こういうライヴに接すると生き延びてよかった、と実感する。死ぬことはこわくない、と言えば嘘になるが、それ以上につまらない。新しいことに出逢えなくなるから。

 ティム・スカンランは新しい。さまざまな音楽がまざりあっているその様が新しい。

 ベースになっているのは、名前からも連想できるとおり、アイリッシュだ。1週間前にポール・ブレディとアンディ・アーヴァインのデュオがオーストラリアに来たんだ、と興奮していた。あのアルバムは永遠のベストだよなあ、そりゃあ、すごかった、アンディは天才だ、あれで70近いんだぜ、おれもあの年になってもあれくらいできていたいもんだ。

 アイリッシュを核として、それにレゲエやブルースやフレンチ・カナディアンやなんだかよくわからない、ひょっとすると本人にもよくわからないあれやこれやが、あるいは融合し、あるいは混合している。その度合いも様々だ。あくまでもパーソナルな音楽、個人のフィルターを通ることで形をとっている。そこにはこれからも様々なものがあるいは融合し、あるいは混合してゆくだろう。その中には日本や琉球のものもあるかもしれない。そして、その全体は、全体としてみれば、やはりアイリッシュ・ミュージック、その変奏のひとつではある。

 ジョンジョンフェスティバルとともに演奏する姿を見ていると、アイルランドから流れでたものが、はるかな時空を隔てて、ここに束の間、合流しているのを見る想いがする。ティムも、ジョンジョンフェスティバルも、アイリッシュに敬意をはらいながら、そこにべったり依存してはいない。ひたすら模倣するのでもない。その流れから汲み上げたものをもとにして、それぞれに合った味付けをしている。汲み上げたものを変容させるのではなく、そこに自分たちにそなわるものをつけ加える。調味料を加える。そうしてアイリッシュから、新しい味をひきだす。調味料も、調理方法やスタイルも、ティムとジョンジョンフェスティバルでは異なる。それでいて、核となる材料を同じくすることでまず同居が可能になる。あるいはアイリッシュが触媒の作用をする。結果現れるのは、どこまでもアイリッシュでありながら、すでにアイリッシュとは別のなにか、だ。ユーラシア大陸の東端の列島と、オーストラリア大陸の東端にぞれぞれ現れた「なにか」同士が、共鳴し、反応し、これまでどちらにもなかったものが現れようとしている。

 とりあげていた曲も、自作のうた以外はほぼアイリッシュだった。フレンチ・カナディアンも少しあって、一緒にやったジョンジョンフェスティバルのじょんとあにいが、あれは癖になりそう、と言うのを頼もしく聞いた。そのフレンチ・カナディアン式のフット・パーカッションはやはりカナダで習った由。黒い靴は着ている服とそぐわず、特別なのかと訊いたら、実は街で拾ったのだという話。ある日、街中で、結婚式か葬式の帰りらしいスーツ姿の3人づれに出逢った。そのうちの一人が目の前ではいていた黒靴を脱ぎ、ゴミ缶の上に置き、靴下裸足で行ってしまった。往来の激しい通りで、しばらく見ていたが、誰も気がつかない。そっといただいて帰った。カナダでフレンチ・カナディアンお得意のフット・パーカッションを習い、これにはあの靴がぴったり、と帰って試したら、どんぴしゃ。最高の音がする。と歩いてみせると、なるほどぱきんぱきんといい音がする。かなり重いらしい。手に入れた方法がほんとうの話かは保証のかぎりではない。

 足は主にパーカッション。左でフット・シンバル、右でカホンにキック・ペダル。時に中央にそろえて、靴底を鳴らす。左ききのギター。左手にはエッグ・シェイカーを握って、ストロークをかきならしながら振ったり、ボディに当ててアクセントをつける。メイン・メロディはホルダーに付けたハーモニカ。

 どれもこれも尋常でなくうまい。どれか一つだけでも悠々メシが食える、というより第一級の腕の持ち主。アイルランド流のコンテストがあれば、優勝の常連になるだろう。だけでなく、そのうち、上の三つを全部あやつりながら、踊りだすのではないか、とすら思われる。

 そして、リズム感覚がどこか違う。どう違うかと言われると困る。とにかくアイリッシュのそれではない。少なくとも、アイリッシュ・ミュージック固有のものではない。むろんアメリカンではない。レゲエは大好きなようだが、カリブのものでもないだろう。今のところは、他にないユニークな感覚、とのみ言っておく。かなりしなやかな感覚ではあるようだ。とにかくそれが生む効果はゆるくたくましく高揚感をよびおこす。

 ひとつすぐわかる成果としては、レゲエとアイリッシュ・チューンの融合だ。こんなによく合うものとは意外と驚く一方でさもありなんとも思う。イングランドではかつて1980年代に Jumpleads がモリス・チューンをゲレエで処理して大成功しているし、スコットランドでは Salsa Celtica をはじめ、カリブのリズムとケルト系チューンを組み合わせて成功している例はいくつかあるが、アイルランドではたぶん聞いたことはない。これはもっと聴きたい。ティムのルーツのひとつではありそうで、口三味線をまじえてレゲエを再現しながら、ダンス・チューンをくりだす。

 シンガーとしても一級で、実際のところ、ポール・ブレディやアンディ・アーヴァインと肩をならべてもおかしくはない。うたそのものもユニークなものであり、その声の質もあいまって、ヴィン・ガーバットのうたを連想させる。そういえば風貌全体のかもしだす雰囲気もガーバットに似ている。

 乗った飛行機が中継地の香港で10時間立ち往生し、羽田に着いたのが昨日の朝2時、ということで、一晩熟睡したとはいえ、ジョンジョンフェスティバルの前座に続いてステージを始めたときは、まだ半分眠っている感じだったのはやむをえないだろう。前半の終わる頃にようやくエンジンがかかってきたようだ。これもアンディ・アーヴァインと同じで、ツアーが進むにつれて良くなってゆくにちがいない。2週間後に東京にもどってくる時には別人になっているはずだ。

 生き延びた甲斐があったとあらためて実感させてくれたトシバウロンに感謝。高円寺の Cluracan はギネスも旨い。(ゆ)