われわれのような貧乏人はバブル崩壊からこちらずーっと不況で、ゼロ金利でカネを吸いあげられ、税源の地方移譲の形で増税され、健康保険料は毎年上がり、これでもっと買い物をしろ、カネを使えといわれたって、もう絞られつくして鼻血も出ないよ。だいたい、景気回復したところで、潤うのは大企業や天下り官僚ばかりで、そこの社員も含めて、まっとうな暮らしをしようとしている人間には恩恵はまったくないことは、この10年で身にしみたからねえ。景気なんて回復しなくていいから、貧乏でもいいから、もっとのんびりと暮らしたいもんだ。
だからいくら不況だと言われても、それでダメージを受けるのは金持ち連中と大企業や天下り官僚も含めてそこにたかってるやつらだけで、こちとらカンケーネーと思っていたら、今月号の fRoots だ。わざわざ1ページ使って、助けてくれと訴えている。先日の PASTE の「救済キャンペーン」にも驚いたが、こっちはもっとびっくりした。こうなってくると確かに不況は他人事ではない。
fRoots は広告への依存が比較的少なく、読者層も強固だから、今すぐどうこうなるという状態ではないと書いてるし、イアン・アンダースン編集長の口調もいつもの軽妙なものだが、こういう訴えをせざるをえなくなっていること自体、かなりの危機感を抱いていることのあらわれだろう。これまでと同じ調子では早晩本物の危機がやってくると踏んでいる。
そもそもこの雑誌は世の流行を追いかけることはせず、自分たちがおもしろいと信じた音楽を追いかけてきた。レコード会社とのタイアップなんてやったことはないし、ライヴやソフトの評価にしても、中味のないものを持ち上げたこともない。だから、誰も知らない音楽や音楽家をとりあげて驚かせても、ぼくらはかれらのセレクトを信じる。ここで最初にとりあげられたものが、後で流行することはよくある。
この雑誌で良いと書かれていれば、評価しているやつは本気で良いと思っている。誰かに頼まれたからと、思ってもいないこと、感じていないことを書くことはない。そういう信頼があるから、われわれはこの雑誌に書かれていることを信用する。たとえ自分の評価とは違っても、書いている人間の誠実さを疑うことはしない。
読者の年間CD購入数の平均が50枚を超えるというのも、そういう信頼の上に築かれてきたのだ。
この数字はたぶん世界一ではないか。どこの国のどの音楽雑誌の編集者、発行人でも、うらやましく思わない人間はいまい。
その雑誌に広告を出さなくなっている、というのはいかにレコード会社が苦しいか。ここに広告を出しているのは、メジャーは少なく、ほとんどは各地のインディーズだ。ここに出すかわりにどこか他の媒体に打つというのも考えられない。広告といっても、ミュージシャン名、アルバム・タイトル、ジャケ写をならべるくらいで、むしろ「こんなん出てます」という告知に近い。
fRoots の場合、まだ救いがあるというのは、ライヴに足を運ぶ人の数は減っていないのだそうだ。あちらはこれからフェスティヴァル・シーズンだが、各フェスの前売券の売れ行きも好調で、対前年比10%増というフェスもあるらしい。海外へバカンスに行っていた人たちが、フェスに回っているのかもしれないが、まずはめでたいことではある。
あちらのフェスティヴァルは、ごく限られた年齢層が集まるわが国のものとはちがって、家族ぐるみで遊びに行ける。それこそ生まれたての赤ちゃんから、じじばばまで、楽しめる。
もちろん、そこには、どの車もタダである高速道路とか、広くて使いやすい公園とかのインフラがあり、さらにはこうしたイベントに様々なかたちで便宜をはかり、カネをつぎこむ地方自治体がある。造るときだけカネをかけるハコモノとはちがって、フェスティヴァルは数万から数十万の人間が毎年集まる。そこで生みだされる音楽(だけとはかぎらない)がまず財産だが、その場でこの人たちがつかうカネだって相当なものになるはずだ。
だが地元はそれでよいとして、ぼくらのような遠くにいる人間には、CDであれ、LPであれ、レコードのリリースが減ったり、インディーズ・レーベルが倒れるのは困る。ひじょうに困る。ネット上でアクセスできる音源は、iTunes や ネット・ラジオはじめ多々あるにしても、まだパッケージに完全に置きかわるものでもない。ネットでリリースするのは、それなりに結構カネがかかるものらしく、メジャーはともかく、ぼくらが聞いているようなルーツ系のインディーズはまだまだ圧倒的にCD依存の世界だ。CDはとにかく製造・流通コストが安い。こんにちのルーツ・ミュージックの隆盛は、パッケージの主流がCDになったことが大きな要因であるのだ。
不況を引き起こした経済活動の恩恵をまるで受けていないのに、不況の被害は直接・間接に受ける、それもひとつの方向からだけではなく、多方面から受ける、というのはまったく理不尽だ。不条理だ。詐欺だ。責任者出てこい。責任をとれ。腹を切れ。
