アリソン・クラウスとの《Raising Sand》とそれに続く Raising Sand Review でもののみごとにスターダムに復帰したロバート・プラントが、新たなバンドを立ち上げてツアーを始めています。
レイジング・サンド・レヴューもすばらしかったのですが、そのツアーの後期に参加したバディ・ミラーとプラントはとりわけ意気投合したらしく、この新バンドはバディがバンマス、パティ・グリフィンがセカンド・シンガー、ダレル・スコットが脇をかためるという布陣。ベースはバイロン・ハウス、ドラムス&パーカッションは Marco Giovino。
バディとパティとダレルももちろんリード・ヴォーカルをとれる、というよりはシンガーとしてもプラントとどちらが上かという人たちです。
インストルメンタリストとしても、バディのギターはいわずもがな、ダレルはギター、マンドリン、ペダルスティール、いずれも達人です。ドラムスのマルコは若い人のようですが、ベースのバイロンはナッシュヴィルのベテランとして引っ張り凧の人。
さらにバディ、ダレル、パティの3人はソングライターとしても第一級。
とまあ、ほとんど「スーパーグループ」ですけど、たとえばここにあがっているビデオなど見ると、コンパクトにまとまっている分、レイジング・サンド・レヴュー以上にすばらしく、9月に予定されている新譜(プロデュースはもちろんバディ)がとても楽しみになってきました。バディが脚光を浴びるきっかけとなったエミルー・ハリスの《Spyboy》の感じに似てますね。
パティ・グリフィンは先頃バディのプロデュースで大傑作《Downtown Church》をリリースしましたし、バイロンはバディとのつきあいも長いわけですが、ダレル・スコットを入れるというアイデアは誰のものなのか、ちょっと気になります。アメリカでのプラントのファンはもちろん、バディのファンでも今回のツアーまでダレルの何者か知らなかった人も結構いるらしい。
もっとも(ゆ)にしても《TRANSATLANTIC SESSIONS 3》での、すばらしい演奏で初めてかれの存在を知った口ですから大きなことは言えません。いずれにしても、これからアメリカ、英国とツアーが予定されていますから、これでダレルに光があたるのはめでたいことではあります。
上記サイトにはツアー初日のメンフィスでのセット・リストもありますが、結構幅広い選曲で、レイジング・サンド、このバンドのこれから出る新作、バディ、パティ、ダレルそれぞれの曲にくわえて、ツェッペリン時代のレパートリィも結構やっていて、しかも完全に別の曲にしているのが楽しい。レイジング・サンド・レヴューでも〈Black dog〉のみごとなアレンジが光ってましたが、あれで味をしめたか。
昔とまったく同じことを十年一日まったく変わらずに繰り返す、たとえば今のストーンズのようなやり方を喜ぶ人は多いのでしょうが、(ゆ)は古い曲をとりあげても、別のやり方で、その時々のその人にふさわしいやり方で解釈しなおす方を良しとします。その間の経験をぶちこんで味わいの増すこともあるわけで、その点、レイジング・サンド以降のプラントは、実に良い年のとり方をしています。
そのレイジング・サンド・レヴューのツアーの最中にツェッペリンの再編コンサートがあったわけですが、まだ再編を続けることに未練のあったらしいページを尻目に、コンサートが終わるとプラントがさっさとレイジング・サンド・レヴューのツアーにもどったのも、無理はないでしょう。
もっともプラントはレイジング・サンド以前も、売れないながらかなり面白い音楽をやっていたことは、遅まきながら、後追いで聞いてもわかります。おのれの過去にからめとられてしまっているようなページとは対照的に、自由に好きな音楽を求め、うたいたいうたをうたいつづけてきたその結果として、今、豊かな収穫の時を迎えていると見えます。
レイジング・サンドのだいぶ前、2003年に、例のサハラ砂漠の奥地で開かれる「砂漠のフェスティヴァル」にジャスティン・アダムズと二人で出た時の録音が、このフェスティヴァルのライヴ記録に入っていました。どブルースをやっているのですが、これがひどく良くて、当時ちょうど売り出し中だったティナリウェンなんかとならんでもまったく遜色なく、へー、プラントもいいじゃん、と見直したことでありました。フェスティヴァルの公式サイトに掲載されていたプラントの写真がまた良くて、かれがロックの大スターと知る人間は誰もいないところで、のびのびしている様子が出ていました。
