四谷のジャズ喫茶「いーぐる」の連続講演に行く。「1980年代のジャズ 100枚」という企画。「いーぐる」の後藤マスターと常連さんたちが中心になってやっているウエブ・マガジン com-post で10年区切りで100枚ずつ選ぶ、その第1弾。
   
    80年代は世間一般としては「ワールド・ミュージック」が爆発した時代。個人的にもその流れの末端のあおりを喰って、世界が一挙に拡大した時代ではある。それまでブリテン諸島とアイルランド、せいぜいブルターニュぐらいしか視野に入っていなかったものが、いきなり洞窟から大平原に出た。スカンディナヴィア、ハンガリーをはじめとする東欧、バルカン、イタリアから地中海、フランス、オランダ、そしてドイツからの音楽がなだれこんできた。さらには中近東から中央アジア、インドなど、それまで「民族音楽」と分類されていたタイプの音楽にも耳が開いた。もっともワールド・ミュージックの中心だったアフリカや東南アジアにはあまり心魅かれなかったのは、根が北方志向だからだろうか。
   
    と、同時に、各地のローカル性に気がつきはじめた時期でもある。アイルランドをアイルランドとして、ブリテンとは別個の音楽のありか、別の文化圏、別世界として認識しはじめたのは1980年頃のことだった。
   
    当然その認識は他の地域、スコットランドやイングランドなどの、それまで十把一絡げに捉えていた地域の音楽、文化を個別の位相としてとらえる契機にもなった。
   
    と振り返ってみれば、70年代が「序」すなわち「発見」の時代、90年代が「急」すなわち爆発的な「収穫」の時代として、80年代はまさに「破」すなわち「変化」の時代、といえる。
   
    そういう時期にお隣りジャズの世界はどうなっていたのか。これは聴かずには死ねない。
   
    もちろんこの100枚がジャズの80年代状況を正確に反映しているはずはない。もしそうなら、そんなものは聴きたくもない。期待したのは、80年代に現れながら、今なお耳を傾けるに値する音楽のリストである。com-post 誌上にアップされているそのリストと選考過程の座談会を見れば、まるでこの期待が見すかされていたようだ。
   
    結論、というのもおおげさだが、リストを見、そこから選ばれた12曲を聴いてまず思ったのは、論者のどなたかもおっしゃっていた、80年代は実に豊かな時期だったのだ、ということである。前の時代を担った大物たちの一部は健在である一方で、次の世代を作ることになる新たな人たちが意欲的な活動をくりひろげる。またこの時期だけ輝いた人たちもいる。70年代まではまだあった手枷足枷がなくなって、何でもアリの世界になった。
   
    昨日は6人の選者が各自2曲ずつ精選した録音を聴かせていただいたが、ジョン・ゾーンのノイズが片方にあれば、スタン・ゲッツのような「保守本流」の演奏もある。ありとあらゆる色調、姿勢、志向が同時に出現し、存在を主張していた。これだけの幅をもった多種多様な音楽が、今聞いてもどれもおもしろく聴けるものとして生み出されていた。
   
    同様なことは他の音楽ジャンル、われわれのルーツ・ミュージックの世界でも、またロックなどポピュラー音楽の世界でも起きていた。おそらくは文学や視覚芸術、演劇、あるいは学問の世界でも起きていたのだ。たとえばわれらが日本列島の成立事情の研究がコペルニクス的展開をとげるのが80年代である。列島は今の位置で海底から隆起したり沈降したりしながら現在の形をとった、というのがそれまでの通説だった。それが、ぶつかりあい、たがいにもぐりこんでいる大陸塊の動きによって、広範囲にわたる様々な素材が集ってできてきたことが判明したのだ。もし80年代を特徴づけるキーワードをひとつあげるとすれば「ダイナミック」ではないか。それまで比較的「静的」だった世界像が急に動きだした。当然とされていた前提が崩れおち、ありとあらゆる可能性が試される。そして「現状」は激しい変化の途中の一段階、一フェーズにすぎなくなる。たまたま今そういう形に見えているので、いかに永続的にみえようといつ何時百八十度転換するかわからない。そのひとつの極点、象徴として、見よ、あれほど堅固におもわれたベルリンの壁までがあっけなく崩壊したではないか。
   
