Live in Seattle    マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの昨日のライヴの感想を書こうと思ったのだが、とうてい言葉にならない。あれは誰かに言葉で伝えて共有するよりは、ただ胸の奥深くしまっておくべき体験なのだろう。その場に居合わせた人びとならば見知らぬ人間とでも共有できるが、その外には伝えられない。何をどう言おうと、まったくかけ離れたものにしかならない。そう、演奏はこの世のものとも思えなかったが、観客もすばらしかった。初めての人もいたのかもしれないが、会場全体が、店のスタッフまで含めて、音楽に集中していた。いや、生きものだけでなく、 あの場の空気の全分子、建物やバーの備品や酒までもが、聞きほれているようだった。それがあの二人の音楽の力なのだ、といわれれば、それはその通り。しかしそれは二人の音楽が強引に吸いこんでゆくというよりは、一人ひとりの人間、一つひとつのものの中に音楽に感応する部分を見つけ、喚起し、そこで人間やものの方から自発的に音楽に入りこんでゆくのだ。二人の音楽に集中し、ひたりこむことが、他のどんなことよりも、呼吸や鼓動よりも自然な行為であるように。
   
    二人の音楽はアイリッシュ・ミュージックにはちがいない。しかもその最も奥の核心に直結してもいる。それと同時に、ローカルな枠組みとは対極にある、宇宙全体にも通じようかと思える普遍性があふれでてくる。音楽というメディアに可能なかぎりディープで崇高でワイルドでユーモラスな表現。クラシック・マニアならバッハのオルガン曲に、ジャズ・ファンならばコルトレーンの絶頂期の演奏に、ロック命の人ならジミ・ヘンとジャニスの魂の叫びに、聴こえているだろう「何か」。言葉では言いつくせぬ、音楽でしか表現できない宇宙の感情。その場、その時の、1回かぎり、再現不能な体験。
   
    二人と同時代に生まれあわせたことを、二人のライヴを体験できるチャンスを与えられたことを、ただひたすら感謝する。(ゆ)