あけましておめでとうございます。
今年が皆さまにとって実り多い年になりますように。
年末の12/30に風邪を引いたのが、大晦日、元旦といささか無理をしたら長びいてしまい、今日現在まだ居座っています。そういつまでも寝ていられないので、市販薬を飲んで起きだしました。
元旦の朝、布団を上げようとシーツを窓の外で振ったところ、左手の小指にストラップが引っかかって iPod touch がすっとびました。あーれーと目で追いかけると植え込みは飛びこえて、下の階段の路面に落下したようです。せっかく年もあらたまったのに、元旦からこれかよと、それでもほおっておくわけにもいかず、拾いにいきました。
このマンションは一風変わった構造になっていて、ぼくが寝ている和室は道路に向かって斜めに突き出す形。階数としては3階ですが、実質5階分あると、運送業者に言われたことがあります。落ちた地点は地面からは一段あがったあたりでしたから、少なくとも4階分は落下したはず。
それがです。拾ってメイン・ボタンを押したら、なんと、何事もなくスタート画面が現れるではないですか。
よく見ると、画面を正面から見て左下の裏側からコンクリートに当たったらしい。そこに傷がついて、イヤフォン・ジャックのパイプがわずかに盛り上がっています。また正面のガラスを囲む細く白いプラスチックの枠が一部はがれました。
落ちたときには角から落ちるような重量バランスの設計がされているのか。それとも、たまたま角から落ちたのか。いずれにしても、画面は無傷。イヤフォン・ジャックはさすがに途中で曲がっているらしく、イヤフォンは挿せませんが、ふだん使うことはないので問題ありません。Lightning コネクタも問題ないようで、充電もノートラブル。メイン・ボタンがわずかにへっこんだかなあ、という感じ。
こりゃまるで、ガンの進行度がすれすれで辛うじて助かった自分のカラダとそっくり同じではないか。
この iPod touch は一昨年10月に買った 64GB のレッドで、まだあと2年くらいは使いたいところですが、これでますます愛着が湧いてしまいました。
それにしてもこれはやはりついていた、というべきでしょうね。
久しぶりにカラダの報告をすれば、今のところ各種定期検査でもガンの転移、再発の徴候はみつかっていません。あと3ヶ月、いや3月1日ですから実質2ヶ月で手術から丸3年となり、それまでに何もなければ再発の確率はがくんと下がると言われています。
抗がん剤治療が終了して約1年半たちますが、副作用の一つである手足の痺れは両足の人差し指と中指の先に、まだごくわずかですが残っています。これもしつこくいつまでも残っているなあ、と思っていたら、ある日、気がつくとぐんと小さくなっていました。現在は意識すると痺れがあるとわかるぐらいです。
体のあちこちが痒くなる方も、徐々に、ほんとうに徐々にでありますが、少なくなっています。先日シンガポールから帰ってきてから、ぐんと減ったように思います。シンガポールにいた5日間ほどはまったくどこも痒くなく、帰ってきてすこししてから、うん久しぶりにここが痒いぞ、と出てきました。が、その出方が少ない。頻度も痒みも小さくなっています。シンガポールで3日間に2度食べたカレーのおかげか。ああ、あのカレーを食べられれば、これくらいの風邪は一発で治ってしまうのに。
と書いて思いついてカレーの材料を買ってきて夕飯はカレーだ。
とまれ、痒みが少なくなってくれているのはまことにありがたいことであります。
これを総じてみれば順調ということになりましょう。風邪からの回復が遅くなったり、時には回復したとみえたのが錯覚だったり、あるいは手術前とは動作のスピードが格段に落ちていたり、ということはあっても、全体としてみれば、まずまず健康で、これといった支障もなしに日常生活が送れているわけですから。
今年の目標としてはできるかぎり歩こうと思っています。手術前、体調の悪いのはとにかく運動不足だ、と思いこんで、今から振り返るとかなり歩きまわっていました。毎日、天気さえ許せば最低でも1時間半から2時間歩いていました。ガンの進行度が手術前の予想よりも浅かったのは、ひとつにはそのおかげではないかとも思っています。
退院後、やはり何だかんだで歩くのが減っていました。昨年後半は意識して1日最低5,000歩を目標にしました。今年は年間250万歩が目標。
その他には1日でも生き延びて、1曲でも未知の曲を聴き、1人でも未知のミュージシャン、書き手、描き手の作品に触れ、1頁でも未知の本を読み、という暮らしを続けられますように。
