浅倉久志さんんが亡くなられた際に書いた当ブログの記事を読まれた白石朗さんと主催者の牧夫人にお誘いをいただいて、SFファン交流会に参加してみました。

    今回は中村融さんの発案で、交流会で浅倉さんの追悼をやろうということになり、中村さんの他、白石さん、高橋良平さん、大森望さんがゲストという趣向。編集者として浅倉さんと仕事をされた白石さん、大森さんのお話がメイン、それに最も親しかった高橋さんが間の手を入れられる、という感じでした。
   
    中村さんは浅倉さん直々に翻訳の添削をしてもらったことがあるとのことで、その赤の入った手書き原稿を回覧されていましたが、実にていねいにコメントが入っていたのには驚きました。参加されていた国書刊行会の樽本さんも、かつてディッシュのベストを作られた際、浅倉さんが中の一篇「降りる」の昔のご自分の翻訳を改訂された、そのゲラを回覧されていましたが、これもほとんど真赤になるくらい、それもまことにきれいな、読みやすい赤が入っていました。
   
    浅倉さんは早川書房で通常の翻訳、作品選択の他に、新人翻訳家養成のための添削も引き受けられ、中村さんはじめ何人もの優れた翻訳家がそこから生まれているそうです。表向きは下訳者も使われず、学校で教えることもされず、お弟子さんもとられなかったわけですが、世間一般の眼からは見えにくいところで、しっかり次世代養成に関わっておられたのでした。
   
    森下一仁氏も来られていて、1984年にヴォネガットが来日した際、浅倉さん、当時のSFマガジン編集長今岡清氏、通訳の方と4人でインタヴューをしに行かれた際の話をされていました。
   
    ぼくはまあ、ブログに書いたことをごく手短かに話しただけですので、くわしくはむしろそちらの記事を御覧いただければと思います。
   
    編集担当者としてのお話を伺うにつけ、その翻訳の優秀さに加え、仕事の速さ、手間のかからなさからして、その存在そのものがほとんど奇跡に思えてきます。ほんとうに浅倉久志という人が存在し、活躍してくれたことは、日本語SFにとって、さらには戦後日本語文学にとって、いかに幸せなことであったか、つくづく、思い知らされたことであります。
   
    その思いを再確認したのは、新宿の中国料理屋に場所を移しての二次会の席で、若い交流会のスタッフの方(お名前を失念しました、乞うご容赦)が、前はミステリ系を読まれていたのが、ここ数年SFを読むようになり、翻訳があまりに読みやすいのがうれしい、とおっしゃられたこと。ミステリを読まれていた頃は、話の中に入りこむまで時間がかかったのだが、SFは設定などはずっと入りにくいはずなのに、そこでの苦労が無い、というのです。
   
    これは日本語SFの翻訳がそれだけ優秀であることのひとつの証だと思いますが、それにはやはり浅倉久志、伊藤典夫の存在が大きい。この二人がひじょうに高い水準で日本語SFの翻訳を供給してきた結果、後続の日本語SFの翻訳者たちはそれを目標にせざるをえなくなったわけです。あのお二人の仕事と比べて恥ずかしくない仕事をしなければならない。むろん、肩をならべることは簡単ではありませんが、少なくともそこに向かって努力するようになります。
   
    ミステリでは幸か不幸か、そういう標準になるような翻訳家はいませんし、総体でみればSFよりも点数も多いですから、全体として質が下がる傾向があります。その二次会の席でも出ていましたが、冷静に見ればかなりの「癖」がある翻訳が、それに慣らされてしまったのか、あるシリーズについては「標準」とされてしまう例もあります。翻訳権のある同時代作家の翻訳の場合、基本的に一種類の翻訳しか読者は読めませんから、やむをえないところはあるにしてもです。
   
    浅倉、伊藤の存在はそうした「バイアス」を修正する役割も果たしてきたのでしょう。点数の多さ、作品の幅の広さ、さらには仕事の進め方で、お二人の中ではやはり浅倉さんの翻訳が手本とされるケースが多いと思われます。
   
    お仕事の幅の広さという点で、中村さんが強調されたことのひとつが、浅倉さんのいわゆる「ユーモア・スケッチ」もののお仕事。あれは浅倉さんの独創による、いわば新ジャンルであり、浅倉さん自身、愛着と自信を持っておられたものである、分量からいっても、翻訳者としてのほぼ全キャリアに渡って続けられたことにしても、SFとならぶ、浅倉さんのいわば「別棟」のお仕事として評価されるべきであるとのご指摘は眼からウロコでした。
   
    今月発売のSFマガジンは浅倉久志追悼号で、識者の選んだ浅倉さんの翻訳の再録が柱の一つになるそうです。また、単行本としても、浅倉さんのお仕事を集めたアンソロジーも予定されているとのこと。
   
    明治以来、日本語の、特に書き言葉は翻訳によって作られてきました。浅倉久志の訳業はそのいわば本流の一角、それも小さくない一角を担うものとして、これからもくり返し賞味検討されるに値するもの、との想いを新たにしたことでありました。
   
    まことに楽しい機会をつくっていただいた、白石さん、牧さんにあらためて感謝。(ゆ)