「砂漠の音楽祭」の公式サイトはこちら。
トップ・ページにプラントの言葉が引用されてます。
「(ここでうたうと)そもそもなんで俺がうたをうたうようになったのかを思い出すよ」
このアルバムの昔『CDジャーナル』に書いた紹介文。
FESTIVAL IN THE DESERT
Triban Union/World Village 4980020
今年1月、マリ共和国ティンブクトゥの西60キロ(車で5時
間)のエッサカネで「砂漠の音楽祭」の第3回が開かれた。サ
ハラ砂漠の文字通り真只中にテントを張った会場へと、聴衆の
大半は駱駝に乗ってやってきた。そして世界一辺鄙な場所での
音楽祭はサハラ文化圏の新たな展開を高らかに告げる魔法のイ
ヴェントとなった。その音による記録がこれである。アリ・ファ
ルカ・トゥーレ、ウムウ・サンガレを筆頭とする地元のスター
たちが目白押しだが、モーリタニアやイタリア、フランス(ロ・
ジョ)、なぜかアメリカン・ネイティヴのハード・ロック・バ
ンドやら、ロバート・プラント&ジャスティン・アダムスとい
う名前まである。なじんだ名前も初耳の人びとによるものも、
どの音楽も地上に初めて生まれ出たときのように輝いている。
老ロック・スターにまで砂漠の神が降臨している。これを聞け
ば来年1月あなたはサハラに旅立つだろう。生還の保証はない
が、こういうものを聞きながら死ねれば天国だ。
2003.11.28
レイジング・サンド・レヴューは大所帯でもあり、呼ぶのは難しかったかもしれませんが、このバンド・オヴ・ジョイなら少人数ですし、集客はプラントだけでも十分でしょうから、ぜひ、どこかに呼んでもらいたいところです。バディとパティとダレルとバイロンが来るなら、何をおいても飛んでゆくというあたしのような人間も、少数ながらいるでしょうし。(ゆ)
レイジング・サンド・レヴューもすばらしかったのですが、そのツアーの後期に参加したバディ・ミラーとプラントはとりわけ意気投合したらしく、この新バンドはバディがバンマス、パティ・グリフィンがセカンド・シンガー、ダレル・スコットが脇をかためるという布陣。ベースはバイロン・ハウス、ドラムス&パーカッションは Marco Giovino。
バディとパティとダレルももちろんリード・ヴォーカルをとれる、というよりはシンガーとしてもプラントとどちらが上かという人たちです。
インストルメンタリストとしても、バディのギターはいわずもがな、ダレルはギター、マンドリン、ペダルスティール、いずれも達人です。ドラムスのマルコは若い人のようですが、ベースのバイロンはナッシュヴィルのベテランとして引っ張り凧の人。
さらにバディ、ダレル、パティの3人はソングライターとしても第一級。
とまあ、ほとんど「スーパーグループ」ですけど、たとえばここにあがっているビデオなど見ると、コンパクトにまとまっている分、レイジング・サンド・レヴュー以上にすばらしく、9月に予定されている新譜(プロデュースはもちろんバディ)がとても楽しみになってきました。バディが脚光を浴びるきっかけとなったエミルー・ハリスの《Spyboy》の感じに似てますね。
パティ・グリフィンは先頃バディのプロデュースで大傑作《Downtown Church》をリリースしましたし、バイロンはバディとのつきあいも長いわけですが、ダレル・スコットを入れるというアイデアは誰のものなのか、ちょっと気になります。アメリカでのプラントのファンはもちろん、バディのファンでも今回のツアーまでダレルの何者か知らなかった人も結構いるらしい。
もっとも(ゆ)にしても《TRANSATLANTIC SESSIONS 3》での、すばらしい演奏で初めてかれの存在を知った口ですから大きなことは言えません。いずれにしても、これからアメリカ、英国とツアーが予定されていますから、これでダレルに光があたるのはめでたいことではあります。
