A Secret History of the IRA    Irish Book of the Decade 候補作のおさらい その39。

    2007年にアイルランドと英国向けに第二版が出ている。
   
    著者は長年にわたって「北」の「トラブルズ」を取材していたジャーナリストで、カトリック、プロテスタント、英国政府のいずれにも深く関わり、そのニュース・ソースのネットワークでは抜群のものがあったらしい。
   
    刊行当時、大いに物議を醸し、IRAの奥深くからの情報にもとづいて大いなる陰謀を暴いた偉大な本と持ち上げる向きもあれば、一方に、ごく一部の見解に無批判に基いた、偏向して独善的な叙述と非難する者もいる。
   
    まだ現物を読んでいないから大きなことは言えないが、各種書評を読むかぎりでは、いろいろ他にはない新たな事実、新たな展開を盛り込みながらも、それらの事実、展開を有機的に関連づける全体像に欠けるため、説得力を失っている、というところか。事実や経緯を冷静に述べて、現実感のある歴史を描きだすというよりも、身についてしまった「新聞見出し」を追うセンセーショナリズムに引きずられた結果、記述が空回りしてしまった、と想像する。
   
    基本的にはIRAをその創設から20世紀末、聖金曜日合意までの足跡を追ったものらしい。しかし、大部分は90年代末からのいわゆる和平プロセスにおけるIRA指導部、ありていに言えばシン・フェイン党首ジェリー・アダムズの動きを追っている。その主張は、アダムズがIRAとシン・フェイン党の大部分を裏切り、共和主義運動の大義を犠牲にして和平プロセスを推進した、そしてアダムズの裏切りはかれが党首になってからの20年間ずっと続いていた、というものらしい。
   
    いかにアダムズが有能な政治指導者で、権謀術数にも長け、現場の信頼が篤いとしても、ただ一人で共和主義運動を、それに参加している大部分の人びとの意向とは反対の方向へ動かせるとは、素人目にも、外野からの観察としても、とても信じられない。
   
    この本の背景には聖金曜日合意によってシン・フェインとIRAは、もっとありていに言えばカトリックは、反英闘争の目標を達成できないまま妥協した、という感覚がある。この挫折感を抱えた人びとは、そのはけ口として、アダムスを標的にする傾向があるように思える。
   
    傍から見れば、権力共有政府の大きな部分を担い、カトリックを守る、あるいはカトリック差別を否定ないし柔らげることは、武装闘争時代よりも遥かに容易になっただろうと見える。
   
    むろん、そう簡単にプロテスタント側が既得権益を手放すはずもないが、しかし少しずつでも変化が出ていることは、プロテスタント側にも不満が高まっていることからもわかる。何しろノーザン・アイルランドは、宗派抗争の名を借りた経済的な階級闘争に血道をあげている間に、地域経済全体が衰退しきってしまった。それだけでなく、「ケルティック・タイガー」と化した「南」にあっさり追いぬかれ、はるか後塵を拝する羽目になってしまった。カトリックに任せるとああなるぞ、とバカにしていた共和国に、である。
   
    北のカトリックにしても、いくら南が繁栄したところで、その余録が直接北に回ってくるわけではない。あくまでもノーザン・アイルランドの地域の中でやっていかねばならないわけだ。
   
    聖金曜日合意は、ミモフタもない言い方をすれば、ノーザン・アイルランドのプロテスタントもカトリックももう後がない、このまま対立抗争を続ければ、共倒れになって、かつての共和国以上のどん底に落ちこんで二度と這いあがれなくなる、という恐怖の産物である。
   
    当然、カネがすべてではないと思っている人間は多い。IRAの反英闘争はカネのためではない、少なくともカネのためだけではない、と思っている人間はたくさんいる。そういう人たちにとっては聖金曜日合意は反英反プロテスタント闘争の大義への裏切りに映る。闘争で犠牲になった人びとはいったい何のために死んでいったのか、というわけだ。
   
    アイルランドの20世紀における反英闘争、あるいは共和主義 Republicanism と呼ばれる運動は、そうした二面性をおそらく常に抱えていたのだ。いや、ノーザン・アイルランドだけではない、抑圧に対する闘争とは常に思想と経済の両面を抱えているのだ。そして、現実の解決は常に経済をベースとしておこなわれる。思想、すなわち人の生き方は常に取り残される。
   
    ノーザン・アイルランド紛争は20世紀でも最も長い紛争だった。カトリック側でこれを担ったIRA、正確には Provisional IRA つまりIRA暫定派は、当然単なる反政府武装組織ではない。その主要目的のひとつは、プロテスタント側からの搾取、抑圧、虐待からカトリックを守ることだった。ということはノーザン・アイルランドの政府、警察(RUC= Royal Ulster Constabulary ロイヤル・アルスター警察)、そして英軍からカトリック住民を守ることである。したがってIRAは場合によってはカトリックのためのほとんど自治政府として機能する。とりわけ、治安維持機関、警察の役割も果す。
   
    和平プロセスの最大の問題のひとつが、RUC の再編、改名であったこと、現在の権力共有政府の最大の問題のひとつが警察管轄権のロンドンからベルファストへの移譲であることは、ノーザン・アイルランド紛争の本質の一端を顕わにしている。ほぼ完全にプロテスタントの要員からなり、プロテスタントの権益を守ることを第一の任務としていた RUC は2001年に Police Service of Northern Ireland と改称・再編された。
   
    IRAとて人間の集団である。マイナスの側面、隠しておきたいことは多々あるはずだ。ましてや、反英反プロテスタント闘争の必要から半分以上は秘密組織である。ノーザン・アイルランドのカトリック地区では絶対的といってよい権力も持っていた。となれば堕落腐敗もまぬがれない。その全貌が明らかになるためには、こうした本の1冊や2冊では間に合わないだろう。
   
    IRAが何であったか。何をし、何をなさなかったか。何故か。それは結局IRAだけの問題ではなく、ノーザン・アイルランド紛争全体の歴史の中で検討されねばならない。この本はその検討のための興味深い素材の一部を提供している、と推測する。それがこの50選に選ばれたのは、ひとつには一種のタブーとなっていたノーザン・アイルランドのカトリック側指導部批判を、やや歪んだ形ながらやってのけたからではないか。
   
    こういう紛争の歴史は、当事者よりも第三者の方がうまく書けるものだ。ドイツやアメリカあるいは北欧あたりの研究者が順当だろうが、わが国にも堀越智氏のような人がいる。その学統を汲んだ人たちに小生としては期待する。カトリックもプロテスタントも納得せざるをえないような、バランスのとれた、包括的かつ徹底的なノーザン・アイルランド紛争の歴史が日本語ネイティヴから現れることを期待する。
   
    ノーザン・アイルランド紛争は20世紀以降世界各地で起こってきた、また起こっている地域紛争の最古最大のものの一つだ。各植民地の独立運動のヴァリエーションの一つとも捉えられるし、独立した旧植民地内の植民地体制に対抗する運動の一つであるし、アメリカ合州国政府の言う「テロとの戦い」の原形とも言える。カトリック、プロテスタントそれぞれがパレスチナの各々の当事者に共感し、肩入れするのも無理はない。ならばノーザン・アイルランド紛争の成り立ち、構造、背景まで含めた全体像を提示することは、現代を相手にする歴史家の仕事として最高にやりがいのあるものの一つではないか。(ゆ)