このバンドとしては二度目のライヴ。打楽器が加わり、5人編成。
現代音楽をやる、のが主旨で、この日もバルトーク、リゲティ、ペルト、バッハ、それに shezoo さん自身のオリジナル。"Trinite" の一部である『神々の骨』の〈Dies Irae(怒りの日)〉で、これはやはり名曲と確認する。ごくシンプルに音のペアがひたすら繰返され、演奏するのはたいへんな緊張を求められる難曲ではないかと思えるが、聴いている分にはたいへん気持ち良い。音楽が音楽になる以前、未生の音楽のようでもあり、窮極の、音楽がたどり着く最後の形にも聞こえる。初めて聴いたのは渋谷・サラヴァ東京での Trinite のライヴで、なにか展開があるだろうと身構えていたら、それだけで終わってしまって驚き、拍子抜けした。しかし、むろん、余分な展開など蛇足以上に不要、あってはならないことが、今はわかる。3度聴くと、これがライヴ全体の中で肝になっているのもわかる。
Trinite のライヴの時には岡部洋一氏が叩いていたはずだが、どうも印象が薄い。この曲のときははずれていたか。今回はユカポンの打楽器が加わることで、曲が立体的、重層的になり、世界がふくらむ。従来が平面だったわけではなく、いわば四次元へとふくらんでゆくと言おうか。
打楽器が加わることの効験は2曲めのバルトーク〈ミクロコスモス〉148番に明らかで、フロントの3人のソロが実に気持ちよさそうだ。小森さんのクラリネットは初回よりもうたっていて、ファンとしては楽しい。大石氏のサックスは今回はちょっと引き気味。
初回のときは「149番」と記録にはあるのだが、今日は「148番」と聞こえた。原曲のピアノ演奏を聴いてみると、どうも「148番」ではないか。
〈マタイ受難曲〉の1曲をベースと今回はクラリネットのデュオでやるのも、やはりすばらしい。水谷氏は精進を積んで、見事に弾きこなす。これで〈マタイ〉全曲はムリでも、もっとバッハをやってほしい。〈無伴奏チェロ組曲〉をダブル・ベースで、はどうでしょう。
個人的ハイライトはアンコールの〈シュピーゲル、シュピーゲル〉。「鏡よ、鏡」の意味か。誰の曲かは知らないが、いつまでも終わらないでくれと祈る1曲。
こういう音楽を聴くと、音楽をジャンルやフォーマットに分けることの無意味さを思い知らされる。曲からいえばクラシックではあろう。が、楽器編成や音楽の動機、なぜこれをやるのかというところから見れば、いわゆる「クラシック」からははみ出る。おそらくは全員、ある時期クラシックの訓練はみっちり積んでいるだろうが、それは土台、道具でしかない。おそらくは全員、どこかでジャズの発想をとり入れているだろうが、それもまた道具、ヒントでしかない。ジャズにも一から十まできっちりアレンジしてその通りに演奏するものはあるが、この音楽をジャズと呼べば頭の固いジャズ・ファンは怒りだすにちがいない。
できるだけ多くのリスナーを巻き込もう、誘いこもうとする志向もないから、ポピュラーでもない。といって別にリスナーを限って、エリート意識を振り撒くわけでもないから、前衛音楽とも言えまい。
来る者は拒まず、去る者は追わず、自然体で、地に足のついた、アタマではなく、カラダの奥の声に耳をひそめ、育て、解き放つ。隠し味のユーモアも充分に効いて、聴いているとカラダもココロもより健康になってゆく。
ここでは作曲家はすべてに君臨する権力者ではなく、演奏者に共鳴する材料を提供する盟友だ。作曲者と演奏者が乖離し、階層化された形はきわめて20世紀的な、抑圧と反抗の相剋図であることを、この21世紀的バンドは映しだす。相剋はそれなりに美しい果実をみのらせてはいるかもしれないが、もうそろそろ次の位相に移ってもいい頃だ。旧いヒエラルキーは崩壊している。新たな論理はまだ固まっていない。その論理のひとつとなる可能性を、このバンドは備えている。打楽器が加わることで、その可能性は高くなった、と見る。
あるいはむしろ、論理なしにやってゆく形を手探りし、提案しようと試みている、というべきか。
この音楽は録音されるべきではなかろう。生で聴いて、ライヴで体験して初めて味わえる。その場で、失敗も含めて体験することに価値のほとんどがかかる。目の前で生身の人間が音を出している、そこに立ち合うことが大事。それも大ホールとか、スタジアムとか、多数の人間とともに体験するのではなく、できるならばただ1人だけで体験したい。音楽には共有する方が旨くなるものと、ただ1人対峙するとき、本来の魅力を発揮するものがある。シニフィアン・シニフィエの音楽は後者に属する。これはきわめてパーソナルな音楽、心の奥底の、一番敏感なところにまっすぐ射しこむ音楽だ。
音楽は共有されるものだと強調されてきたのも、20世紀的現象なのであろう。
shezoo: piano
壷井彰久: violin
大石俊太郎: sax, fl
小森慶子: clarinet
水谷浩章: bass
ユカポン: perc
これにて2013年のライヴ聴き納め。
ごちそうさまでした。(ゆ)
