手引本文最初の項目は「ア・カペラ」。元はラテン語で「礼拝堂様式で」という意味。楽器伴奏無しの歌唱すなわち無伴奏歌唱のこと。執筆は編集部、つまりフィンタン・ヴァレリー。
    
    ア・カペラというとア・カペラ・コーラスと思ってしまうが、ソロ歌唱もア・カペラと呼ぶ。シャン・ノース歌唱がそうだし、ブリテンの英語のバラッド歌唱も基本は無伴奏だ、とヴォーン・ウィリアムスも言っている。
    
Prince Heathen    ソロのア・カペラの凄さを初めて実感したのはマーティン・カーシィだった。スウォブリックとの第一期デュオの最後の録音《PRINCE HEATHEN》の〈Little Musgrave & Lady Barnard〉。9分を越えるカーシィの無伴奏歌唱はまったくの不意打ちだった。はじめはあっけにとられ、いつ伴奏が加わるのかと待っていたが、いつまでたっても声だけ。やがて、どうやらこれは最後まで伴奏はないらしいと覚ってたじろぐ頃には、その声に完全に圧倒されていた。別に声を張り上げるわけでもなく、目一杯力瘤を作るわけでもなく、ただただ坦々と淡々と、ある悲喜劇を微に入り細を穿って語っていく。らしい。その頃は歌詞を聞き取れるはずもない。ただ、フェアポートがやっているこのバラッドのアメリカ版〈Matty Groves〉で、話の筋だけは知っていた。茫然とするうちに、感傷などカケラもない、いや感情さえも排した歌唱に、だんだんと引き込まれていった。同時にどこにも余計な力の入っていないその声が、スピーカーから風となって吹きつけ、体が後ろに持っていかれそうになっていた。
    
    アイリッシュやスコティッシュを聴きだしてかなり経っても、器楽のソロや伴奏無しのメロディ楽器だけのデュオの録音にはどこかなじめずにいたが、ソロ・ア・カペラの録音に出逢うとむしろ喜び、繰り返し聴けた。それはたぶん、このマーティン・カーシィの歌唱との邂逅が洗礼であったおかげではないか、と思う。
    
    アイルランドのうたとの出会いはクリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディであったから、ア・カペラといえばかなり長い間、ソロもコーラスもブリテン、それもイングランドがほとんどだった。ブリテン群島でア・カペラ・コーラスをうたうのが最も好きなのはイングランド人だろう。ウェールズが僅差で続き、だいぶ離れてスコッチ、そしてアイリッシュ。アイルランドのア・カペラを初めて意識したのは、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《BROKEN HEARTED I'LL WANDER》に入っているアイルランド語のマウス・ミュージックだった。
    
    この記事でアイルランドのア・カペラ・コーラスの例として挙げられているヴォイス・スクォド The Voice Squad を初めて聴いたのは、《ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム-アイリッシュ・ソウルを求めて》のビデオだったし、フォールン・エンジェルズ The Fallen Angels にいたっては2ndの《HAPPY EVER AFTER》1998 が最初だ。CITM のそれぞれの項目によれば、どちらも1980年代末に活動を開始している。ヴォイス・スクォドはイングランドのコッパー・ファミリー、ウォータースンズの影響が濃いが、これはフィル・カラリー Phil Callery が持ち込んだもの、とある。
    
    カラリーのインスピレーションの源にはスカラ・ブレイ Skara Brae も挙げられていて、そういえばかれらや初期クラナドの録音にもア・カペラのトラックがあるはずだが、印象は薄い。どちらも伴奏ありの記憶しかない。
    
    今はアヌーナがいるし、ドニミク・マク・ギラ・ブリージェ率いるドニゴールの Cor Thaobh A' Leithid もある。

    これをお手本として、《CELTSITTOLKE~関西ケルト/アイリッシュ・コンピレーションアルバム》でミホール菱川さんをリーダーにアイルランド語でア・カペラ・コーラスをやったのは快挙だ。Vol.2にはこれが無いのがちょと寂しい。
    
    1920〜30年代にアメリカで流行った男声カルテットによる甘いア・カペラ歌唱を英語で “barbershop (quartet)” 、というのは今回初めて知った。わが国では床屋の客たちは「政談」をするが、アメリカではうたうらしい。(ゆ)