とくに、すでに読み終わったキンドル・ブックの魅力は
まったく恐ろしいほどの速さで劣化する。
(そこは、音楽の電子ファイル化とはぜんぜん感触が違う。)
裏をかえせば、紙の本はやっぱりとんでもないメディアだ。
文字情報以外の膨大なディテールが意識下に働きかけてくる、一個の宇宙。
紙の本が家の中で場所をふさぐのは、「物質」であることより、
読み終わっても本としての魅力がたいして褪せないことが原因なのだ。
それどころか永遠に読まずに終わっても、
そこに在るだけでチャーミングなんだから始末に負えない。
from「菊坂だより」@みすず書房ニュースレター no. 86 (2011/10/27)


    確かにその通り。
    
    と一度はうなずくのではあるが、しかし一方であの本はどこにいった、と探しまわる必要が無い、めざす本が即座に出てくる、というのはまた別の魅力だ。
    
    音楽もそうだが、デジタル化されることで、ソフトウェアつまり本の中身と、ハードウェアつまりモノとしての本が分離する。「キンドル」が味気ないとすれば、中身だけの味気なさではあろう。
    
    とはいえ、いったん分離されてみると、やはり本質的なのは中身であって、モノとしての魅力はまた別のものなのだ、と気がつく。
    
    読みおわって魅力が劣化するとすれば、それはキンドルのせいではなく、その中身そのものの魅力がそういう性格を備えているからではないか。
    
    中身のつまらない本は、物質としてもやはりつまらない。(ゆ)