久しぶりにライヴを見たジョンジョンフェスティヴァルは大きくなっていた。成長した、というとこちらが偉そうに聞こえるが、ひと回りもふた回りも大きくなって、まぶしいほどの輝きを放っていた。その輝きをそのまま持って帰りたくて、まだ2回目のアンコールを求める拍手が鳴っている最中に会場を離れた。
かつてのことを思い起こすとどうしても感傷的になってしまうのだが、かれらにはそんなものは要らない。誰はばかることもなく、好きな音楽に心ゆくまでひたりこみ、その歓びを解き放つ。明朗で、闊達で、一点の曇りもないその音楽は、人を幸せにする。音楽がつねに喜怒哀楽を含むものである以上、怒りも哀しみもそこにはあるが、それすらもどす黒さや痛みはやわらいで、むしろ悦びと楽しみを引きたてる。
音楽はいわゆる「負」の感情を昇華する作用をもち、アイリッシュ・ミュージックはその作用がより強い。そしてジョンジョンフェスティヴァルの音楽は、さらにそれを増幅している。
一番大きいのはたぶんじょんの変化だろう。演奏し、うたっているときの彼女はまさにフェアリーで、日常の次元を離れ、一緒に演奏している仲間たちや聴衆を別の次元に引きずりこむ。ともすれば他のメンバーの陰に隠れていたようなところがすっかりなくなって、自ら回転して渦を起こしてゆく。そう意識しているのかもしれないが、その様子に邪気がない。揺るぎない。そして軽い。俳諧の軽み。芭蕉よりは蕪村、あるいは一茶のような。
むろん、ジョンジョンフェスティヴァルの音楽が俳句だというわけではない。かれらの生みだすアイリッシュ・ミュージックの軽みに一番近いものを、日本語文化の中に求めれば、俳句のそれだろう、というだけのこと。
アニーとトシバウロンの二人はそのじょんをあるいは支え、あるいは煽り、そしてじょんから起こる渦に巻きこまれ、またこれを増幅する。
田嶋トモスケ、中原直生も、「サポート」という肩書はもうはずしてもいいんじゃないか。パフォーマーとしての田嶋、中原の純粋さがバンドの世界を拡大し、深めている。今回面白かったのは中原のメロディカ、鍵盤ハーモニカで、チープな蛇腹のような音が、中原の手にかかるとこれまた良い軽みを発する。
「JJF感謝祭2012」と銘うたれた2日連続、3ステージのラスト、2日め夜の回。ゲストの岡大介は前口上で祭の場を設定し、〈東京〉は名曲だとあらためて納得させてくれた。この曲は JJF とともに録音したそうだから、リリースが楽しみ。
もう一方のゲストのドレクスキップは、スウェーデン遠征後初めて見るステージで、これまた一回り大きくなっている。全体に自信ににじみ出ているが、とりわけ渡辺庸介が二枚くらい皮が剥けたようだ。再来週、12/16(日)には吉祥寺 Star Pine's Cafe に来るというから見にいかねばなるまい。
ステージはじめ会場にあしらわれた草や花は、今年春、栃木で JJF と出会ったというハヤシラボによるものの由。フェアリーの祭の場を演出する。
開演前と休憩の間には DJ 宮奈大がアナログ録音をかけて、楽しませてくれた。ライヴの音楽と付かず離れず、つながるかと思えば、カウンターをくり出す。邪魔にならず、ふとまた引き込まれる。なるほど、これもまたひとつの芸だ。
物販のデスクには、所狭しと録音やグッズが並んでいた。出演メンバーの関係したものとのことだったが、いつの間にこんなにたくさん出ていたのだろう。あまり現金もなかったので、とりあえず2枚、ドレクスキップのメンバーが関係しているものを買う。
外に出ると冷たい雨だった。が、胸のうちは温かい。しがらみから解き放たれた音楽は人を温める。(ゆ)
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