武田百合子は1個の才能を備えていたではあろうが、一方で作家・武田百合子が生まれるには、泰淳という存在が必要であっただろう。泰淳と出会わず、たとえば画家や写真家と結婚していれば、視覚芸術の方面で一家を成したことだろう。
ラストに近く、泰淳最後の夏の章を読みながら、手術を受ける前のことを思いかえしていた。夜だんだん眠れなくなっていた。はじめはなかなか寝つかれないという程度だったものが、やがて一晩中輾転として朝を迎え、かろうじて午前中浅い眠りをとる、という状態になった。夜眠れない症状は、手術を受ける前年の秋頃から急速に悪化していったようだ。そして、2011年の2月のはじめ、腸閉塞の症状が出る。それからはモノを食べられなくなった。食べれば腹が痛むからだ。バナナなどを、少しずつ食べてはごろごろしていた。市販の腸の薬など飲んでみて、それで何とか排便はできたりしたが、痛みは去らない。
そういう風に弱ってゆくのを、泰淳はもっとゆっくり辿っていた、と想像する。すると、ここに現れる泰淳の感覚が手にとるようにわかる。気がする。感情や思考はわからない。しかし、かれが感じていただるさや眠い上に眠い感じ、めまいはわかる。気がする。
そして、そこから、ここに至る泰淳の姿があらためて立ち上がってくる。リスを観察する泰淳。草を刈る泰淳。『富士』を書く泰淳。文字通り、身を削って巨大な作品を書きつづける作家。そして、その傍にあって、作品を書かせる女。百合子がいなかったならば、作家・武田泰淳もまた、存在しなかった。『富士』が生まれることもなかった。たとえ、時には身を震わせて怒らせられることがあっても、その怒りも含めて、作家は女を必要としていた。
『森と湖のまつり』の不思議な吸引力。読んだことをすっぽりと忘れさせる『富士』。『滅亡について』に展開される、深く透徹した洞察とそれを適確に伝える表現力。『十三妹』のクールなユーモア。中国文学や仏教の知識と体験、戦争などの表向きの影響とは別の次元で、泰淳に圧倒的な影響をおよぼし、あるいはいっそ支配していたのは、百合子の存在であったのだろう。
富士の麓のこの空間とこの時代は、おそらく百合子の力がもっとも純粋に作用し、最も効果を発揮する時空であったのだ。それが『富士』を生む。泰淳をして『富士』を生ませる。身を削ってまで、生みおとさずにはいられなくする。
十数年越しにこの日記を読み終わった今こそ、『富士』を読まねばならない。(ゆ)
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