あけましておめでとうございます。
    
    年があらたまったからといって放射能が消えてくれるわけではありませんが、われわれ列島の住民は年があらたまることで、新たなエネルギーをもらうことは確かです。より良い環境を子どもたちに残すよう努力を続ける覚悟を新たにしています。
    
    昨年は外にあっても内にあっても、「天地がひっくりかえった」年でありました。それも、小生の大腸がん摘出手術の10日後に東日本大震災が起きるというめぐりあわせでありました。生き残った、生き延びた、という実感が、むしろ日が経つにつれて強くなっています。
    
    昨年の今ごろは貧血が相当悪化していて、ふらふらの状態でした。よくまあ生きていたものよ、と思いかえされます。時代が違えば、あるいはこの現代でも場所が違えば、とうの昔に死んでいたはずです。貧血だけでなく、腸閉塞もがんによるものでしたから、摘出しなければ口から入れたものが通るはずはなく、次第に何も食べられなくなって、餓死していたでしょう。
    
    今年も初詣は大山阿降利神社に行ってきました。昨年はバスの終点からケーブルカーの駅までの階段を昇るのがほんとうに辛かった。体が重かったものです。今年は息は切れましたが、ふつうの息の切れ方で、むしろ体に負荷をかけるのが快いくらい。負荷をかけられるのも健康の証であります。
    
    いつものように、ケーブルの駅から二番目のかんき楼で昼食。ここの湯豆腐ととろろ御飯が好きで、阿降利神社に初詣に来るようになってからは、ずっとここで昼食をとっています。とろろ御飯にはゆずの砂糖漬がついてくるのも◎。今年もこれが食べられる幸せを噛みしめたことであります。
    
    昨年は音楽の方面ではまたネットのありがたみを実感しました。とりわけ《MILES ESPANOL: New Sketches of Spain》からラテン音楽への関心がめざめ、とうとうフラメンコにはまりつつあります。今までは敬して遠ざけていたところもありましたが、フラメンコ自体の変化もあって、おもしろいことになってきました。

    自分ではこれまでどちらかと言えば北方志向、いわば「北耳」をもっていると思っていましたが、嗜好が広がったというよりは、やはりもとから潜んでいたものが表われたという方があたっているようです。節操が無い、と言われればその通りではありますが、ジャズともども、未知の大陸に踏みこむのはたまらなく楽しい。まあ、つくづく新しもの好きなのでありましょう。
   
    昨年の経験から、残された時間が限られていることはひしひしと感じられます。その限られた時間があるうちに、すでに死んでしまった人も含め、一人でも多くの未知のミュージシャンの音楽を、一曲でも多く、聴きたい。
    
    同時に、すでに耳タコの人や人たちの音楽を、あらためて徹底的に聴きたおすこともやりたい。とりあえずはクリスティ・ムーアダギー・マクリーンフィル・ビア、それにブルース・コバーン
    
    ようやく小説がまた読めるようになってきた気配もあって、読みたい本はいくらでもありますし、再読したい本もまたたくさんあります。まずは『ゲド戦記』と『ウロボロス』かな。ついでに一度読んだけど、さっぱり面白さのわからなかった Zimianbian Trilogy にあらためて挑戦したい。第2回の南原繁賞に決まった福岡万里子「プロイセン東アジア遠征と幕末外交」も本になるのが待ち遠しい。
    
    残された時間はどんどん減っていくにしても、おちおち死んでいる暇はありません。
    
    生あるかぎり、音楽を聴き、本を読むことだけはやめまい、との決意もまたあらたにしてます。(ゆ)