にあふれ、時に悽愴な美しさを感じさせます。ビューゲル・
コーアルの音楽の大きな魅力の一つです。アルバムにはブレイス語原詞、フラ
ンス語対訳、英語による大意が載っています。
アルバムではサポートを入れていますが、ライヴは二人だけが基本です。コ
ンビとして息がぴったり合い、たがいに過不足を感じていないからですが、実
際、日仏学院でのライヴでは、二人だけで一つの宇宙を生みだしていました。
もっとも次のアルバムでは、サックスのヤニック・ジョルディを加えたトリ
オの形を試してみる計画だそうです。ビューゲル・コーアルの 2nd《NEBAON!》
の[06]〈ケンパー・グウェツェネグの漁師たち〉を展開したものになるようで
す。
フィリップはマルトとならぶブルターニュの最重要シンガー、アニー・エブ
レルを擁したバンド Dibenn のメンバーでもあり(録音には参加せず)、ベー
シストのアラン・ジェンティ(もうすぐ来日するスコットランドのトニィ・マ
クマナスとも共演しています)、アコーディオンのアラン・ペネックなどとも
旧知の仲。とすれば、ビューゲル・コーアルとは別の活動も期待しましょう。
オリジナルが格段に増えた《NEBAON!》は、ビューゲル・コーアルの個性を確
立し、その可能性を見せてくれています。しかし、このユニットのほんとうの
姿が現れるのはおそらくこれからです。それはまたブルターニュ音楽の潜在能
力がまたひとつ解放される瞬間でもありましょう。
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