当面はグレイトフル・デッド〜ジェリィ・ガルシア、キューバやスペインのジャズ、日本列島内をベースにする人たちを追いかけることになります。
活字方面では、高橋昌明、宮崎市定、田中純、加藤寛一郎、Stuart Goldman、Raymond Williams、Ray Monk のバートランド・ラッセルの伝記あたりからぼちぼちと。そういえば、昨日の ODNB のフリー配信の対象オーガスタス・ジョン描くところのオットリン・モレルの肖像画は凄いですね。この絵を見て、やはりモンクのラッセル伝が呼んでいるのが聞こえた気がします。
小説はあいかわらず読めず、昨年 The Lord of the Rings を久しぶりに読みかえして、これはやはり近代的意味での小説ではないなあ、との思いを新たにしました。その関係でいえば Earthsea Cycle を読み直すか、『はなはなみんみ』に再挑戦するか、いっそこれも途中で止まりながら読みたくないとは思っていない『死霊』を続けるか。どうも尋常の「小説」の枠からははみ出るようなものにしばらく浸らないとどもならんのではないか。といいながら、吉川英治の『私本太平記』をもう1度と思っていたりします。後醍醐の隠岐脱出から鎌倉幕府滅亡にいたるあたりの迫力は、その後ずいぶんいろいろな本を読んだ気もしますが、あれに匹敵するものはなかった。ああいう太い骨がどおんと通った話を書ける人は、今はもう出てこないでしょう。網野善彦の若い頃の仕事で、鎌倉時代の通史である『蒙古襲来』と読み比べてみるのも面白いんじゃないか。
吉川英治が読みたいと思う欲求の裏には、やたら長いものを読みたい、という欲求があります。日本語にはなかなかほんとうに長いものがない。『グイン・サーガ』があるではないか、という声もありそうですが、あれはね、どうも密度が違うのです。いや、『グイン・サーガ』の功績を認めるのにやぶさかではないのです。ただ、読んでいると、どうもやはりもの足らない。するすると話が指の間から漏れてゆくような感じがしてなりません。あるいはするすると呑みこめてしまって、腹にたまったと思ってもすぐに空いてしまう。もう少しこう歯応えがあって、満足感が持続し、とんでもなく面白い話を読んでいるのだという実感が欲しい。大西巨人の『神聖喜劇』や藤村の『夜明け前』の密度であれの少なくとも3倍くらいの長さのもの。
『グイン・サーガ』が目標のひとつにした『大菩薩峠』という選択肢もありますね。聞いたかぎりでは実はあれは「単なる」時代小説などではないすっ飛んだものでもあるようです。
ただ、英語を読む習慣を失いたくないことから言うと、いくつもある大長編ファンタジー・シリーズを次々に読破する快感はどうだろう、と思ってしまいます。実は昨年末、例の絶好調テレビ・ドラマの原作 A Song of Ice and Fire の一冊目 GAME OF THRONES を読みかけてました。ほんのさわりだけで、話がどうのこうのというのはまだまるでわかりませんが、とにかく文章のうまさ、流麗といいたいくらいの文章のみごとさにはあらためて舌を巻きました。これなら読んでいけるかな、この文章を読む悦びだけでもついていけるかもしれないと思った次第。
ジョージ・マーティン、と書くとかのビートルズ関係者と同じ名前だと今気がつきましたが、ジョージ・R・R・マーティンと名乗ったのはそのせいか。はるかウン十年前、事実上の第一長篇であるライザ・タトルとの共作 WINDHAVEN(『翼人の掟』として集英社から邦訳あり)をリアルタイムで読んで感心したことがあります。安田均さんが訳された中短編集『サンドキングス』は好評で版を重ねてましたが、あれはちょっと趣味に合わなかった。読まなくても本だけは買っていたら、The Armageddon Rag のあと、ぱたりと出なくなりました。どうしたのかな、と思っていましたが、最近あらためて見てみたら、あの本があまりに売れずに、作家としての生命を1度断たれたそうな。やっぱり早すぎたんでしょうかねえ。それとも「文学的」過ぎたのか。その後、テレビ・ドラマの方面にいって、そちらでは成功し、それが今の超新星的大成功につながってもいるようですが、おかげで売れなかった旧作も続々再刊されているようで、まずはめでたいかぎり。
こうおしゃべりしていたら、マーティンを全部読みたくなってきました。幸い本だけは全部揃っているはず。Wild Card のシリーズは、あれはまた別の話。まずは、本棚のどこかにあるはずの本を探しださねば。(ゆ)
今年が皆さまにとって実り多い年になりますように。
