In the Forest    Irish Book of the Decade 候補作のおさらい その42。

    ウィリアム・トレヴァー、ジェニファ・ジョンストンとともに現役最長老世代の19作めの長篇。小説作品としてはこの後、2006年に The Light of Evening がある。
   
    いわゆるチック・リット、この50選の中でも最大勢力ともいえる女性の視点からの小説の元祖はこの人かもしれない。日本語への紹介でも、『恋する娘たち』三部作を筆頭とするそのタイプのものが1970年代後半から80年代前半にかけて集中的に9点が邦訳されている。その他にもエッセイ、昔話など3点の邦訳があるので、50選の中では最も邦訳書の多い人と言える。最新の邦訳はペンギン評伝双書の1冊『ジェイムズ・ジョイス』(2002-09)。
   
    一方でこの人は人間の奥にある闇を直視できる人でもあるようだ。これはそうした作品のひとつで、アイルランド西部の農村部で起きた実際の殺人事件を題材にしている。カポーティの『冷血』に似た手法らしい。
   
    1994年4月29日から5月7日にかけて、クレア州で当時20歳のブレンダン・オドンネルが5人の人間を誘拐し、そのうち3人を殺した。被害者は画家イメルダ・ライニィ、その3歳の息子リアム、それにジョー・ウォルシュ。オドンネルは逮捕、起訴されて終身刑が確定し服役したが、1997年、薬の副作用で獄中で死亡。
   
    主人公はその殺人犯をモデルとした若い男ミシェン・オケイン。父親は母親に暴力をふるい、母親は主人公が10歳のときに死ぬ。それ以後、精神的にハンディキャップがあるとされて各地の施設を転々とするうちに、かれは独自の世界を育てる。とはいえ、それでかれが人殺しになったことを説明はできない。
   
    著者は複数の視点から物語るため、「すべて」が明らかになることはない。書かないことで書きえないことを浮かびあがらせる手法か。
   
    ここで扱われるテーマは政治、性に関する政治、聖職者による性的虐待、児童虐待などなど。これをゴシック小説の手法で語るのがミソか。
   
    タナ・フレンチの『悪意の森In the Woods もそうだが、これもまた森がひとつのメタファになっているようだ。アイルランドには森のイメージは薄いのだが、現れるときは暗さが強調されるところがある。(ゆ)