Stepping Stones: Interviews With Seamus Heaney    Irish Book of the Decade 候補作のおさらい その11。

    英語圏現役最高の詩人にして、批評家、劇作家、翻訳家でもあり、1995年ノーベル文学賞受賞者、「英語圏で最も売れる詩人」の、インタヴューによる自伝+αというところ。一人の人間へのインタヴューだけで560頁の本にするというのは、試みとしては珍しいし、面白い。アイルランド人のおしゃべりには定評があるし、ヒーニィ自身、すぐれたしゃべり屋なのだろう。それを活かすにはベストの形かもしれない。
   
    一人の作家の生涯をインタヴューによって浮き上がらせようという試みは日本語ならば『大江健三郎 作家自身を語る』があるし、関川夏央の『戦中派天才老人・山田風太郎』という傑作がある。どちらもインタヴュアーが定期的に作家を訪問し、聞き取ったものを文章化している。本書のインタヴュアーもはじめはその形を目論んだが、ヒーニィが多忙で自宅にいる時間が少なく、不規則で諦めざるをえなかった。
   
    結局、いくつかの対面インタヴュー、公開の形で行われたものもあり、プライヴェートで行われたものもあるが、その他の大部分は書面によるものを往復する形が採用された。もっともヒーニィは「会話の同時性と書き言葉の深さを備えた文章を即興的に書くという稀有な技量をもっている」ために、文章によってもその場でしゃべっている雰囲気は失われていないそうだ。
   
    インタヴュアーの序文、特殊用語の説明、ヒーニィの年譜、関連地図、本文に出てくる人物の簡単なバイオ、ヒーニィの著作、インタヴューのリスト、索引、それにモノクロのグラビア写真8葉が付く。
   
    ここに掲げられている主なインタヴューだけで百を超える。イングランドの批評家、詩人のイアン・ハミルトンが「生きている中で、最もインタヴューされ過ぎている詩人」と呼んだのも無理はない。が、本書のインタヴュアーはインタヴューが少なすぎると思っていた。ヒーニィほどの文人になれば、新聞や雑誌や放送などのインタヴューでは短かすぎるし、話題も狭すぎる。紙数などの制限を気にせずに、可能なかぎり幅広い話題について、思う存分語ってもらいたい。そう考えてこの企画をヒーニィに持ちかけた。本人が少しでもためらうそぶりを見せれば止めるつもりだったそうだ。むろん、締切などは設けない。
   
    しかし、ヒーニィも乗り気で、2001年に本格的な作業が始まり、最終的に本が出たのが2008年。手元のは2009年に出たペーパーバック。年譜は2009年まで延長されている。この50冊のうち、未読の本で真先に手に入れたのがこれだった。実は複数注文したのだが、最初に着いたのが本書だった。
   
    本文は大きく三つに分かれ、まず幼少年期について語られたあと、各詩集別の話、そして最後にしめくくりがある。詩集は一応刊行順だが、話は必ずしも時間の経過通りには進まない。
   
    話の内容に詩人は一切制限をつけなかったが、ひとつだけ、これだけはやらないと守ったのは、個々の詩を細かく分析すること。それは読者のためにはならないという考えからで、インタヴュアーもその点は同意している。
   
    基本的にはヒーニィの作品に親しんできた人のための本ではあるだろうが、むしろここからその作品に入るというのも悪くはなかろう。詩は慣れるまで時間と手間がかかるものだし、ましてや外国語の詩に親しむのは結構根気が要る。その根気を養成するツールとして、なかなか粋ではなかろうか。
   
    もうひとつ、ヒーニィは、ティム・ロビンスンを除いて、ひょっとするとこの50冊の著者の中で伝統音楽に最も近い人かもしれない。今世紀初頭、イルン・パイパー、リアム・オ・フリンと組んで "The Poet & the Piper" というライヴを行い、CD (2003) も出している。1973年にはロンドンのラウンドハウスで、やはりアイルランドの詩人であるジョン・モンタギューの戯曲 The Rough Field の上演に関わるが、この時、音楽を担当したのがまだバンドとして活動を始めて間もない頃のチーフテンズだった。さらには、伝統歌のシンガーとして名高い David Hammond (1928-2008) も親友の一人で、1960年代後半には詩の朗読とうたのツアー、Room to Rhyme を一緒に行っている。ヒーニィの詩 "The Singer's House" のシンガーはハモンドのことで、ハモンドにはこのタイトルの傑作ソロ・アルバムがある。共演とプロデュースはドーナル・ラニィ。残念ながらCD化されていない。
   
    ヒーニィの詩の飜訳としては『全詩集 1966~1991』(1995) 、1996年の The Spirit Level『水準器』(1999) 、2001年の Electric Light『電燈』(2006) がある。この後、2006年に出た District and Circle は未訳。
   
    散文は『プリオキュペイションズ—散文選集1968‐1978』 Preocupations (1980>2000) 、『言葉の力』The Government of the Tongue (1988>1997) 、『創作の場所』The Place of Writing (1989>2001) が邦訳されている。
   
    またソフォクレスの『ピロクテテス』を翻案した The Cure of Troy (1991)も『トロイの癒し』(2008) として邦訳が出ている。
   
    と数えると、アイルランドの文人の中ではイエイツ、ジョイス、ベケットを除けば、最も日本語への紹介が進んでいる人かもしれない。ヒーニィ自身、1987年の初来日以来日本とは縁がある。この時には美智子皇太子妃に面会しているし、2005年の天皇皇后のアイルランド訪問時には、ウィックロウ山地の山荘に迎えている。
   
    インタヴュアーは1954年ティパラリ州生まれの詩人、批評家。オスダナのメンバーというから、この人もすぐれた詩人のひとりにちがいない。

オスダナはアイルランドの学問、芸術分野のすぐれた人が選ばれ、終身年金がもらえる制度。定員が決まっている。例えばドーナル・ラニィは伝統音楽分野から初めて選ばれている。ヒーニィもメンバーだし、中でも位の高い特別会員にも選ばれている。(ゆ)