    言いかえれば、70年代まではどの世界、どのジャンルにしても、ひとつの中心、核、主流が明確に存在した。それを形作るいくつかの存在をおさえることで、ひとつの全体像を共有することも可能だったし、今でも可能だろう。
   
    たとえばロックでいえば、ビートルズ、ジミヘン、ジャニス、ディラン、クリーム、ザ・バンドという軸を設定することができる。ジョニ・ミッチェルがジャコパスと作ったものに一瞬途方に暮れたとしても、前者へのアンチ・テーゼとしてとらえれば納得もでき、やがてはいささか風変りだがそれなりに面白いと感じられるようにもなる。おなじように、ウエスト・コーストやハード・ロック、カントリー・ロックやプログレなどの各ジャンルも、中心軸に対して配置できる。立場によって多少ヴァリエーションはあってもこうした「中心軸」の設定とそれに沿った把握が、70年代までは可能だ。
   
    1979年のザ・バンドの解散とともに、そうした軸を中心とした「伽藍」は消滅し、すべてが等価に並列される「バザール」がとってかわった。われわれの世界でいえば、やはり1979年のフェアポート・コンヴェンションの「解散」と1980年のニック・ジョーンズの事故が、象徴とはいかないまでも指標になるだろう。個人的には1980年リリースのドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《BROKEN HEARTED I'LL WANDER》  が時代を画することになるが、それはまた別の話。
   
    かくて80年代はダイナミックで豊饒な時代と言えるのだが、中心になる核や軸が消えたことは、一方でやっかいな状態も生みだす。あることについての共通了解をとることが難しくなるのだ。すべてが等価並列であるから、誰にも「バザール」の全体像はわからない。「群盲象をなでる」状態がいたるところで起きる。するとかつて共通の認識として了解されていたこともその正当性、妥当性を疑われることにもなる。「バザール」状態に、CDとネットに代表されるデジタル技術という技術革新が加わって爆発的収穫の時代となった90年代を経て、9/11を契機に今80年代の「混沌」の反動が来ている。流動性が大きくなりすぎて、よって立つ足場の確保すらおぼつかないと感じ、何か確固としたもの、誰もが共通して「永遠不滅」と信じられるものをわれわれは求めている。
   
    その中で今回の com-post の試みは、「バザール」の全体像はひとまず置き、今現在なお価値を失わない一角のとりあえずの見取り図を作ろうとするものと見ることができる。おそらくは「バザール」に必要なのは誰にもわかる全体像ではなく、時代を超えて残ってきた「ローカル」な見取り図をいくつもつくってゆくことなのだろう。場合によっては同じ一角にまったく違う見取り図ができるかもしれない。それはむしろ歓迎されることでもある。
   
    となれば、われわれもアイルランドをはじめとしたヨーロッパのルーツ・ミュージック、伝統音楽についての見取り図を作ってみなければなるまい。
   
    そういう意欲が湧いてくるほど、com-post による「1980年代のジャズ100枚」は楽しく、刺激的な企画だった。この100枚、昨日配られたリストには「落選」したものも含めると192枚のアルバムがリストアップされているが、これを可能なかぎり聴いてみたくなった。これから本気でジャズを聴いてみようという人は、いわゆる「ジャズ史の王道」を黎明期から時代を追って聴くよりも、この80年代から入る方が収穫はずっと大きいのではないか。
   
    ジャズにことさら関心がない人でも、良い音楽を聴きたいならば、80年代のジャズは感性を鍛えるのに格好の素材になるとも思う。全部を「わかる」必要もないし、そんなことは不可能だ。しかし、どこへ行くにも一定の手続きを必要とする「伽藍」ではもうない。「バザール」ではどこへ行くのも自由だし、どんなルートをたどってもいい。どこから入ってもいいのだ。思いもかけない感動に出会う可能性はかぎりなく大きい。座談会での村井さんではないが、自分はこんな音楽が好きだったのか、と驚くこともあるだろう。それこそは人生最大の歓びのひとつではないか。(ゆ)