
ここに語られているのは、小さな小さな企画です。広告代理店が間に入ってスポンサーを集め、巨額の資金を投入して巨大な数の不特定多数の人間を動員し、底引き網で味噌も糞もいっしょくたにかっさらい、大儲けする。ひと言で言えば「ヒット」を狙う姿勢とは対極にある企てであり、動機であり、志向であり、手法です。
個人、それもカネもコネもカンバンもジバンも無い、ごく普通の庶民のひとりである個人が、自分や仲間たちが楽しめる、同時に本というメディアとそれが作る世界を盛り上げる可能性を求めて行動を起こした、その記録。
この人びとが持っていたのは、本に対する愛着、本の作る世界全体を楽しみたいという欲求、平均よりは少しばかり大きな行動力、知恵を絞り、骨を折ることを楽しむ楽天性、そして他人との協力は惜しまないが、群れることはしない独立精神。
こうした「自立した個人」が本が好きという一点でつながることで、本の世界を盛り上げ、同時に自分たちが住む共同体を活性化しようと行動を起こした。その象徴、要のイベントが「一箱古本市」でありました。
どこまでも個人の営為を積み重ねることでイベントを作ってゆく。地方自治体や地元企業のような組織を利用することはあっても、主導権はあくまでも個人の集団が握ります。
鍵は企画に参加する全員がそのプロセスを初めから最後まで楽しむこと。楽しもうという姿勢と楽しませる配慮の相乗効果でしょう。本との多様なつきあい方をそのまま受け容れ、何かを排除することをしないこと。そして、大きなこと、大きくなることを目的としないこと。つまり優劣を競わないこと。
これまでの世界、われわれの社会は大きいことを第一とし、小さなことの価値を認めませんでした。世界全体は置くとしても、わが国は19世紀後半以来ひたすら大きくなることを求めました。「大国」であることが何より大事なことでありました。政治的に失敗すると、経済で大国になろうとしました。その結果として、われわれは今、お先真暗の「未来」を前に立ちすくんでいます。
もっとも「未来」とは本来お先真暗なものであります。そこに見えるとわれわれが思っていることは、われわれの願望にすぎません。われわれは実際には手探りで前に進んでいます。
その「未来」があらためて「お先真暗」に見えるならば、われわれはわれわれ自身が何を望んでいるのか、何を見たいと、どうありたいと思っているのか、それがわからなくなっているのです。
そして、大きなことを至上命題とするかぎり、われわれは自分たちが望むもの、こうなってほしい、こうありたいと考えることをもはやつかまえることはできない。おそらくは。
そんなものはつかまえなくてもいい、という向きもあるでしょう。未来はお先真暗のままでいい、という人もいるはずです。なかなか度胸のいい人たちです。あるいはあの「アパッチ族」の末裔かもしれません。
でも、それはやはりまずいのではないか、と考える人もいます。自分たちが、個人として、また共同体として、何を望むのか、つかまえたい。少なくともつかまえようと努力したい。あるいは明確な欲求ではなく、漠然とした不安、何となくつまらない、何かが足らないという感覚かもしれません。面白いことをやりたい。
そこで大きなことを避けて、小さなこと、自分たちの手が届く範囲のこと、身の丈に合うことで、この欲求を満たそう、不安を薄めようとした人びとがいました。本という小さなメディアを愛する人びとです。
本書を読むかぎり、本を媒介として自分たちの願望を垣間見ようとした試みは、各地で成功しているようです。成功という意味は、自分たちの願望が見えたというのではなく、どのような形であれ参加した人びとが、楽しいと感じ、またやろうと思っていることです。
一つひとつはバラバラなイベントにつながりがあるように見えるのは、著者の存在があるからです。本を媒介にして、共同体の中にゆるやかなつながりを回復しようとする各地の企てを、今度は南陀楼綾繁という個人がつないでゆく。
ひょっとすると、これが続いてゆくことで、われわれが未来に求めるものが、おぼろげでも見えてくるかもしれない。その希望がここにはあります。「元気が湧いてくる」と言うのはここのことです。
本というメディアの小ささを承知しており、その小ささを本にとっても本で遊ぶ人びとにとってもプラスと考える。肩肘張らずに、ごく自然にそれができる人びとが現れてきている。これが希望でなくて、何が希望でありましょうや。
ここで大きなことの追求と小さなことの積み重ねが共存できない、と考えるのも性急でしょう。ただ、これまでのわれわれは、この二つを同時に行うことはどうも得意ではなかったようです。小さなことをやるための訓練を、組織的にほどこすこともありませんでした。教育は常に大きなことのやり方を教えようとするのみで、それはおそらく今でも変わっていません。そこでは小さなことをやるのに必要な資質、乱暴に言ってしまえば、個人として自立できる資質は、大きなことをやるのに必要な資質、ここでも乱暴に言ってしまえば、組織に組込まれて協調できる資質と相容れないと思われているようです。
というのは、本書の範囲からは少し脱線しました。まあ、これまでが大きいことの良さばかりが強調されていたので、小さなことを扱う場合には、そこに集中した方がバランスはとれるというものです。(ゆ)
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