悪天候と放射能にもめげず、店内がほぼ満席になったことにブラック・ホークと松平さんが伝えた音楽の力をあらためて認識させられた。
    
    それにしてもジャズ喫茶時代、レゲエ喫茶時代のブラック・ホークではなく、ロック喫茶時代の音楽だけが語り伝えられているのは不思議でもある。
    
    レゲエ時代については石田昌隆さんがどこかで書かれていたかと思う。ジャズ喫茶時代にしても、「DIG」や「ジニアス」はジャズ喫茶としての名を残しているが、その DIG の支店だったにもかかわらず、後にジニアスを開く鈴木氏や松平さんが「お皿回し」をされていたにもかかわらず、ジャズ喫茶としてのブラック・ホークの名前はほとんど聞かない。ブラック・ホークといえばロック喫茶だ。
    
    今回は常連として先輩になる方々もいらしてくれたのはありがたかった。そこでわかったことは、時代によってかかる音楽は少しずつだが変わっていたこと。たとえば「ハード・ロック封印の儀式」というのがあった。ある日、ツェッペリンとか、パープルとか、フリーなど、いわゆるハード・ロックと呼ばれるレコードが終日かかっていたのだが、それが終わるとそこの棚にテープで封印がされたそうなのだ。以後、ブラック・ホークでハード・ロックがかかることはなく、たまに事情を知らない客がパープルをリクエストすると「ありません」という返事が返ってきて仰天することになる。
    
    それだけでなく、ブラック・ホークの守備範囲の中でも内実は少しずつ変わっていて、「ブリティッシュ・トラッド」が入ってきたり、アイリッシュが入ってきたり、シンガー・ソング・ライターが増えたり、カナダのトラッド系が入ってきたり、という具合だったのだろう。ぼくが接したのはそのひとつの「完成形」または「最後の姿」だった。
    
    そして「トラッド」、つまり今でいうアイリッシュやスコティッシュやイングリッシュ、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の現在形を求めて通ううちに、アメリカのシンガー・ソング・ライターたち、ローカルなミュージシャンたち、ニューオーリンズの音楽などにもピンとくるものを発見してゆく。なにせ、ブラック・ホークにあってさえ「トラッド」はごくマイナーな存在であって、「アメリカもの」がかかっている時間の方が圧倒的に多かったからだ。
    
    ぼくの音楽鑑賞力、評価基準はそうしてブラック・ホークで鍛えられ、刷りこまれた。今はブラック・ホークでかかっていたものとは比べものにならないほど幅広い音楽に親しんでいるが、ハード・ロックやその派生物であるヘヴィメタルの系統をあまり面白いと思わないのは、出発時点での刷りこみのせいだろう。同時に、そうした音楽には「ルーツ系」とは根本的に相容れないものがあるのかもしれない。
    
    それは松平維秋という人の美意識を通じて初めて見えるものかもしれない。しかし松平さんの音楽選択の基準がいまだに影響力を増やしこそすれ、衰えをみせないことを見れば、そこには普遍的な要素もあるはずだ。ハード・ロック〜ヘヴィメタルの系統には、後に松平さんが店を去るきっかけとなった「シティ・ミュージック」と共通するところがあるように思う。
    
    ブラック・ホークは「ロック喫茶」を標榜していたわけだけれど、「ロック」と総称される音楽には当然のことながら様々な流れが混在、同居していた。大きくみて「作られたもの」と「生まれたもの」に分けてみる。すると松平さんは「作られたもの」の価値はほとんど認めなかった。少なくともブラック・ホークの中では。
    
    生まれる音楽の典型であるジャズに比べてロックが作られたものであることとは次元が別の話である。ロックのなかには売るために作られたものがあった。ロック以前の音楽産業のありかたの中で作る部分、ティン・パン・アレィに代表される、作詞、作曲、編曲、演奏いずれも専門家が担当する形の応用でもある。その構造を突き崩すのがビートルズだったわけだが、音楽産業は作る部分は讓りわたしても売る部分は守った。それが突き崩されるのは音楽配信の登場による。
    
    1970年代まではまだ「生まれる」音楽としてのロックがメジャーからリリースされていた。80年代になるとほとんど無くなる。その変化の先駆けが「シティ・ミュージック」だったと言えるだろう。「生まれる」音楽はマイナー・レーベル、後には自主レーベルからしか出なくなる。
    
    1970年代末の音楽産業のその変化に、ブラック・ホークはついていけなかった。ブラック・ホークもまた音楽産業の末端にぶらさがっていたからだ。ブラック・ホークにとってみれば「売るもの」がなくなってしまった形だ。
    
    音楽産業はこうして「成功」する。LPからCDへの切替需要でさらに大儲けする。そしてそのCDが解き放ったデジタル化によって、今度は音楽産業を支えていたはずの外部構造が崩壊する。後に残ったのは「生まれる」音楽だけだ。つまり、音楽は本来の姿をとりもどした。20世紀の音楽は産業によって歪んだものにされていたわけだ。
    
