Amazing Stories 1962年8月号に "Gateway to Strangeness" のタイトルで発表され、1964年の著者第一短篇集 FUTURE TENSE に収録の際、このタイトルに変更。さらに1981年、DAW Books から出した短篇集 DUST OF FAR SUNS 収録の際、"Dust of Far Suns" に改題されている。「光子帆船二十五号」の題で中村融さんによる邦訳が SFM1992年11月号にある。老朽船の光子帆船25号で火星周回の訓練航海に出る6人の訓練生とその教官の話。航路計算用コンピュータにトラブルが起き、あっという間に火星を飛びこし、さらには木星も飛びこしてしまう。その先に重力スイングに使える惑星はない。絶望か。そして、そのトラブルの正体は。
なんといってもこの教官のキャラクターが良い。誰からも嫌われながら、かれに訓練された者は誰でもそのことを誇りとする教師。その訓練を受けて宇宙人として適確と判断された者は皆、トップにまで登りつめる。
一方で、作者は、この人物が抱えているはずの不満、挫折感、歓び、生き甲斐といったものは一切なにも書かない。それはもうみごとなほどで、唯一それらしきものは、三日間自室に閉じこもっていた後に見せる人生の敗残者の姿だが、これまた故意にそういう姿を見せているとることも可能だ。キャラクターの内面を書かないというのはヴァンスの定評だが、こういうところは実際ハードボイルドそのままなのだろう。チャンドラーすらちゃんと読んだことがないので、断言できないが。あくまでも冷静に、感傷を排し、起きたことだけを書いてゆくその姿勢は、まさにこの教官のものにも見える。
一方で、地球軌道を離れてゆくときに訓練生たちが感じる宇宙空間の巨大さ、空虚の感覚の描写。伏線の一部ではあるが、この感覚こそは「センス・オヴ・ワンダー」ではある。こういう描写が、上記のようなハードボイルドな叙述の中に出てくると、そのリアルな感覚は圧倒的だ。同時にこれは登場人物たちが内面で感じているものを外部に投射する形で描写していることもわかる。このあたりの対照と、暗喩といっていいか迷うが、比喩の一種にはちがいない(文学理論の上ではなにか用語があるのだろう)、その使い方の妙がヴァンスの魅力のもとなのだろう。
それにしても、たしかにこれもまた「宇宙観光冒険SF」の一形態ではある。1976年の THE BEST OF と今回読んだ TREASURY にはこれを書くきっかけを明かした著者のコメントがついている。ある時、当時の『アメイジング』誌の編集長だったシール・ゴールドスミスを囲んで、ヴァンス、フランク・ハーバートがポール・アンダースンの家で食事をした際、ゴールドスミスが最近まとめて買いこんだ表紙用の絵を何枚かもってきて、3人にそれぞれ一枚の絵をモチーフに作品を書くよう依頼した。アンダースンが割り当てられた絵は忘れたが、ハーバートは異星人らしきものに切断された人間の首がでかでかと描かれたものをあてがわれた。ヴァンスは光子帆船の群れの絵だった。視覚的効果のために画家が描きこんだ非科学的特徴まできちんと話に反映させるのに苦労したが、ハーバートの絵がまわってこなかったことにはいまだに感謝している。
ちなみにシール・ゴールドスミスは60年代、『アメイジング』を足場に、アンダースンやヴァンスなどの実力派に代表作を書かせる一方、フレデリック・ポールとともにラファティを世に出した名編集者であることは浅倉さんも書かれている(『ぼくがカンガルーに出会ったころ』77pp.)。彼女が発見した作家としては他にディッシュ、ル・グィン、ローマー、ゼラズニイがいる。先日もある人と意見が合ったが、ポールは作家としてよりも編集者としての業績の方が、やはり大きいのではないか。
ついでに言えば、40年代のキャンベル、50年代のバウチャーとゴールドときて、60年代がポールとゴールドスミス、そして70年代はF&SFのエド・ファーマン、というのがアメリカのSF雑誌編集者の代表ということになろう。70年代はオリジナル・アンソロジーの時代でもあって、ファーマンはデーモン・ナイトとテリィ・カーの影に隠れている気配だが、70年代のF&SFは同誌の黄金時代のひとつといっていいと思う。
さらについでに言えば、わが国のSFMが創刊された1959年12月は、ゴールドの『ギャラクシー』が失速して隔月刊になった直後で、そのためSFMはF&SFの日本語版として出発する。福島正実はみずから「日本のキャンベル」を任じてはいたが、『アスタウンディング』そのものは目標とはしなかった。SFMのモデルとしては『ギャラクシー』かF&SFしかなかったのだ。創刊から2年後にF&SFとの特約をいったん打ち切った後、SFMは1966年になってポールが再建した『ギャラクシー』と特約を結ぶ。ここから、ヴァンス、コードウェイナー・スミス、エリスン、ニーヴン、シルヴァーバーグ、ゼラズニイといった作家のばりばりの新作が邦訳されることになる。このあたりの事情も浅倉さんが書かれている(前掲書、92pp.)。思うに福島のSFMの理想像のひとつがここでようやく実現していたのではないか。SFM、少なくとも創刊から森優時代までのSFMは『ギャラクシー』の化身という気がする。
ところでこのノヴェラが発表された同じ月の Galaxy には、かの「竜を駆る種族」The Dragon Masters が一挙掲載されている。翌年からは「魔王子」シリーズが始まる。この頃が作者の創作力のひとつのピークにちがいない。(ゆ)

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