エレン・カシュナーの1987年のデビュー作 SWORDPOINT はかなり評判になったと記憶する。井辻朱美氏の訳で『剣の輪舞』として早川から出ている。好評だったようで、「リヴァーサイド・シリーズ」と呼ばれる主著3冊、2冊の長篇と中篇集1冊はすべて井辻氏の訳で出た。これはその第一作の主人公リチャード・セント・ヴァイアの少年時を描いたノヴェレット。F&SFが半世紀ぶりに隔月刊にもどった、その最初の号、昨年の4月+5月号掲載。カシュナーは音楽ファンでもあって、たしかエレン・ダトロウがしかけた伝承バラッドの小説化プロジェクトで〈Thomas the Rhymer〉を担当していた。これも井辻氏の邦訳がある。
この中篇を書くきっかけになったのも伝承バラッド〈Newry Town (The Newry Highwayman)〉だ、とこの作品につけたコメントで作者が書いている。それも、ウォータースン:カーシィのライヴで聴いて、というのだから、年季が入っている。ちなみにかれらのアルバムでは2004年の《FISHES & FINE YELLOW SAND》Topic Records TSCD542 に収録。ニューリィは現在のノーザン・アイルランド、ダウン州中部の町。ベルファストとダブリンを結ぶルート上の要衝で、したがって追剥にとっても良い「市場」だった。
以下に歌詞対訳を掲げる。原詞とうたについての解説など詳しくはこちら。
ニューリィの街
俺が生まれて育ったはニューリィの街
嘲られて死んだはスティーヴンスタウンさ
馬具職人の徒弟にはいったが
いつもさすらいの剣士と呼ばれたもの
十七で俺は妻をめとった
それはそれは愛したものよ
女房をきれいに楽なくらしをさせるために
王の街道に追剥に出たのさ
黄金卿を身ぐるみ剥いだ、ほんとうだぜ
マノン夫人からもいただいた、グロヴナー広場でのこと
鎧戸を閉めながら、おやすみと挨拶したもんだ
おたからは心から愛する人のもとへと持って帰った
次はコヴナント・ガーデンに行った
みんな俺が花嫁がため、それにスリルとサスペンスのため
ところがフィールディングの一党のやつらが追いかけてきて
あのクソったれのやつらにつかまっちまった
親父は一人息子が、と泣いた
女房は叫んだ、「ああ、あたしはもうおしまい」
おふくろは半白の髪をかきむしった
「揺籠の中で死んでくれたらよかったのに」
花開こうとしている乙女たち6人に俺の棺をかつがせてくれ
白い手袋とリボンをやってくれ
6人の追剥に、俺を運ばせてくれ
そいつらには段平と無条件の自由をやってくれ
死んで墓に運ばれたら
どうかまっとうな葬式をやってくれ
墓に埋めたら、ほんとうのことを話すだろう
「ほれ、やんちゃでニクい若いヤツがくるぞ」
タイトルはこの最後の一節からとられている。小説の筋はバラッドのものとは違うが、このバラッドのこの演奏を聴いて、執筆の方向が定まったのだそうだ。リチャードの若い頃とその母親についてはずっと書きたいと思っていたともいう。思うに、このバラッドの主人公のもう一つの姿、捕まらずに逃げおおせた者のその後が、ふらりと現れてリチャードに剣の手解きをする、正体のよくわからない老剣士なのではないか。
なお「フィールディングの一党」とは、18世紀半ば、イングランド南部の治安判事に任命されたヘンリー・フィールディングが作った「ボウ・ストリート・ランナーズ」をさす。現代警察の嚆矢だ。フィールディングは作家としても現代小説の嚆矢となった『トム・ジョーンズ』を残している。
まず、カシュナーのこの文体が良い。クールで、しっとりしている。すぱりと斬りこむ切れ味するどく、微妙な綾を適確につづる。真のハードボイルドとはこれだろうか。そして、リズムの快さ。緩急の呼吸の巧み。いつまでも読んでいたくなる文章。ひとつ終われば、次が読みたくなる文章。邦訳は読んでいないが、これをどう日本語にしているのかは気になる。それによって描かれる、特異な才能を備えて生まれた少年の脱皮の物語。
ここにはファンタジイの要素はほとんど何も無い。剣技はあるが、魔法はないし、魔術的存在も出てこない。登場するのはすべてごく普通の人間たちだけだし、起きることも現実の範囲内だ。
では、これは中世ヨーロッパのどこかを舞台にした時代劇か、というとそうでもない。リアルな歴史小説というわけでもない。根柢には、ここに描かれているのは、仮の姿をまとった現代世界であり、キャラクターたちは中世ヨーロッパの住人ではなく、現代の、21世紀初頭の、おそらくはアメリカに生きる人間である、という感覚がはっきりと流れている。
ファンタジイ、とりわけ現代の、つまり「ポスト・トールキン」のファンタジイの本質はここにあるらしい。魔法や超自然的存在ではない。それらはいわば補助的要素で、ファンタジイとしての性格を強めるものではあっても、必要条件ではない。現代の社会とそれを作る人間の、ある側面が拡大されるような設定が重要なのだ。超自然的要素を一切使わなくても、それは可能だし、場合によってはその方が成果が大きい。
最も印象的なのは、リチャードと親友で領主の一人息子クリスピンが、一瞬だがたがいにホモセクシュアルな感覚を抱くシーン。少年ならば誰しも一度や二度は何らかの形で体験しているものだが、それを人間存在の本質につながるものとして、これほど鮮やかに、さわやかに描いたものは稀だろう。ふつうは決して表には出ないはずのこの「秘密」を、作者はどうやって探りだしたのか。
ウォータースン:カーシィのライヴがヒントという著者のことばに惹かれて読んだが、俄然、この人の他のものも読みたくなってきた。(ゆ)

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