先週土曜日のSFファン交流会の件で書き忘れていたこと。
森下一仁さんとぼくの他に牧真司さんも浅倉さんの思い出を語られてました。カナダの同人誌が日本のラファティ特集号を出したとき、浅倉さんと伊藤さんが英文のコメントを送られたのだそうです。その現物も回覧されてましたが、残念ながらぼくは拝見するチャンスがありませんでした。
もう一つ、二次会で話題になったこと。浅倉さんの翻訳の師匠あるいは手本は誰だったのか。
浅倉さんとて、初めは誰かの翻訳を手本とされたはずですが、それが誰だったのか、わからない。当時SFの翻訳をされていた人たちを手本にされたけしきもありません。その頃SFが好きで翻訳をしていた先輩と言えば、福島正実と矢野徹の二人がいますが、どうもこの二人に習ったとも思えない。
中村さんもご指摘されていたように、矢野さんを浅倉さんは先輩として慕われ、頼りにされていました。矢野さんのご葬儀の時、弔辞を述べる浅倉さんの落胆されたご様子にはまことに痛々しいものがありました。ですが、翻訳のお手本にされたかとなると、お二人の翻訳はいささか違いが大きい。
映画評論の双葉十三郎の翻訳を浅倉さんが高く評価されていたことはありますが、手本や師匠とまで言えるのかどうか。
あるいは伊藤さんあたりにおたずねすればあっさり氷解するのかもしれませんが、日本語の系譜の上からも、結構大事なことではないかと思います。
あるいは翻訳自体の師匠は明確な存在が無くとも、日本語を書く上で手本とされた、あるいは影響を受けた書き手はいたはずで、いずれどなたかが解明してくださることを期待します。
影響といえば、村上春樹がヴォネガットの翻訳者で影響を受けた人として浅倉久志の名を挙げていないのは、やはり韜晦ではないか、というのも、酒の上の話として出たことでありました。(ゆ)
森下一仁さんとぼくの他に牧真司さんも浅倉さんの思い出を語られてました。カナダの同人誌が日本のラファティ特集号を出したとき、浅倉さんと伊藤さんが英文のコメントを送られたのだそうです。その現物も回覧されてましたが、残念ながらぼくは拝見するチャンスがありませんでした。
もう一つ、二次会で話題になったこと。浅倉さんの翻訳の師匠あるいは手本は誰だったのか。
浅倉さんとて、初めは誰かの翻訳を手本とされたはずですが、それが誰だったのか、わからない。当時SFの翻訳をされていた人たちを手本にされたけしきもありません。その頃SFが好きで翻訳をしていた先輩と言えば、福島正実と矢野徹の二人がいますが、どうもこの二人に習ったとも思えない。
中村さんもご指摘されていたように、矢野さんを浅倉さんは先輩として慕われ、頼りにされていました。矢野さんのご葬儀の時、弔辞を述べる浅倉さんの落胆されたご様子にはまことに痛々しいものがありました。ですが、翻訳のお手本にされたかとなると、お二人の翻訳はいささか違いが大きい。
映画評論の双葉十三郎の翻訳を浅倉さんが高く評価されていたことはありますが、手本や師匠とまで言えるのかどうか。
あるいは伊藤さんあたりにおたずねすればあっさり氷解するのかもしれませんが、日本語の系譜の上からも、結構大事なことではないかと思います。
あるいは翻訳自体の師匠は明確な存在が無くとも、日本語を書く上で手本とされた、あるいは影響を受けた書き手はいたはずで、いずれどなたかが解明してくださることを期待します。
影響といえば、村上春樹がヴォネガットの翻訳者で影響を受けた人として浅倉久志の名を挙げていないのは、やはり韜晦ではないか、というのも、酒の上の話として出たことでありました。(ゆ)
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