えー、本日は本誌12月号の配信予定日ですが、諸般の事情により遅れます。
アイルランドでは経済に続いて、社会的文化的方面でも大きなできごとがあって大騒ぎになっています。
ヨーロッパ人権裁判所 the European Courts of Human Rights が、妊娠中絶を合法とする条件を明示し、法制化しないのはアイルランド政府の人権侵害であるとの判決を判事全員一致の判断として先週12/17に下しました。
アイルランドでは妊娠中絶は理由にかかわらず犯罪です。憲法で禁止されています。一方で、妊娠中絶は女性の基本的人権であるとして合法化しようとする動きは、特に20世紀末から大きくなっています。この問題は理性ではなく、信仰にまつわる感情がからんでいて、解決を難しくしています。わが国でこれに似た問題を探すとすれば、女性天皇を認めるかどうかの問題が一番近いでしょう。まあ、この件はその前に、これからのわが国に天皇制が必要かどうかも議論されるべきでしょうが、それはまた別の話。
訴訟の中心になった女性(氏名は伏せられています)は稀な種類のガンの前歴があり、意図せぬ妊娠をしたため、これが再発する恐れがあるのではと医師に相談しました。どうやら医学的には妊娠中絶することが母体にとってベストの選択らしいのですが、それは犯罪なので医師は明確な判断を示しませんでした。そこで、ECHR に訴えを起こしたわけです。
裁判は他にも2件のアイルランド女性からの訴えがあり、3件がまとめて審理され、他の2件は人権侵害の事実は無いとの判決が出ましたが、こちらは全員一致ではなく、侵害しているとの少数意見が公表されました。
ヨーロッパ人権裁判所はEUとは別の条約で設立されているもので、その判決は加盟各国政府を拘束します。アイルランドもこの条約は批准しているので、判決にはしたがわなくてはなりません。つまり、人権侵害状態を解消しなければなりません。ただし、どうやって解消するかはアイルランド政府に任せられています。
そこでこの解消の方法をどうするかで論争になっているわけです。妊娠中絶賛成派は中絶を認める法律を早急に制定することを求め、反対派は国民投票を求めています。ちなみに妊娠中絶を認めるか否かの最新の国民投票は2002年3月に行われ、この時は50.4%対49.6%で妊娠中絶を認める憲法修正は否決されました。
外野から見ると、今、国民投票をやれば妊娠中絶が認められる結果になる可能性は高いと思いますが、反対派としては妊娠中絶禁止を延長する可能性が少しでもあるのは国民投票しかない、ということなのでしょう。
アイルランドのこの妊娠中絶禁止はカトリックの教義から来ています。教会は早速絶対反対の立場を公表していますが、聖職者の未成年者への性的虐待スキャンダルで教会の権威は大揺れに揺れているところで、正面切ってこの態度を批判する向きも現れています。
なおここでの妊娠中絶は英語でも単に abortion とされていますが、本来は induced abortion、つまり人工妊娠中絶です。
カトリックだけでなく、キリスト教は一般に妊娠中絶に反対していますが、これはどうやらそう古いものではないらしい。聖書に根拠があるとも思えませんが、聖書はどうにでも解釈できるテクストの宝庫なので、強引にこじつけて根拠にしている人たちもいるでしょう。いずれにしても後世、土着信仰か、ある時期の社会的要請によって加えられた教義と思われます。キリスト教に限らず、宗教の教義には、一見基本的にみえて、新しい社会の変化に応じて加えられたり、変化したりするものが少なくありません。
とはいえ、ヨーロッパで、問答無用で妊娠中絶を禁止しているのはアイルランドだけで、カトリックの強いスペインやイタリアでも合法です。ポーランドですら、強姦によるものや母親の生命・生活が危険にさらされる場合などの条件はつくものの基本的に認められています。
アイルランドでは強姦で妊娠した場合も中絶は犯罪で、1992年にはこのために有名な「X事件」が起きています。強姦で妊娠した14歳の少女が両親とともに英国に渡って中絶を受けようとしたのに対し、法務長官が渡航を禁止する命令を裁判所から得たために、大論争になりました。この時は結局、認めない場合、少女が自殺するおそれがあるとの理由で最高裁が渡航を認めました。
EU加盟にあたっても、2008年にアイルランドが国民投票で一度リスボン条約を拒否した背景には中絶を認めることが条約の一部にあったためと言われます。リスボン条約でもアイルランドに妊娠中絶を認める憲法修正を強制しないと他のEU諸国からの保証をとりつけた結果、アイルランドは翌年二度めの国民投票でリスボン条約を承認しました。
アイルランドの南部つまり共和国におけるカトリック教会の影響が特に19世紀後半以降絶大だったことが理由の一つではありましょうが、それだけではおそらくなく、アイルランドの文化の根幹に妊娠中絶への嫌悪がからんでいるのでしょう。
その一方で、アイルランドでは婚外妊娠率も高かったそうですから、望まない妊娠をさせられた女性も多かったはず。しかも、特に独立後は、強姦はされる方が悪い、つまり女性が誘惑した結果であるとされる風潮が強かったですから、女性の人権もへったくれもあったものではありませんでした。
ということで、この件は、アイルランドにとって大きな分水嶺になるかもしれず、その行方からは目を離せません。(ゆ)