年末の12/30に風邪を引いたのが、大晦日、元旦といささか無理をしたら長びいてしまい、今日現在まだ居座っています。そういつまでも寝ていられないので、市販薬を飲んで起きだしました。
元旦の朝、布団を上げようとシーツを窓の外で振ったところ、左手の小指にストラップが引っかかって iPod touch がすっとびました。あーれーと目で追いかけると植え込みは飛びこえて、下の階段の路面に落下したようです。せっかく年もあらたまったのに、元旦からこれかよと、それでもほおっておくわけにもいかず、拾いにいきました。
このマンションは一風変わった構造になっていて、ぼくが寝ている和室は道路に向かって斜めに突き出す形。階数としては3階ですが、実質5階分あると、運送業者に言われたことがあります。落ちた地点は地面からは一段あがったあたりでしたから、少なくとも4階分は落下したはず。
それがです。拾ってメイン・ボタンを押したら、なんと、何事もなくスタート画面が現れるではないですか。
よく見ると、画面を正面から見て左下の裏側からコンクリートに当たったらしい。そこに傷がついて、イヤフォン・ジャックのパイプがわずかに盛り上がっています。また正面のガラスを囲む細く白いプラスチックの枠が一部はがれました。
落ちたときには角から落ちるような重量バランスの設計がされているのか。それとも、たまたま角から落ちたのか。いずれにしても、画面は無傷。イヤフォン・ジャックはさすがに途中で曲がっているらしく、イヤフォンは挿せませんが、ふだん使うことはないので問題ありません。Lightning コネクタも問題ないようで、充電もノートラブル。メイン・ボタンがわずかにへっこんだかなあ、という感じ。
こりゃまるで、ガンの進行度がすれすれで辛うじて助かった自分のカラダとそっくり同じではないか。
この iPod touch は一昨年10月に買った 64GB のレッドで、まだあと2年くらいは使いたいところですが、これでますます愛着が湧いてしまいました。
それにしてもこれはやはりついていた、というべきでしょうね。
久しぶりにカラダの報告をすれば、今のところ各種定期検査でもガンの転移、再発の徴候はみつかっていません。あと3ヶ月、いや3月1日ですから実質2ヶ月で手術から丸3年となり、それまでに何もなければ再発の確率はがくんと下がると言われています。
抗がん剤治療が終了して約1年半たちますが、副作用の一つである手足の痺れは両足の人差し指と中指の先に、まだごくわずかですが残っています。これもしつこくいつまでも残っているなあ、と思っていたら、ある日、気がつくとぐんと小さくなっていました。現在は意識すると痺れがあるとわかるぐらいです。
体のあちこちが痒くなる方も、徐々に、ほんとうに徐々にでありますが、少なくなっています。先日シンガポールから帰ってきてから、ぐんと減ったように思います。シンガポールにいた5日間ほどはまったくどこも痒くなく、帰ってきてすこししてから、うん久しぶりにここが痒いぞ、と出てきました。が、その出方が少ない。頻度も痒みも小さくなっています。シンガポールで3日間に2度食べたカレーのおかげか。ああ、あのカレーを食べられれば、これくらいの風邪は一発で治ってしまうのに。
と書いて思いついてカレーの材料を買ってきて夕飯はカレーだ。
とまれ、痒みが少なくなってくれているのはまことにありがたいことであります。
これを総じてみれば順調ということになりましょう。風邪からの回復が遅くなったり、時には回復したとみえたのが錯覚だったり、あるいは手術前とは動作のスピードが格段に落ちていたり、ということはあっても、全体としてみれば、まずまず健康で、これといった支障もなしに日常生活が送れているわけですから。
今年の目標としてはできるかぎり歩こうと思っています。手術前、体調の悪いのはとにかく運動不足だ、と思いこんで、今から振り返るとかなり歩きまわっていました。毎日、天気さえ許せば最低でも1時間半から2時間歩いていました。ガンの進行度が手術前の予想よりも浅かったのは、ひとつにはそのおかげではないかとも思っています。
退院後、やはり何だかんだで歩くのが減っていました。昨年後半は意識して1日最低5,000歩を目標にしました。今年は年間250万歩が目標。
その他には1日でも生き延びて、1曲でも未知の曲を聴き、1人でも未知のミュージシャン、書き手、描き手の作品に触れ、1頁でも未知の本を読み、という暮らしを続けられますように。