    しかし、それはブラック・ホークには関係のないことでもある。松平さんにとっても果たして関係があったかどうか。ブラック・ホークを離れて以降、音楽について積極的に発言することをぴたりと止めたのはなぜか。あらためて気になってくる。書き手としての松平さんの潔さであったのかもしれない。しかし、それだけなのか。
    
    一方でブラック・ホークで音楽の聴き方を教えられ、価値判断の基準を植えつけられたぼくは、「生まれる」音楽の極北であるブリテン群島の伝統音楽の世界に引きずりこまれ、以来そこをさまよいつづけている。世界はブリテンからヨーロッパ大陸、さらにはアフリカ、ユーラシア、アメリカ、オセアニアと拡がってはいるが、あいかわらず自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのかもわからない。導き手もいない。
    
    不安が募ってどうにもならなくなると、出発点を探す。幸い、録音というテクノロジーのおかげで、出発点を確認するのは比較的容易だ。それがブラック・ホークで聴いていた音楽であり、松平さんが良しとされた音楽である。
    
    ひょっとするとパイオニアとはいつもそうなのかもしれない。ある動きを、あるいは流れを起こした後は、消えてしまう。残るのは「伝説」であり、記憶である。それが次第に、雪だるまのように影響力を増してゆく。音楽産業の虚妄から目覚めた音楽ファン、ファッションや一種の「資格」としてではなく、生きてゆくうえに不可欠の要素として音楽を楽しむ人びとにとって、今や「99選」に象徴されるブラック・ホークと松平維秋の指ししめした音楽は頼れる指針の一つになっている。さらにはそこからのスピンアウトとして、たとえばアイリッシュ・ミュージックの浸透という現象もある。元はといえば、東京の片隅にあった小さな店の「商品」にすぎなかったものなのなのに。
    
    ブラック・ホークはその音楽を除けば、店としての魅力は皆無、というよりマイナス評価しかできないところだった。オーディオは当時の平均的音楽ファンのものより上とはいえ、良い音とはとうてい言えないものだった。コーヒーは常連の間では「泥水」と呼ばれた。初めの2、3回はともかく、定期的に通うような人たちは絶対に注文しなかった。椅子の座り心地は悪く、30分も座っていれば尻が痛くなった。今だったらまず半年で潰れるだろう。
    
    しかし、ここでしか聴けない音楽を求める人間にとっては、そういうマイナス面は何の苦にもならなかった。またここでかかる音楽のレコードは、いざ買おうとするとなかなか手に入らなかった。国内に入っている数は多く見積もって50枚というところではなかったか。英国の伝統音楽ものはさらに少なかった。おそらく二桁届くか届かないかではなかったか。
    
    その英国の伝統音楽、当時「トラッド」と呼ばれた音楽、こんにちのアイリッシュ・ミュージックもその一部に含む音楽は、やはり松平さんの個人的「趣味」から導入されたものだったろう。「生まれる」音楽の極致として、ブルーズと同じ地平にありながら、その対極にある音楽。ブラック・ホークの客にとっても「異質」で「異様」な音楽。
    
    今回かけた中で意外な好評を受けたのが A. L. Lloyd だった。バート・ロイドは英国伝統音楽復興、つまりフォーク・リヴァイヴァルを担った巨人の一人だが、うたい手としてのわが国での評価はあまり高くない。しかし、無心に聴けば、やはりその歌唱は第一級のものなのだ、とあらためて思い知らされた。
    
    そのロイドがかかると、かつてのブラック・ホークでは客が一斉に立って店を出ていった、と当時を知る人は言う。松平さんも書いている。そして「喜楽」や「ムルギー」で腹を満たし、また店にもどってきた。その頃にはロイドのLPは終わっている。
    
    しかしこれもまた時間の経過のなかで徐々に愛好者を増やし、アイリッシュ・ミュージックの世界的爆発もあって、こんにちでは「異質」さや「異様」さはよほど薄れている。「トラッド」はファッションのなかだけの言葉ではなくなっている。むしろ「ブラック・ホーク文化」の一部として市民権を得ているように見える。それどころか、ブラック・ホークは「トラッド」の店だったという誤解すらあるようだ。
    
    だからこういう試みにもたぶん意義はあるのだろう。ぼくにとっては出発点の確認だし、ノスタルジーでもあることは否定できないが、それでもブラックホークをリアルタイムで体験しなかった人びとへの一つの提示としてだ。そして音楽はつまるところ「生まれる」ものが大事で、良きものであるのだ、という主張の一環としてである。
    
    個人的には今回かけたなかで最も感激したのはしかし「トラッド」ものではなかった。ジェリィ・ゴフィンの〈It's not the spot light〉だった。このうたは好きではあるものの、こんなに心打たれたことはなかった。聴いていて涙腺がゆるむのを感じた。そこには「外」で、優れたシステムで、大音量で聴いて初めてわかるものがあるのかもしれない。それともそれ以外の要素もあるのか。もう少し試みを続けるなかで見えてくるかもしれない。
    
    このチャンスを与えてくれたいーぐるの後藤マスターに、あらためて御礼申し上げる。(ゆ)