上記サイトにはツアー初日のメンフィスでのセット・リストもありますが、結構幅広い選曲で、レイジング・サンド、このバンドのこれから出る新作、バディ、パティ、ダレルそれぞれの曲にくわえて、ツェッペリン時代のレパートリィも結構やっていて、しかも完全に別の曲にしているのが楽しい。レイジング・サンド・レヴューでも〈Black dog〉のみごとなアレンジが光ってましたが、あれで味をしめたか。
昔とまったく同じことを十年一日まったく変わらずに繰り返す、たとえば今のストーンズのようなやり方を喜ぶ人は多いのでしょうが、(ゆ)は古い曲をとりあげても、別のやり方で、その時々のその人にふさわしいやり方で解釈しなおす方を良しとします。その間の経験をぶちこんで味わいの増すこともあるわけで、その点、レイジング・サンド以降のプラントは、実に良い年のとり方をしています。
そのレイジング・サンド・レヴューのツアーの最中にツェッペリンの再編コンサートがあったわけですが、まだ再編を続けることに未練のあったらしいページを尻目に、コンサートが終わるとプラントがさっさとレイジング・サンド・レヴューのツアーにもどったのも、無理はないでしょう。
もっともプラントはレイジング・サンド以前も、売れないながらかなり面白い音楽をやっていたことは、遅まきながら、後追いで聞いてもわかります。おのれの過去にからめとられてしまっているようなページとは対照的に、自由に好きな音楽を求め、うたいたいうたをうたいつづけてきたその結果として、今、豊かな収穫の時を迎えていると見えます。
レイジング・サンドのだいぶ前、2003年に、例のサハラ砂漠の奥地で開かれる「砂漠のフェスティヴァル」にジャスティン・アダムズと二人で出た時の録音が、このフェスティヴァルのライヴ記録に入っていました。どブルースをやっているのですが、これがひどく良くて、当時ちょうど売り出し中だったティナリウェンなんかとならんでもまったく遜色なく、へー、プラントもいいじゃん、と見直したことでありました。フェスティヴァルの公式サイトに掲載されていたプラントの写真がまた良くて、かれがロックの大スターと知る人間は誰もいないところで、のびのびしている様子が出ていました。
「砂漠の音楽祭」の公式サイトはこちら。
トップ・ページにプラントの言葉が引用されてます。
「(ここでうたうと)そもそもなんで俺がうたをうたうようになったのかを思い出すよ」
このアルバムの昔『CDジャーナル』に書いた紹介文。
FESTIVAL IN THE DESERT
Triban Union/World Village 4980020
今年1月、マリ共和国ティンブクトゥの西60キロ(車で5時
間)のエッサカネで「砂漠の音楽祭」の第3回が開かれた。サ
ハラ砂漠の文字通り真只中にテントを張った会場へと、聴衆の
大半は駱駝に乗ってやってきた。そして世界一辺鄙な場所での
音楽祭はサハラ文化圏の新たな展開を高らかに告げる魔法のイ
ヴェントとなった。その音による記録がこれである。アリ・ファ
ルカ・トゥーレ、ウムウ・サンガレを筆頭とする地元のスター
たちが目白押しだが、モーリタニアやイタリア、フランス(ロ・
ジョ)、なぜかアメリカン・ネイティヴのハード・ロック・バ
ンドやら、ロバート・プラント&ジャスティン・アダムスとい
う名前まである。なじんだ名前も初耳の人びとによるものも、
どの音楽も地上に初めて生まれ出たときのように輝いている。
老ロック・スターにまで砂漠の神が降臨している。これを聞け
ば来年1月あなたはサハラに旅立つだろう。生還の保証はない
が、こういうものを聞きながら死ねれば天国だ。
2003.11.28
レイジング・サンド・レヴューは大所帯でもあり、呼ぶのは難しかったかもしれませんが、このバンド・オヴ・ジョイなら少人数ですし、集客はプラントだけでも十分でしょうから、ぜひ、どこかに呼んでもらいたいところです。バディとパティとダレルとバイロンが来るなら、何をおいても飛んでゆくというあたしのような人間も、少数ながらいるでしょうし。(ゆ)
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