If 1963年5月号に発表。翌年の TIME AND STARS に収録。NESFA Press の短篇全集では第1巻 CALL ME JOE 収録。浅倉さんの手になる邦訳が「分岐点」の題でSFM2002年2月号にある。文明の程度では遅れているが、知能ははるかに高く、潜在能力も高い異星人と出会った時、人類はどうするか。
ファースト・コンタクト・テーマでは遭遇の相手が我々より知能や能力が低いか、あるいはまったく理解不能であるというケースが多い。相手が我々より遥かに能力の高い存在の場合はごく少ない。我々は通常、そうした遭遇を考えたくない。地球上では我々の存在を脅かすような知的存在は存在しない。したがって、我々は「進化の最終形態」でいることに慣れてしまっている。その点で、ここにある「異化作用」はかなり衝撃的。
一方これはスーパーマン・テーマのヴァリエーションの一つでもある。もしスーパーマンが一人ではなく、クリプトン星から大挙して移住してきたら、かれらは「正義の味方」になっただろうか。
そこで問題は自己と他者を厳しく分別しようとすることの危険性ということになる。差異に注目し、これを強調することは往々にして自己の行為の正当化に使われれる。ここでスーパーマン種族を人類への脅威とみなして排除する、「民族浄化」することは正当化できるか。
これを正当化するには、人類、地球人類とは何ものであるかを厳しく定義しなければならない。それははたして、それほどに他とは違った存在なのか。その独自性とはそれほどに貴重なものか。
問題解決の方法として、アンダースンはここでも暴力に頼らないものを提出している。これがハインラインならあっさり皆殺しにしていたのではないかとも思うが、ハインラインではそもそもそういう問題を思いつくまい。しかし、アンダースンの問題意識はアメリカの金科玉条である「自主独立」、自分の運命は自分で決めることの価値そのものに疑問を提出している。
結局のところ、アメリカを造っていった人びとは「自主独立」の旗のもとに、先住民を排除することで国土を確保し、国家を造った。アメリカ・インディアンはほんの少し見る角度を変えれば、ここに登場するスーパーマン種族になる。
この作品を書いているアンダースンに、そこまでの問題意識が無かったとは言いきれない。そしてもちろん問題はアメリカに限られるものではなく、ノーザン・アイルランドや旧ユーゴスラヴィアやあるいはイスラエルで起きた、また起きていることに直接関わる。さらにはおよそ「民族意識」がかかわってくるところにはついてまわるものだ。
「民族自決」の自明性へのこうした疑問はきわどいもので、リアリズムの手法で扱おうとすると、莫大な労力を費してなお成功は保証されまい。こういう問題をこのようにスマートな形で検討することを可能にするのがSFの手法であり、アンダースンはそれをみごとに活用している。この辺がこの人の職人たるところだ。つまりはこうした根本的問題を中心に据えないかぎり、本当のエンタテインメントにはならないと、アンダースンは考えていたのではないかとも思えてくる。(ゆ)

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