まだ時間があるとうかうかしていたら、もう1週間ないじゃないですか。
まあ、ぼくの持ち時間は1時間だし、だいたいの方向は「うた」を聞いていただく、と決めているし、今回の「メイン・エベント」は O'Jizo だし、気楽なものではあります。
とはいえ、そうだ、資料を作らなくちゃならない。うたを聞いていただくには歌詞対訳を配ることが必須なので、その準備をして、金曜日までにはN@蒲田アカデミアさんに送らなければいけない。余談だけど、「N」氏というのは星新一さんの作品によく出てきましたなあ。
それに今回は選んでいたら、なぜかアイルランド語のうたがぽんぽん浮かんできて、うたはほとんどそればかりになりそうなので、歌詞対訳はよけいに大事。
これからまだ持ち時間内に収まるように絞らなければなりませんが、候補にあげているのはドロレス・ケーン、ラサリーナ・ニ・ホニーラ、スーザン・マキュオン、ムイレン・ニク・オウリーヴ&ジュリー・ファウリス、ローシン・エルサフティといった人たち。オムニバス《イシュト》とその続篇から誰か。それにそうそう、ロージー・スチュアート。この人は英語のうた。かつて音友から出た『アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド』の巻頭、1990年代を代表する録音の1枚してとりあげたおばちゃん。ありゃ、女性ばかりだな。
アイリッシュ・ミュージックに出会うのにいきなりアイルランド語のうたという、最もディープな、核心も核心、原子核そのものをもってくるのもどうか、という声も聞こえてきそうではあります。なんでもそうなんですが、「入門」と称して、口当たりのよい、いや耳当たりのよい、箸にも棒にもひっかからない、終わったらすぐに忘れられてしまうようなものをもってくるのは、どうも腑に落ちないのです。
それに聞いているものが上澄みか、最先端か、奥義かは、はじめて聞く人には、そもそもわからない。だったら、一番の「肝」(「キモ」であります)をまず味わっていただくのは、むしろ当然ではないか。それで、やはりこれは自分には合わない、ということも判断しやすくなる。案外忘れられがちですが、あるものが自分には合わないとわかることは、時には合うとわかることよりもずっと大切です。
入門であれば、むしろ、一度聞いたら、よい意味でもわるい意味でも、忘れられない、そういうものを聞いていただきたい。自分がアイリッシュ・ミュージックに出会ったときのことを考えても、出会いとは本来そういうものであります。たまたま聞いたものが、どこか、なぜか、ひっかかる。もう一度聞いてみたい、と思わせるものがある。当然ながらそこではまだ、良いか悪いかもわかりません。良し悪しはわからないけれど、とにかく聞いてみたい。似たものはあるのか。
実は今回、O'Jizo のメンバーにアイリッシュ・ミュージックとの出会いを語っていただこうと計画しているのも、そういう出会いをご来場の方々にいわば疑似体験していただく、という趣旨です。
もちろん初めての出会いだけではなくて、もうハマってますという方がさらにハマることも期待してます。
そういう出会いが、あるいはさらにのめりこむケースが、一つでも起きればよいな、ご来場の方々のうち、一人でも「引っかかって」くれればうれしい。というつもりで、アイルランド語のうたと、そして同じくらい大事な英語のうたと、そしてぼくの担当では、O'Jizo が演奏しないけれどやはりアイリッシュ・ミュージックではとても大切な楽器イルン・パイプを紹介する映像を提供する予定です。
もっとも、それはまあいわば刺身のツマで、本来の趣旨は、現在日本最高のアイリッシュ・バンドのひとつであり、世界でも一流に数えられるバンドである O'Jizo の演奏を、禁煙、ノン・アルコールの環境で、すばらしい音で、たっぷり聞いていただこうというものです。Nさんに指摘されてようやく気がつきましたが、ふだんパブ以外の場所でアイリッシュ・ミュージックの生演奏を聞けるのは案外少ないのですね。
ぼくがこの企画にとびついたのも、O'Jizo のライヴをたっぷり聞けると思ったからであります。
さて、では、資料作りに突入します。(ゆ)
