3回目の抗がん剤投与では、表面上は健康にみえて、日常生活にもさしつかえはまずないが、体の内部はまだまだ回復していない、と思い知らされました。ので、年内いっぱい、夜のおつきあいはすべて失礼させてきただきます。ライヴもすっぱり諦めます。
時期も重なりましたが、今回のがん発覚、手術、化学療法というのは個人的な3・11であります。震災同様、回復には相当の時間がかかるわけです。完全な健康体にもどれるかどうかもあやしい。共同体は復旧できても、個人はそうはいきません。
がんの「宣告」を受けた直後とか手術の後よりもこの頃になって、「ふしぎにいのちながらえた」実感を噛みしめています。病院はやはり特殊な、臨時の世界で、そこにいることは「非常事態」です。危機の実感が薄い。日常生活が営まれている中にもどると、自分のいまの事態は非常であることが、否応なくつきつけられます。
手術によって確実な死からは救われ、化学療法によって再発のリスクを減らそうとしていますが、リスクがゼロになるわけではありません。放射能の影響も人一倍受けやすいでしょう。残された命数が限られているという感覚は日々強い。だからこそ残りの生のクオリティを少しでも上げたいという意欲は湧いてきます。
がん発覚以後のフランキー・ケネディの気持ちが少しは想像がつくようになったと思えるのは、「ご利益」というべきか。(ゆ)
時期も重なりましたが、今回のがん発覚、手術、化学療法というのは個人的な3・11であります。震災同様、回復には相当の時間がかかるわけです。完全な健康体にもどれるかどうかもあやしい。共同体は復旧できても、個人はそうはいきません。
がんの「宣告」を受けた直後とか手術の後よりもこの頃になって、「ふしぎにいのちながらえた」実感を噛みしめています。病院はやはり特殊な、臨時の世界で、そこにいることは「非常事態」です。危機の実感が薄い。日常生活が営まれている中にもどると、自分のいまの事態は非常であることが、否応なくつきつけられます。
手術によって確実な死からは救われ、化学療法によって再発のリスクを減らそうとしていますが、リスクがゼロになるわけではありません。放射能の影響も人一倍受けやすいでしょう。残された命数が限られているという感覚は日々強い。だからこそ残りの生のクオリティを少しでも上げたいという意欲は湧いてきます。
がん発覚以後のフランキー・ケネディの気持ちが少しは想像がつくようになったと思えるのは、「ご利益」というべきか。(ゆ)
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