アイルランドでは経済に続いて、社会的文化的方面でも大きなできごとがあって大騒ぎになっています。
ヨーロッパ人権裁判所 the European Courts of Human Rights が、妊娠中絶を合法とする条件を明示し、法制化しないのはアイルランド政府の人権侵害であるとの判決を判事全員一致の判断として先週12/17に下しました。
アイルランドでは妊娠中絶は理由にかかわらず犯罪です。憲法で禁止されています。一方で、妊娠中絶は女性の基本的人権であるとして合法化しようとする動きは、特に20世紀末から大きくなっています。この問題は理性ではなく、信仰にまつわる感情がからんでいて、解決を難しくしています。わが国でこれに似た問題を探すとすれば、女性天皇を認めるかどうかの問題が一番近いでしょう。まあ、この件はその前に、これからのわが国に天皇制が必要かどうかも議論されるべきでしょうが、それはまた別の話。
訴訟の中心になった女性(氏名は伏せられています)は稀な種類のガンの前歴があり、意図せぬ妊娠をしたため、これが再発する恐れがあるのではと医師に相談しました。どうやら医学的には妊娠中絶することが母体にとってベストの選択らしいのですが、それは犯罪なので医師は明確な判断を示しませんでした。そこで、ECHR に訴えを起こしたわけです。
裁判は他にも2件のアイルランド女性からの訴えがあり、3件がまとめて審理され、他の2件は人権侵害の事実は無いとの判決が出ましたが、こちらは全員一致ではなく、侵害しているとの少数意見が公表されました。
ヨーロッパ人権裁判所はEUとは別の条約で設立されているもので、その判決は加盟各国政府を拘束します。アイルランドもこの条約は批准しているので、判決にはしたがわなくてはなりません。つまり、人権侵害状態を解消しなければなりません。ただし、どうやって解消するかはアイルランド政府に任せられています。
そこでこの解消の方法をどうするかで論争になっているわけです。妊娠中絶賛成派は中絶を認める法律を早急に制定することを求め、反対派は国民投票を求めています。ちなみに妊娠中絶を認めるか否かの最新の国民投票は2002年3月に行われ、この時は50.4%対49.6%で妊娠中絶を認める憲法修正は否決されました。
外野から見ると、今、国民投票をやれば妊娠中絶が認められる結果になる可能性は高いと思いますが、反対派としては妊娠中絶禁止を延長する可能性が少しでもあるのは国民投票しかない、ということなのでしょう。
アイルランドのこの妊娠中絶禁止はカトリックの教義から来ています。教会は早速絶対反対の立場を公表していますが、聖職者の未成年者への性的虐待スキャンダルで教会の権威は大揺れに揺れているところで、正面切ってこの態度を批判する向きも現れています。
なおここでの妊娠中絶は英語でも単に abortion とされていますが、本来は induced abortion、つまり人工妊娠中絶です。
カトリックだけでなく、キリスト教は一般に妊娠中絶に反対していますが、これはどうやらそう古いものではないらしい。聖書に根拠があるとも思えませんが、聖書はどうにでも解釈できるテクストの宝庫なので、強引にこじつけて根拠にしている人たちもいるでしょう。いずれにしても後世、土着信仰か、ある時期の社会的要請によって加えられた教義と思われます。キリスト教に限らず、宗教の教義には、一見基本的にみえて、新しい社会の変化に応じて加えられたり、変化したりするものが少なくありません。
とはいえ、ヨーロッパで、問答無用で妊娠中絶を禁止しているのはアイルランドだけで、カトリックの強いスペインやイタリアでも合法です。ポーランドですら、強姦によるものや母親の生命・生活が危険にさらされる場合などの条件はつくものの基本的に認められています。
アイルランドでは強姦で妊娠した場合も中絶は犯罪で、1992年にはこのために有名な「X事件」が起きています。強姦で妊娠した14歳の少女が両親とともに英国に渡って中絶を受けようとしたのに対し、法務長官が渡航を禁止する命令を裁判所から得たために、大論争になりました。この時は結局、認めない場合、少女が自殺するおそれがあるとの理由で最高裁が渡航を認めました。
EU加盟にあたっても、2008年にアイルランドが国民投票で一度リスボン条約を拒否した背景には中絶を認めることが条約の一部にあったためと言われます。リスボン条約でもアイルランドに妊娠中絶を認める憲法修正を強制しないと他のEU諸国からの保証をとりつけた結果、アイルランドは翌年二度めの国民投票でリスボン条約を承認しました。
アイルランドの南部つまり共和国におけるカトリック教会の影響が特に19世紀後半以降絶大だったことが理由の一つではありましょうが、それだけではおそらくなく、アイルランドの文化の根幹に妊娠中絶への嫌悪がからんでいるのでしょう。
その一方で、アイルランドでは婚外妊娠率も高かったそうですから、望まない妊娠をさせられた女性も多かったはず。しかも、特に独立後は、強姦はされる方が悪い、つまり女性が誘惑した結果であるとされる風潮が強かったですから、女性の人権もへったくれもあったものではありませんでした。
ということで、この件は、アイルランドにとって大きな分水嶺になるかもしれず、その行方からは目を離せません。(ゆ)
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