パブロ・シーグレルはずいぶん昔、お台場でライヴを聴いたことがある。その時は一晩二回まわしで、一回のライヴは1時間ちょっとだったから、これからというところでおしまいという欲求不満の残るものだった。

 円満具足。3人のメンバーはシーグレルのあたたかい掌の上で踊っている。シーグレルは悠然とかれらを包み、持ち上げ、運んでゆく。タンゴというよりは、タンゴを素材にしたジャズなのだが、細部まで整然と組まれた舞台が坦々と進んでゆくのを見る想い。一種の様式美すら感じられて、これはこれで完成されたライヴの体験ではある。

 そこへ後半途中、梅津和時さんが加わる。いきなり音楽が動きだした。

 悠然としていたシーグレルの顔がぱっと明るくなった。手や指の動きががらりと変わる。

 そう、やはり、こうこなくちゃ。これでこそ、音楽、生の音楽だよ。これこそあなたのやりたい音楽でしょう、シーグレルさん。

 音楽は、どんな音楽であれ、音楽である以上、「狂気」を含む。量の大小、濃淡の違いはあれど、音楽は人間の「狂」の部分に直結し、それを表に出す。

 鬼怒無月、西嶋徹、北村聡の3人の演奏には、どこか遠慮があった。はじけようとする「狂」をおさえこんでいた。そりゃ、相手のキャリアは次元が違うかもしれない。年上でもある。無意識のうちにシーグレルの手兵として忠実にふるまうようになったとしても無理はない。

 とはいえミュージシャンであるからには、音楽の上では対等のはずだ。実力では決して負けてはいない。さもなければ、シーグレルが選ぶわけがない。一緒にやれる相手と認められたのだから、どんどん「攻め」てしかるべきだ。それをシーグレルも望んでいるだろう。私をタジタジとさせてくれ。

 カルテットの時のシーグレルが本気でなかったとは言わないが、全力をふりしぼっている感じはなかった。ピアソラとのライヴを見たことはないが、ピアソラが相手ならばおそらくこうではなかっただろうとは思われた。

 梅津さんがピアソラと同じ、というわけでももちろんない。しかし、シーグレルが恰好の相手として大喜びしていたのはまちがいない。とりわけアンコール前のラストの曲の最後で、他の3人をそっちのけで、二人だけで「叩き合い」した時は、いつまでもやめたくない感じがあふれていた。

 梅津さんが入ってからは若手の3人も煽られる形で、とりわけ鬼怒さんのギターは一変していた。こういう演奏を、初めからしましょうよ。3人のなかでは西嶋氏のベースが一番尖っていた。アルコを駆使するのは、タンゴの特徴だろうか、あるいはかれ個人のスタイルか、いずれにしても、あんなに弾むアルコはすばらしい。

 期せずして、音楽の二つの相、ほとんど対極にある相を一晩で体験できたのは、貴重だった。

 このユニットにはぜひ、年に一度でいいから、これからも続けていただきたい。続けるうちに遠慮もとれるだろう。梅津さんのおかげで垣間見えた世界が、大きく展開されんことを。(ゆ)

11/09(金)@ 浜離宮朝日ホール

Pablo Ziegler: piano
鬼怒無月: guitar
西嶋徹: contrabas
北村聡: bandoneon

梅津和時: sax, clarinet

11/12(月)ビルボードライブ大阪
11/21(水)有楽町朝日ホール ゲスト赤木りえ: flute