
ちなみに、ペーパーバック版 VIII と IX の刊行予定は来年5月、2冊同時です。アマゾン・ジャパンでは予約受付始まってますが、うわわ、合計1万円超だぜ。Amazon.uk で買った方が送料入れても1冊1,000円近く安いぜよ。
表紙はアマゾンのサイトにあるものと全然違って、映画『静かなる男』の、メイヨー州でのロケ風景。地元の新聞社が撮ったもの。このアマゾンの表紙はトリニティ・カレッジの図書館かな。
元版は2003年刊行。このペーパーバック版は本文891頁、文献リスト114頁(!)、索引52頁。巻末に別刷で写真図版24葉、収録図版92。この図版は撤退する英軍と入れ替わりに駐屯地に入るアイルランド軍という象徴的な写真から、モノクロながらこの時期を代表する視覚芸術家(建築家を含む)の作品まで収録した充実したものです。
収録論文は27本。執筆者は26人。政治・経済のみならず、文学、視覚芸術、音楽、マスメディア、教育、移民、そして掉尾を飾るのは19世紀半ばから1984年までのアイルランドの女性史。
1984年というのは「新アイルランド・フォーラム」の年。共和国政府が音頭をとり、ノーザン・アイルランド紛争解決策を、ユニオニスト代表もまじえて真剣に討議し、当時実現可能とされた提案をしたものです。フォークランド紛争(マルビナス戦争)の戦勝で得意の絶頂にあったサッチャー英首相がこれをまったく相手にしない態度をとっておおいに顰蹙を買いました。
音楽は共和国とノーザン・アイルランドを別々の論文で扱っているのが眼を引きます。短いものとはいえ、ノーザン・アイルランドの音楽についてまとまったものは、一般読者が簡単にアクセスできるものとしては貴重でしょう。
音楽にかぎらず、島が分割されている現実を反映している点が、これまでの巻には無い、この巻の特徴です。1921年以降、アイルランド島には二つの「国家」が存在していることをあらためて認識させられます。序文からしてジョナサン・バードンとダーモット・キューの共著になっています。
1984年にはT・W・ムーディ T W Moody が亡くなり、2000年にはFXマーティン F X Martin が亡くなっています。前者はこのシリーズの「言い出しっぺ」で、編集委員会委員長を勤めました。後者はムーディの後を継いで委員長となっています。アイルランドの歴史学を、ナショナリズムに染められ、あるいはこれに奉仕するものから、事実を明らかにする、より科学的現代的な学問へと脱皮させたのが、この二人でした。このシリーズそのものが、そうしたアイルランド流の「修正主義」歴史学を定着させ、またその成果をより広い読者に提供するために構想・実現されています。
「修正主義」史学の最初の成果は RTE と組んだ THE COURSE OF IRISH HISTORY (1967) でした。初版は『アイルランドの風土と歴史』として邦訳もされて、今なおアイルランド史全体をカヴァーする概説書としては唯一無二の邦語文献です。 この初版を、編者であるムーディ、マーティンが時の首相ジャック・リンチに手渡している写真を図版に収録したのは、アイルランドにおける歴史学のターニング・ポイントを示すとともに、この二人への現編集委員会からのオマージュでもありましょう。
歴史学の「修正主義」をめぐっては、むろん素直に移行したわけではなく、むしろ今なおそれについての論争は絶えないようです。ですが、歴史は常にその前提を疑い、修正されつづけなければならないという意味で「我々は今では皆修正主義者だ」というロイ・フォスターの言葉(D Ferriter, The Transformation of Ireland 1900-2000, Introduction, 7)は正鵠を射ています。このシリーズそのものもまた「修正」されることで、真の歴史学は発展してゆくわけです。
実際、この巻が扱う時期については史料の点から見ても近年革命的とも言える変化が起きています。すでにこの巻の刊行準備段階ですら文献リストは100頁を超えていますが、今新たに作れば、おそらくこの数倍になるのではないか。
ディアマド・フェリッターの The Transformation of Ireland 1900-2000 の序文など読むと、この巻に現われた研究成果そのものがもう時代遅れ、新たに出現した史料が踏まえられていない恐れがあるとも思えます。フェリッターのあの本自体が、1921年を一つの時期の開始とするこの本へのアンチ・テーゼとして書かれてもいます。実際、この第7巻の序文冒頭で、20世紀以降のアイルランドを形作ったのは第一次世界大戦と断言されると、ではその第一次世界大戦とアイルランドについてはむしろこちらで扱うべきではないか、と思えます。
この序文で第一次世界大戦を「ヨーロッパの内戦」と捉え、争っていたのは帝国主義列強だけではない、各地の民族集団もまたたがいに争っていた、としているのは炯眼と思いました。列強の地位にはおよばないまでもすでに国家を持っている「民族」はその領土を拡大しようとし、アイルランドのように国家を持たない「民族」は国家を持とうとしたのです。アイルランド自由国とノーザン・アイルランドはまさに第一次世界大戦によるヨーロッパ内部の再編成の一環でありました。第二次世界大戦では今度は世界が再編成されるわけです。
一方で、歴史もまたそれが書かれる時代の枠組みからは離れられない以上、1990年代と9/11、それに「リーマン以後」を体験してしまった人間が書けば、また違った歴史になるのも当然ではあります。
1988年5月、『エコノミスト』誌はアイルランド特集号で、ダブリンはオコンネル・ストリートの乞食の写真の下に「先進国中最貧国」という見出しをつけた。そのわずか8年後、同じ雑誌はその見出しを「アイルランド:ヨーロッパの輝ける星」に変えた。(フェリッター、前掲書)
20世紀アイルランド史はアイルランド史全体の中でも16世紀と並んで最も面白い時期とぼくなどは思っています。アイルランド自由国成立はむろん「事件」ですが、この自由国が共和国宣言を経て、二十世紀をもがきながら生きてゆく、その姿だけでもなかなかにドラマチックで、ありえたかもしれないわが国の姿を重ね合わせたりもします。何より、わが愛するアイリッシュ・ミュージックを伝え、形作っていったのはやはりこの20世紀アイルランドに他なりません。この巻は批判するにしても、やはりまず読んでおかねばならない基本図書ではあるとも思います。
それにしても、このペーパーバック版、いったい誰が買うんだろう。研究者はハードカヴァーでとっくに読んでるでしょうし、アイルランド史に関心がある「一般読者」はもっと焦点を絞った本、それこそフェリッターの本とか、最新の成果を注ぎこんだものに行くでしょうし。結局、あたしのような中途半端なヤツぐらいか。(ゆ)
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