ロイ・キーン 魂のフットボールライフ    Irish Book of the Decade 候補作のおさらい その43。

    50選に入った二人のスポーツ選手がともに、ハーリングやゲーリック・フットボールではく、サッカー、いわゆるアソシエイティッド・フットボールのスターというのは21世紀の特徴だろうか。「ケルティック・タイガー」を経て、アイルランドのスポーツ精神もまたアイルランドの枠を出て「国際化」したのだろうか。
   
    アイルランドで人気のある、というより新聞などのメディアに頻繁に登場するスポーツとしてはサッカー、ラグビー、クリケット、ゴルフ、ハーリング、ゲーリック・フットボール、テニス、自転車、競馬というところ。皆、屋外の競技だ。
   
    ハーリングなどのいわゆるゲーリック・スポーツは20世紀アイルランド人の故郷への帰属意識養成に大いに貢献した。アイルランドの人びとの意識を直接にはブリテンから引き離し、共和国内にまとめると同時に、各州対抗のシステムを通じて州への帰属意識を高めてきた。映画『麦の穂をゆらす風』が、主人公たちがハーリングを楽しむシーンから始まるのは、反英国の意志と国内対立の双方を象徴していた。1920年11月21日日曜日の午後、英軍補助隊とRIC(ロイヤル・アイルランド警察)が、その日の朝、マイケル・コリンズが指揮した英軍士官11名の殺害に対する報復の対象として、ダブリン対ティパラリのゲーリック・フットボールの試合を観戦中の群衆を選んだのは、偶然ではなかった。
   
    サッカー、ラグビー、クリケットなどはどちらかというと国際マッチを通じて、対外的な帰属意識を強める作用がある。もっともサッカーの場合はその意識の外縁はヨーロッパの内部だし、ラグビー、クリケットは旧英連邦の内部に限られるわけではある。アジアやアフリカは入ってこない。
   
    もちろん、ポール・マグラアとロイ・キーンの二人の書いたもの自体がたまたま優れていたのかもしれない。サッカーという競技自体の要素は作用していないのかもしれない。それでも、これが例えば四半世紀前に同様の試みが行われたとしたら、ゲーリック・スポーツ関連が1冊も入らない、ということはなかったのではないかという気がする。
   
    一方で、アイルランドのスポーツ選手として、おそらく現在最も広く全世界にその名が知られているのもこの人だろう。わが国でもこうして邦訳が出るくらいだ。
   
    スポーツの国別対抗戦は、実弾を使った戦争の代替手段であるだけでなく、たがいの対抗意識や無知から生まれる悪感情を緩和する機能ももっている。サッカーにはお国柄が出るという。ならば、サッカーを通じてある国を知ることは、言語、視覚、聴覚による芸術を通じて知ることよりも、その国の本質に迫れる可能性を秘める。
   
    そしてまた外国を知ることは、自国を知ることでもある。自国を知らない者は、当人は「愛国者」のつもりでも、おのれの国に殺されることになる。(ゆ)