現代音楽をやる、のが主旨で、この日もバルトーク、リゲティ、ペルト、バッハ、それに shezoo さん自身のオリジナル。"Trinite" の一部である『神々の骨』の〈Dies Irae(怒りの日)〉で、これはやはり名曲と確認する。ごくシンプルに音のペアがひたすら繰返され、演奏するのはたいへんな緊張を求められる難曲ではないかと思えるが、聴いている分にはたいへん気持ち良い。音楽が音楽になる以前、未生の音楽のようでもあり、窮極の、音楽がたどり着く最後の形にも聞こえる。初めて聴いたのは渋谷・サラヴァ東京での Trinite のライヴで、なにか展開があるだろうと身構えていたら、それだけで終わってしまって驚き、拍子抜けした。しかし、むろん、余分な展開など蛇足以上に不要、あってはならないことが、今はわかる。3度聴くと、これがライヴ全体の中で肝になっているのもわかる。
Trinite のライヴの時には岡部洋一氏が叩いていたはずだが、どうも印象が薄い。この曲のときははずれていたか。今回はユカポンの打楽器が加わることで、曲が立体的、重層的になり、世界がふくらむ。従来が平面だったわけではなく、いわば四次元へとふくらんでゆくと言おうか。
打楽器が加わることの効験は2曲めのバルトーク〈ミクロコスモス〉148番に明らかで、フロントの3人のソロが実に気持ちよさそうだ。小森さんのクラリネットは初回よりもうたっていて、ファンとしては楽しい。大石氏のサックスは今回はちょっと引き気味。
初回のときは「149番」と記録にはあるのだが、今日は「148番」と聞こえた。原曲のピアノ演奏を聴いてみると、どうも「148番」ではないか。
〈マタイ受難曲〉の1曲をベースと今回はクラリネットのデュオでやるのも、やはりすばらしい。水谷氏は精進を積んで、見事に弾きこなす。これで〈マタイ〉全曲はムリでも、もっとバッハをやってほしい。〈無伴奏チェロ組曲〉をダブル・ベースで、はどうでしょう。
個人的ハイライトはアンコールの〈シュピーゲル、シュピーゲル〉。「鏡よ、鏡」の意味か。誰の曲かは知らないが、いつまでも終わらないでくれと祈る1曲。
こういう音楽を聴くと、音楽をジャンルやフォーマットに分けることの無意味さを思い知らされる。曲からいえばクラシックではあろう。が、楽器編成や音楽の動機、なぜこれをやるのかというところから見れば、いわゆる「クラシック」からははみ出る。おそらくは全員、ある時期クラシックの訓練はみっちり積んでいるだろうが、それは土台、道具でしかない。おそらくは全員、どこかでジャズの発想をとり入れているだろうが、それもまた道具、ヒントでしかない。ジャズにも一から十まできっちりアレンジしてその通りに演奏するものはあるが、この音楽をジャズと呼べば頭の固いジャズ・ファンは怒りだすにちがいない。
できるだけ多くのリスナーを巻き込もう、誘いこもうとする志向もないから、ポピュラーでもない。といって別にリスナーを限って、エリート意識を振り撒くわけでもないから、前衛音楽とも言えまい。
来る者は拒まず、去る者は追わず、自然体で、地に足のついた、アタマではなく、カラダの奥の声に耳をひそめ、育て、解き放つ。隠し味のユーモアも充分に効いて、聴いているとカラダもココロもより健康になってゆく。
ここでは作曲家はすべてに君臨する権力者ではなく、演奏者に共鳴する材料を提供する盟友だ。作曲者と演奏者が乖離し、階層化された形はきわめて20世紀的な、抑圧と反抗の相剋図であることを、この21世紀的バンドは映しだす。相剋はそれなりに美しい果実をみのらせてはいるかもしれないが、もうそろそろ次の位相に移ってもいい頃だ。旧いヒエラルキーは崩壊している。新たな論理はまだ固まっていない。その論理のひとつとなる可能性を、このバンドは備えている。打楽器が加わることで、その可能性は高くなった、と見る。
あるいはむしろ、論理なしにやってゆく形を手探りし、提案しようと試みている、というべきか。
この音楽は録音されるべきではなかろう。生で聴いて、ライヴで体験して初めて味わえる。その場で、失敗も含めて体験することに価値のほとんどがかかる。目の前で生身の人間が音を出している、そこに立ち合うことが大事。それも大ホールとか、スタジアムとか、多数の人間とともに体験するのではなく、できるならばただ1人だけで体験したい。音楽には共有する方が旨くなるものと、ただ1人対峙するとき、本来の魅力を発揮するものがある。シニフィアン・シニフィエの音楽は後者に属する。これはきわめてパーソナルな音楽、心の奥底の、一番敏感なところにまっすぐ射しこむ音楽だ。
音楽は共有されるものだと強調されてきたのも、20世紀的現象なのであろう。
shezoo: piano
壷井彰久: violin
大石俊太郎: sax, fl
小森慶子: clarinet
水谷浩章: bass
ユカポン: perc
これにて2013年のライヴ聴き納め。
ごちそうさまでした。(ゆ)
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