人生最高のライヴだった。
もちろん人生最高のライヴはいくつかある。とはいえ三本の指に入る。
良いライヴというのが稀なのは、それを形作るさまざまな条件が全部うまくはまることが稀だからだ。ミュージシャンの体調、リスナーの体調、会場の特性、曲の選択と配置、当日の天候、聴衆の性格、その他にもいくつもの要素がぴたりと合って初めてライヴは成功する。
まず会場がすばらしかった。演奏は最高だった。曲の流れが練りに練られていた。聴衆は音楽をよく知っている。一年で一番良い季節。
なかで一番の貢献をしていたのは、つまりこの夜の主役は会場だ。
求道会館は「きゅうどうかいかん」と読み、もともとは浄土真宗大谷派の会堂として百年前に建てられた。建てた人と設計した人については公式サイトに詳しい。外から見ると洋館。中に入ると教会のような柱のない、しかも高い空間の正面、教会ならば祭壇や十字架が掲げられているところに六角堂がはめこまれており、阿弥陀如来の立像が安置されている。六角堂は壁の裏側にもちゃんと続いている由。床は板張り。そこに3人掛けの、やや座位の低い長椅子が並べられている。教会のように両側に二階席があり、その下は身廊ともみえて、つまりロマネスク様式でもある。二階も床は板張りで、内へ向かって段々になっている。やや大きめの窓にはすべて板が打ち付けられているが、後で聞くと吸音材だそうだ。中は土足厳禁で、靴を抜いでスリッパで入る。ミュージシャンたちも靴下だった。リアム・オ・メーンリなら大喜びで裸足になるところだ。
今世紀に入って建築主の子孫が主体となって修復し、主に真宗の講演や行事に使われており、一方で様々なライヴも行っている。辻康介氏をはじめとする古楽が多いらしい。地唄の藤井昭子氏が定期的に演奏会を開いているとのことで、これは一度来よう。
とにかく音が良い。ローゲルのギターに、本人がいつも持ち歩いている小さなアンプで軽く増幅をかけた他は完全に生音。それがかつてなくよく聞こえる。かれらの本当の音を初めて聴いた。ニッケルハルパの倍音の重なり、ヴィオラのふくらみ、十二弦ギターの芯の太さが、はっきりと聞こえる。もちろんバラバラに聞えるのではなく、アンサンブルとして、一個の有機体としてやってくる。適度の湿り気をふくんだ弦の響きがまっすぐに伝わってきて、背筋に戦慄が何度も走る。
響きのよい会場ならば、ミュージシャンたちの意気込みもちがってくる。来年結成25年を迎えるヴェーセンは、いま現在、これまでないほど多忙なそうだが、その多忙さは良い方に作用している。今回は、とりわけ東京での会場が普通のコヤではないところが、よい刺戟になっているのだろう。この前の晩は科学博物館で恐竜の骨格標本に見下ろされての演奏だったし、この日は阿弥陀様が見守っていた。教会のような威圧的なところもなく、寺のような抹香臭さもない。それでいて、どこか敬虔な気持ちがわいてくる不思議な空間。この空間ですばらしい音楽に洗われて、身も心もすっきりと晴れやかになってくる。アルテスの鈴木さんも風邪が治ってしまった。
あまりにすばらしかったので、ほんとうに久しぶりに打上げに参加させてもらった。かれらの英語は実に聞き取りやすく、わかりやすい。ローゲルから、英語で書かれた日本の歴史の良いものはないか、と訊かれた。後で調べて連絡することにする。スカンディナヴィアのバンドで最初に聴いたのは何だというので、Folk Och Rackare と答えるともちろん知っていた。リード・シンガーの Karin Kjellman は健在で、いまもうたっている由。Rackare は死刑執行人のことだとミッケが言うと、ウーロフがそうではなくて皮剥職人のことだと言う。いずれにしても賤民とされた人びとをさすらしい。
それをバンド名に掲げたこの先駆者はやはりその後のスウェーデンのミュージシャンに甚大な影響を与えたそうだ。かれら自身はスウェーデンとノルウェイの混成バンドだったはずだが、カリンの気品に満ちたヴォーカルを中心に、民衆の野生と粘りを格調の高い音楽として演じていて、今聴いてもあれだけのものはなかなかない。ローゲルによればかれらはまたフェアポート・コンヴェンションに影響を受けていて、それは最後のアルバム《RACKBAG》にリチャード・トンプソンが参加しているのでもわかる。ここでのトンプソンの演奏は一世一代といってもいい。ローゲル自身、フェアポートにははまったそうだ。
久しぶりに遅くなって時間計算をあやまり、これまた久々に終電を逃して手前の駅からタクシーをとばす破目になったが、そんなことは全然気にならない夜だった。
このライヴを実現してくれたバンドはもちろん、招聘元ののざきさん、そして会場のコーディネート担当鷲野さん、そしてこのすばらしい建物を修復し、使用して後世に伝えている会館オーナーに心から感謝する。(ゆ)
もちろん人生最高のライヴはいくつかある。とはいえ三本の指に入る。
