中村とうよう氏よりも松平さんの影響を受けてしまったので、結局中村氏はほぼ完全にスルーだった。そういう観点から見ると、中村氏の自殺という結末はどこか納得のゆくものではある。つまるところ中村氏はレコード産業の滅亡に殉じたのだ。
    
    外野というよりも場外から見えた中村氏はレコード産業に奉仕しながら、そうではないポーズを取ることをスタイルとしていた。売れることと音楽の価値は重ならないことを一応の前提にしながらも、商品にならないものは相手にしない。商品となった時点で初めてそれは論評に値するものとなる。裏返せばレコードにならない音楽は存在しない。
    
    中村氏にとって録音パッケージの衰退、さらにはその滅亡は己れの立つ基盤が崩れてゆくように思われたのではないか。YouTube や iPhone/ iPod で聞く音楽など、音楽では無いと感じられたのではないか。
    
    そうした意味で、中村氏の自殺は一つの時代の終焉を何よりも明らかに示すものではある。レコード産業の自殺もまさに進行している。個人とは違い、その自殺には時間がかかり、波及効果も大きい。中村氏の死もまた、そのあおりを喰った結果でもある。
    
    逆に言えば、自殺を選ぶほどに、中村氏はレコード音楽と深く絡みあっていたのだ。月並な表現を使えば、中村氏はレコード音楽と結婚していたのだ。江藤淳が夫人の死に耐えられずに自殺したように、中村氏は生涯の伴侶たるレコード音楽の死に耐えられなかったのだろう。
    
    
    松平さんの姿勢は全く違っていた。松平さんの課題はブラック・ホークという閉鎖空間をどう埋めるか、だった。一つの雑誌を影響力を持てるだけの数を売る、という中村氏の課題とは根本的に異なる。松平さんにとって、流行を追いかける必要はない。むしろ、差別化を考えれば追わないことが戦術として有効になりうる。実際、流行に背を向ける戦術は功を奏し、ブラック・ホークは『ニュー・ミュージック・マガジン』とは別の次元で影響力を持った。
    
    ただし、レコード産業が資本の論理にしたがい、レコード音楽が流行に覆いつくされてしまうと、松平さんの戦術は基盤を失うことになる。
    
    レコード音楽が流行に覆いつくされたと見えたのが表面的な現象であって、実際にはその裏や底では流行から距離を置いた動きや流れが脈打っていたとわかるのは、それから10年も経ってからのことだ。今ならばリアルタイムでそうした動きや流れは見えるだろうが、インターネットはおろか、Mac や PC すら影も無かった当時、情報の伝達は細く、遅かった。レコード産業以外に存在形態があることなど、まったく思いもよらなかった。
    
    流行に背を向ける戦術は背を向ける流行を必要とする。また、背を向けた音楽を必要とする。しかも流行から完全にかけ離れてはいない音楽でなくてはならない。だから「ブリティシュ・トラッド」ではこの戦術は支えられない。やはりアメリカの、少なくとも一部では知名度のある音楽が無ければならない。
    
    ここで強調しておかねばならないのは、「ブリティシュ・トラッド」と当時呼ばれていたアイルランドやブリテンをはじめとするヨーロッパの伝統音楽の愛好者は、ブラック・ホークという閉鎖空間の中でも少数派だったことだ。「ブリティシュ・トラッド愛好会」は一方でそうした音楽のファンを集め、交流をはかることを意図しながら、もう一方でそうしたファンをブラック・ホークの「主流」からまとめて排除することも目的としていた。そうすることでブラック・ホークは、いわば安心してレゲエを聞かせる店への方向転換ができたのだ。
    
    して見ると、全く逆の方向をめざしたように見えながら、中村とうようと松平維秋は同じ流れに棹差していたのだ。ブラック・ホークを離れて以降、松平さんが音楽についてほとんど書かなくなった理由もわかる気がしてくる。松平さんにとって、音楽を聴き、選ぶことと、それについて書くことはまるで別のことだったのだろう。
    
    ただ、文章家、いや詩人といった方がより正確だろう松平さんの文才を想うとき、もっと新しい音楽、今の音楽について書かれたものを読みたかったと、哀惜の想いを新たにする。松平維秋を今の音楽について書かざるをえない場に置いてみたかった、と痛切に想う。
    
    だが、おそらくは松平さんはそうなってもなお沈黙を選んだのではないか、とも思う。録音技術の登場によって音楽は変わった。録音された音楽の流通手段の革命によって、今ふたたび音楽は変わりつつある。中村氏の言説と同じく、松平さんの文章もまた、今過ぎさろうとしている音楽を対象とする時、実をつけるものだった。
    
    そして、この今生まれようとしている新たな音楽は、おそらく中村とうようも松平維秋も必要とはしない。
    
    こう書いてきてみて、中村氏の死に際して、ようやく松平さんの死を実感している。今年の命日に予定している、四谷・いーぐるでの「ブラック・ホークの99選を聴く会」は、少なくともぼくにとっては、松平さんを送る作業に一時期を画すものになるのだろう。(ゆ)