今年の聴き初め。

 ここは実に音が、響きが良い。もちろんノーPAだが、フィドルの音もギターの音も、城田さんのうたも、よく聞こえる。ライヴととして一応形のあるものというよりは、親しい人の居心地の良い家での団欒の趣。その昔、モーツァルトの弾くのをサロンで聴くのもこんな感じだったろうか。いや、むしろ、アイルランドの田舎の一軒家で、地元の名手の音楽にひたる体験というべきか。そう、城田さんの友人でもある佐々木幹郎氏の「山小屋」でのライヴはこんな感じなのかもしれない。

 この二人のライヴはいつもかしこまったものではなく、ざっくばらんでゆるくてどこにもよけいな力のこもらないものではあるけれど、このカフェでの演奏はことにゆるい。それはある程度意識されてもいるようで、ふだんはできないことや実験的なことをやってみる場という面もある、と城田さんは言う。それがまたこの場によくはまってもいる。

 今回も「新兵器」が登場した。内藤さんのコンサティーナである。ベグリー一族の末裔、ブレンダンの息子のコーマックから讓られたという銘器。両端は黒檀。ていねいで美しい造り。ドイツ製というのにうなずく。工業製品に手作りの味を出すことでは、ドイツ人の右に出る者はいまい。いまぼくが夢中になっているヘッドフォンの世界でも、Beyerdynamic、Sennheiser、それに Ultrasone も加えておこう、ドイツ製品は他国の製品とは一線を画す。

 新品ということで音は若干硬いようにも聞こえたが、切れ味の良い、夾雑物のない響きが、この親密なところで聴くとさらに良くひびく。

 手に入れてまだ数ヶ月とのことだが、ハープの最初の披露よりはずっとよく聞こえた。このあたりはやはりセンスが良いのだろう。一年後が楽しみだ。

 ハープはすっかり板についてきて、ふつうに聴かせる。そりゃ、フィドルに比べればまだまだだが、城田さんのうたの伴奏としてりっぱなものである。

 もう一つのあたらしい試みは、日本語の伝統音楽をとりいれていること。城田さんはナターシャ時代からすでにやっているわけだが、この組合せではまた別の試みが可能だ。たとえば日本とアイルランドと二つの曲をつなげたり、うたのサビをアイリッシュにしたり。

 異国のルーツ・ミュージックをやっていれば、いやがおうなく自分の足下の音楽伝統にも目がいかざるをえない。ぼくらだけではない。スウェーデンのアレ・メッレルも、はじめはギリシャの音楽をやっていたことから自分の足下スウェーデンの伝統音楽に向かったのだ。アメリカ流のポピュラー音楽をやっていた人が、ある時、自分が生まれ育った音楽伝統に「回帰」する例は少なくない。フェアポートがそもそもその典型だ。ジョンジョンフェスティバルが日本語のうたにこだわるのも、それだけアイリッシュの奥深く探索しているからである。フルートの Hatao さんもやっていたし、これからこういう例は増えるにちがいない。いずれはこの方面からの日本語伝統音楽の現代化に豊かな実りが生まれることを期待する。

 内藤さんが楽器を讓られたコーマック・ベグリーは来月来日する由。正式なツアーなどではないが、02/23(土)の午後、蒲田教会でこの二人と一緒に演奏することが決まっている。ちょうど Kan が来日しているが、そちらは夜だから、重なることはなかろう。

 カフェのコーヒーはやはり絶品。イエメン産のモカをいただいたが、ひと口ふくんで、体に戦慄が走った。心から旨い!と思ったコーヒーは何度かあるが、これは生涯最高の一杯のひとつではある。思わずおかわりをしたが、二杯めも同じくらい旨かった。カウンターのアップルパイがあまりに旨そうなので食べてみたら、これまたまことに結構。リンゴのとろけ方とふうわりしたパイの組合せは絶妙。

 静かな日曜日の午後。極上のコーヒーをいただきながら、極上の音楽にひたる。生きてあることのありがたさよ。(ゆ)