責任者に腹を切らせたからって、状況が良くなるもんでもないが、少くともけじめにはなる。けじめになるということは、気持ちが切り替えられる。あらためて取り組みなおす気分になれるのだ。
だからいくら不況だと言われても、それでダメージを受けるのは金持ち連中と大企業や天下り官僚も含めてそこにたかってるやつらだけで、こちとらカンケーネーと思っていたら、今月号の fRoots だ。わざわざ1ページ使って、助けてくれと訴えている。先日の PASTE の「救済キャンペーン」にも驚いたが、こっちはもっとびっくりした。こうなってくると確かに不況は他人事ではない。
fRoots は広告への依存が比較的少なく、読者層も強固だから、今すぐどうこうなるという状態ではないと書いてるし、イアン・アンダースン編集長の口調もいつもの軽妙なものだが、こういう訴えをせざるをえなくなっていること自体、かなりの危機感を抱いていることのあらわれだろう。これまでと同じ調子では早晩本物の危機がやってくると踏んでいる。
そもそもこの雑誌は世の流行を追いかけることはせず、自分たちがおもしろいと信じた音楽を追いかけてきた。レコード会社とのタイアップなんてやったことはないし、ライヴやソフトの評価にしても、中味のないものを持ち上げたこともない。だから、誰も知らない音楽や音楽家をとりあげて驚かせても、ぼくらはかれらのセレクトを信じる。ここで最初にとりあげられたものが、後で流行することはよくある。
この雑誌で良いと書かれていれば、評価しているやつは本気で良いと思っている。誰かに頼まれたからと、思ってもいないこと、感じていないことを書くことはない。そういう信頼があるから、われわれはこの雑誌に書かれていることを信用する。たとえ自分の評価とは違っても、書いている人間の誠実さを疑うことはしない。
読者の年間CD購入数の平均が50枚を超えるというのも、そういう信頼の上に築かれてきたのだ。
この数字はたぶん世界一ではないか。どこの国のどの音楽雑誌の編集者、発行人でも、うらやましく思わない人間はいまい。
その雑誌に広告を出さなくなっている、というのはいかにレコード会社が苦しいか。ここに広告を出しているのは、メジャーは少なく、ほとんどは各地のインディーズだ。ここに出すかわりにどこか他の媒体に打つというのも考えられない。広告といっても、ミュージシャン名、アルバム・タイトル、ジャケ写をならべるくらいで、むしろ「こんなん出てます」という告知に近い。
fRoots の場合、まだ救いがあるというのは、ライヴに足を運ぶ人の数は減っていないのだそうだ。あちらはこれからフェスティヴァル・シーズンだが、各フェスの前売券の売れ行きも好調で、対前年比10%増というフェスもあるらしい。海外へバカンスに行っていた人たちが、フェスに回っているのかもしれないが、まずはめでたいことではある。
あちらのフェスティヴァルは、ごく限られた年齢層が集まるわが国のものとはちがって、家族ぐるみで遊びに行ける。それこそ生まれたての赤ちゃんから、じじばばまで、楽しめる。
もちろん、そこには、どの車もタダである高速道路とか、広くて使いやすい公園とかのインフラがあり、さらにはこうしたイベントに様々なかたちで便宜をはかり、カネをつぎこむ地方自治体がある。造るときだけカネをかけるハコモノとはちがって、フェスティヴァルは数万から数十万の人間が毎年集まる。そこで生みだされる音楽(だけとはかぎらない)がまず財産だが、その場でこの人たちがつかうカネだって相当なものになるはずだ。
だが地元はそれでよいとして、ぼくらのような遠くにいる人間には、CDであれ、LPであれ、レコードのリリースが減ったり、インディーズ・レーベルが倒れるのは困る。ひじょうに困る。ネット上でアクセスできる音源は、iTunes や ネット・ラジオはじめ多々あるにしても、まだパッケージに完全に置きかわるものでもない。ネットでリリースするのは、それなりに結構カネがかかるものらしく、メジャーはともかく、ぼくらが聞いているようなルーツ系のインディーズはまだまだ圧倒的にCD依存の世界だ。CDはとにかく製造・流通コストが安い。こんにちのルーツ・ミュージックの隆盛は、パッケージの主流がCDになったことが大きな要因であるのだ。
不況を引き起こした経済活動の恩恵をまるで受けていないのに、不況の被害は直接・間接に受ける、それもひとつの方向からだけではなく、多方面から受ける、というのはまったく理不尽だ。不条理だ。詐欺だ。責任者出てこい。責任をとれ。腹を切れ。
責任者に腹を切らせたからって、状況が良くなるもんでもないが、少くともけじめにはなる。けじめになるということは、気持ちが切り替えられる。あらためて取り組みなおす気分になれるのだ。
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