まあ、ぼくの持ち時間は1時間だし、だいたいの方向は「うた」を聞いていただく、と決めているし、今回の「メイン・エベント」は O'Jizo だし、気楽なものではあります。
とはいえ、そうだ、資料を作らなくちゃならない。うたを聞いていただくには歌詞対訳を配ることが必須なので、その準備をして、金曜日までにはN@蒲田アカデミアさんに送らなければいけない。余談だけど、「N」氏というのは星新一さんの作品によく出てきましたなあ。
それに今回は選んでいたら、なぜかアイルランド語のうたがぽんぽん浮かんできて、うたはほとんどそればかりになりそうなので、歌詞対訳はよけいに大事。
これからまだ持ち時間内に収まるように絞らなければなりませんが、候補にあげているのはドロレス・ケーン、ラサリーナ・ニ・ホニーラ、スーザン・マキュオン、ムイレン・ニク・オウリーヴ&ジュリー・ファウリス、ローシン・エルサフティといった人たち。オムニバス《イシュト》とその続篇から誰か。それにそうそう、ロージー・スチュアート。この人は英語のうた。かつて音友から出た『アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド』の巻頭、1990年代を代表する録音の1枚してとりあげたおばちゃん。ありゃ、女性ばかりだな。
アイリッシュ・ミュージックに出会うのにいきなりアイルランド語のうたという、最もディープな、核心も核心、原子核そのものをもってくるのもどうか、という声も聞こえてきそうではあります。なんでもそうなんですが、「入門」と称して、口当たりのよい、いや耳当たりのよい、箸にも棒にもひっかからない、終わったらすぐに忘れられてしまうようなものをもってくるのは、どうも腑に落ちないのです。
それに聞いているものが上澄みか、最先端か、奥義かは、はじめて聞く人には、そもそもわからない。だったら、一番の「肝」(「キモ」であります)をまず味わっていただくのは、むしろ当然ではないか。それで、やはりこれは自分には合わない、ということも判断しやすくなる。案外忘れられがちですが、あるものが自分には合わないとわかることは、時には合うとわかることよりもずっと大切です。
入門であれば、むしろ、一度聞いたら、よい意味でもわるい意味でも、忘れられない、そういうものを聞いていただきたい。自分がアイリッシュ・ミュージックに出会ったときのことを考えても、出会いとは本来そういうものであります。たまたま聞いたものが、どこか、なぜか、ひっかかる。もう一度聞いてみたい、と思わせるものがある。当然ながらそこではまだ、良いか悪いかもわかりません。良し悪しはわからないけれど、とにかく聞いてみたい。似たものはあるのか。
実は今回、O'Jizo のメンバーにアイリッシュ・ミュージックとの出会いを語っていただこうと計画しているのも、そういう出会いをご来場の方々にいわば疑似体験していただく、という趣旨です。
もちろん初めての出会いだけではなくて、もうハマってますという方がさらにハマることも期待してます。
そういう出会いが、あるいはさらにのめりこむケースが、一つでも起きればよいな、ご来場の方々のうち、一人でも「引っかかって」くれればうれしい。というつもりで、アイルランド語のうたと、そして同じくらい大事な英語のうたと、そしてぼくの担当では、O'Jizo が演奏しないけれどやはりアイリッシュ・ミュージックではとても大切な楽器イルン・パイプを紹介する映像を提供する予定です。
もっとも、それはまあいわば刺身のツマで、本来の趣旨は、現在日本最高のアイリッシュ・バンドのひとつであり、世界でも一流に数えられるバンドである O'Jizo の演奏を、禁煙、ノン・アルコールの環境で、すばらしい音で、たっぷり聞いていただこうというものです。Nさんに指摘されてようやく気がつきましたが、ふだんパブ以外の場所でアイリッシュ・ミュージックの生演奏を聞けるのは案外少ないのですね。
ぼくがこの企画にとびついたのも、O'Jizo のライヴをたっぷり聞けると思ったからであります。
さて、では、資料作りに突入します。(ゆ)
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