良いライヴというのが稀なのは、それを形作るさまざまな条件が全部うまくはまることが稀だからだ。ミュージシャンの体調、リスナーの体調、会場の特性、曲の選択と配置、当日の天候、聴衆の性格、その他にもいくつもの要素がぴたりと合って初めてライヴは成功する。
まず会場がすばらしかった。演奏は最高だった。曲の流れが練りに練られていた。聴衆は音楽をよく知っている。一年で一番良い季節。
なかで一番の貢献をしていたのは、つまりこの夜の主役は会場だ。
求道会館は「きゅうどうかいかん」と読み、もともとは浄土真宗大谷派の会堂として百年前に建てられた。建てた人と設計した人については公式サイトに詳しい。外から見ると洋館。中に入ると教会のような柱のない、しかも高い空間の正面、教会ならば祭壇や十字架が掲げられているところに六角堂がはめこまれており、阿弥陀如来の立像が安置されている。六角堂は壁の裏側にもちゃんと続いている由。床は板張り。そこに3人掛けの、やや座位の低い長椅子が並べられている。教会のように両側に二階席があり、その下は身廊ともみえて、つまりロマネスク様式でもある。二階も床は板張りで、内へ向かって段々になっている。やや大きめの窓にはすべて板が打ち付けられているが、後で聞くと吸音材だそうだ。中は土足厳禁で、靴を抜いでスリッパで入る。ミュージシャンたちも靴下だった。リアム・オ・メーンリなら大喜びで裸足になるところだ。
今世紀に入って建築主の子孫が主体となって修復し、主に真宗の講演や行事に使われており、一方で様々なライヴも行っている。辻康介氏をはじめとする古楽が多いらしい。地唄の藤井昭子氏が定期的に演奏会を開いているとのことで、これは一度来よう。
とにかく音が良い。ローゲルのギターに、本人がいつも持ち歩いている小さなアンプで軽く増幅をかけた他は完全に生音。それがかつてなくよく聞こえる。かれらの本当の音を初めて聴いた。ニッケルハルパの倍音の重なり、ヴィオラのふくらみ、十二弦ギターの芯の太さが、はっきりと聞こえる。もちろんバラバラに聞えるのではなく、アンサンブルとして、一個の有機体としてやってくる。適度の湿り気をふくんだ弦の響きがまっすぐに伝わってきて、背筋に戦慄が何度も走る。
響きのよい会場ならば、ミュージシャンたちの意気込みもちがってくる。来年結成25年を迎えるヴェーセンは、いま現在、これまでないほど多忙なそうだが、その多忙さは良い方に作用している。今回は、とりわけ東京での会場が普通のコヤではないところが、よい刺戟になっているのだろう。この前の晩は科学博物館で恐竜の骨格標本に見下ろされての演奏だったし、この日は阿弥陀様が見守っていた。教会のような威圧的なところもなく、寺のような抹香臭さもない。それでいて、どこか敬虔な気持ちがわいてくる不思議な空間。この空間ですばらしい音楽に洗われて、身も心もすっきりと晴れやかになってくる。アルテスの鈴木さんも風邪が治ってしまった。
あまりにすばらしかったので、ほんとうに久しぶりに打上げに参加させてもらった。かれらの英語は実に聞き取りやすく、わかりやすい。ローゲルから、英語で書かれた日本の歴史の良いものはないか、と訊かれた。後で調べて連絡することにする。スカンディナヴィアのバンドで最初に聴いたのは何だというので、Folk Och Rackare と答えるともちろん知っていた。リード・シンガーの Karin Kjellman は健在で、いまもうたっている由。Rackare は死刑執行人のことだとミッケが言うと、ウーロフがそうではなくて皮剥職人のことだと言う。いずれにしても賤民とされた人びとをさすらしい。
それをバンド名に掲げたこの先駆者はやはりその後のスウェーデンのミュージシャンに甚大な影響を与えたそうだ。かれら自身はスウェーデンとノルウェイの混成バンドだったはずだが、カリンの気品に満ちたヴォーカルを中心に、民衆の野生と粘りを格調の高い音楽として演じていて、今聴いてもあれだけのものはなかなかない。ローゲルによればかれらはまたフェアポート・コンヴェンションに影響を受けていて、それは最後のアルバム《RACKBAG》にリチャード・トンプソンが参加しているのでもわかる。ここでのトンプソンの演奏は一世一代といってもいい。ローゲル自身、フェアポートにははまったそうだ。
久しぶりに遅くなって時間計算をあやまり、これまた久々に終電を逃して手前の駅からタクシーをとばす破目になったが、そんなことは全然気にならない夜だった。
このライヴを実現してくれたバンドはもちろん、招聘元ののざきさん、そして会場のコーディネート担当鷲野さん、そしてこのすばらしい建物を修復し、使用して後世に伝えている会館オーナーに心から感謝する。(ゆ)
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