小田光雄氏の「出版状況クロニクル13」にこんな一節。


この2人の著者は引用文からわかるように、書くこと、出版することによって、読まれていくことに対する強い信念がある。作者と出版社と読者の共同体がまだ確固として存在しているのだ。おそらくイタリアにはまだコルシカ書店のようなトポスが根づいているだろうし、それはスウェーデンでも同様なのではないだろうか。それでなければ、ネットの全盛時代を迎えているにもかかわらず、2人の著者があくまで紙の本という形式に熱く執着し、刊行に至った事情と経緯が理解できないであろう。それに2人の著書が秘めているエネルギーは、紙の本によってのみ十全に感応できるように思われる。
しかし日本では『死都ゴモラ』はまったく話題にもならず、『ミレニアム』の2冊も何とか重版にこぎつけたところのようだ。それはイタリアやスウェーデンにはまだ読者の共同体が存続していることに比べ、日本ではすでに崩壊しているからではないだろうか。『ミレニアム』と『死都ゴモラ』の欧米でのベストセラー化と、日本の相変わらずの血液型などのベストセラー現象を対比させると、不遜を承知で言えば、本当に日本は文化先進国どころか、読書後進国だと思わざるを得ない。


    小田氏は出版からしか見ておらず、ここには使用言語の特性がからんでいることには気付いていない。
   
    インド・ヨーロッパ語族では、文章は読まれなければならない。表音文字による表現は、印刷されている(書かれている)記号をすべて読まなければ、内容は把握できないのだ。上記部分に先立つ、『ミレニアム』や『死都ゴモラ』からの引用部分が表すものは、だから、「紙の本」にたいする執着ではなく、「書く」行為、書きことばというメディアへの執着と信頼なのである。
   
    日本語は「読む」必要はない。漢字とかなの混在する文章は、すべての文字を忠実に読まなくとも、内容を把握できる。漢字とかなの塊をぼんやりと「ながめる」だけで、だいたいの内容は把握できる。マンガないしコミック、いわゆるストーリー漫画はこの性質から生まれたものであり、この性質を徹底的に展開応用しているものであることは、今さらここで強調するまでもなかろう。
   
    したがって日本語のネイティヴは書かれたことばに対する執着はごく薄い。ほとんど無いといってもよかろう。
   
    おそらく日本語の書きことばはこれからイメージ記号化がさらに進むだろう。単純化していえば、すべての書きことばはコミックになる。絵文字やそれに類する記号群が開発され、普及する。「常用絵文字表」も制定される。従来おこなわれてきたような文章の使用はごく限られたものになる。あるいは英語で書かれるようになる。
   
    これは良い悪いの話ではない。日本語の書きことば、漢字かな混淆文という形式を発明したときに定められた方向性であり、逃れることはできない必然の結果だ。録音メディアが、デジタル化したときにパッケージからの離脱が定められたのと同じだ。ただ、ことばの方が展開に時間がかかるだけのことだ。
   
    つまりはマンガ、コミックの誕生は日本語の書きことば発展のうえで当然出現するひとつのステップであり、だからこそ、この「出版状況クロニクル」でも指摘されているように、戦後日本の出版業界、出版社、取次、書店を支えてきたのだ。マンガ、コミックは「鬼っ子」ではない、日本語書きことばの正嫡なのだ。

    もう一度上記引用にもどれば、日本語にとって「読書」とはマンガ、コミックを「読む」ことであり、今後、ますますその傾向は強まる。それが意味するもうひとつの傾向は紙媒体からの離陸だ。録音メディアがパッケージから離陸したように、書きことばは紙から解放される。そのことは紙媒体の消滅を直接意味しないが、従来のように紙がことばを支配することはなくなる。
   
    さらには、ひょっとすると、ことばは文字の支配をも脱するかもしれない。まだ妄想に近いが、日本語書きことばの「絵文字化」が極限まで進行すれば、可能性は無いとはいえない。
   
    出版が紙に書かれたことばの複製、配給のシステムを意味するなら、紙媒体による書きことばの独占が崩れている以上、そして出版業界のビジネス・モデルがその独占を前提にしている以上、従来型の出版産業はすでに崩壊している。今あるのは惰性で進んでいる船だ。
   
    したがってアジアへ進出しても、出版業に未来はない。そこでは日本以上にことばの紙媒体からの離脱が進んでいる。紙による出版業が遅れていた分、紙からの離脱は早い。従来はテクノロジーの後進地域が、技術爆発で先進国を跳びこしてしまうのはここでも同じだ。アジアの電話網は電信柱を延々と立てるのではなく、衛星を使って構築されている。
   
    この観察があたっているとして、さて、ではどうすれば、紙から離脱したことばによって収入を得るか。

    ひとつのヒントはアプリ内課金が可能になった iPhone アプリかもしれない。