当面はグレイトフル・デッド〜ジェリィ・ガルシア、キューバやスペインのジャズ、日本列島内をベースにする人たちを追いかけることになります。
活字方面では、高橋昌明、宮崎市定、田中純、加藤寛一郎、Stuart Goldman、Raymond Williams、Ray Monk のバートランド・ラッセルの伝記あたりからぼちぼちと。そういえば、昨日の ODNB のフリー配信の対象オーガスタス・ジョン描くところのオットリン・モレルの肖像画は凄いですね。この絵を見て、やはりモンクのラッセル伝が呼んでいるのが聞こえた気がします。
小説はあいかわらず読めず、昨年 The Lord of the Rings を久しぶりに読みかえして、これはやはり近代的意味での小説ではないなあ、との思いを新たにしました。その関係でいえば Earthsea Cycle を読み直すか、『はなはなみんみ』に再挑戦するか、いっそこれも途中で止まりながら読みたくないとは思っていない『死霊』を続けるか。どうも尋常の「小説」の枠からははみ出るようなものにしばらく浸らないとどもならんのではないか。といいながら、吉川英治の『私本太平記』をもう1度と思っていたりします。後醍醐の隠岐脱出から鎌倉幕府滅亡にいたるあたりの迫力は、その後ずいぶんいろいろな本を読んだ気もしますが、あれに匹敵するものはなかった。ああいう太い骨がどおんと通った話を書ける人は、今はもう出てこないでしょう。網野善彦の若い頃の仕事で、鎌倉時代の通史である『蒙古襲来』と読み比べてみるのも面白いんじゃないか。
吉川英治が読みたいと思う欲求の裏には、やたら長いものを読みたい、という欲求があります。日本語にはなかなかほんとうに長いものがない。『グイン・サーガ』があるではないか、という声もありそうですが、あれはね、どうも密度が違うのです。いや、『グイン・サーガ』の功績を認めるのにやぶさかではないのです。ただ、読んでいると、どうもやはりもの足らない。するすると話が指の間から漏れてゆくような感じがしてなりません。あるいはするすると呑みこめてしまって、腹にたまったと思ってもすぐに空いてしまう。もう少しこう歯応えがあって、満足感が持続し、とんでもなく面白い話を読んでいるのだという実感が欲しい。大西巨人の『神聖喜劇』や藤村の『夜明け前』の密度であれの少なくとも3倍くらいの長さのもの。
『グイン・サーガ』が目標のひとつにした『大菩薩峠』という選択肢もありますね。聞いたかぎりでは実はあれは「単なる」時代小説などではないすっ飛んだものでもあるようです。
ただ、英語を読む習慣を失いたくないことから言うと、いくつもある大長編ファンタジー・シリーズを次々に読破する快感はどうだろう、と思ってしまいます。実は昨年末、例の絶好調テレビ・ドラマの原作 A Song of Ice and Fire の一冊目 GAME OF THRONES を読みかけてました。ほんのさわりだけで、話がどうのこうのというのはまだまるでわかりませんが、とにかく文章のうまさ、流麗といいたいくらいの文章のみごとさにはあらためて舌を巻きました。これなら読んでいけるかな、この文章を読む悦びだけでもついていけるかもしれないと思った次第。
ジョージ・マーティン、と書くとかのビートルズ関係者と同じ名前だと今気がつきましたが、ジョージ・R・R・マーティンと名乗ったのはそのせいか。はるかウン十年前、事実上の第一長篇であるライザ・タトルとの共作 WINDHAVEN(『翼人の掟』として集英社から邦訳あり)をリアルタイムで読んで感心したことがあります。安田均さんが訳された中短編集『サンドキングス』は好評で版を重ねてましたが、あれはちょっと趣味に合わなかった。読まなくても本だけは買っていたら、The Armageddon Rag のあと、ぱたりと出なくなりました。どうしたのかな、と思っていましたが、最近あらためて見てみたら、あの本があまりに売れずに、作家としての生命を1度断たれたそうな。やっぱり早すぎたんでしょうかねえ。それとも「文学的」過ぎたのか。その後、テレビ・ドラマの方面にいって、そちらでは成功し、それが今の超新星的大成功につながってもいるようですが、おかげで売れなかった旧作も続々再刊されているようで、まずはめでたいかぎり。
こうおしゃべりしていたら、マーティンを全部読みたくなってきました。幸い本だけは全部揃っているはず。Wild Card のシリーズは、あれはまた別の話。まずは、本棚のどこかにあるはずの本を探しださねば。(ゆ)
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