ウッド・フルート、各種ホイッスル、セリフロイト、さらに「秘密兵器」ノーサンブリアン・パイプまで操る hatao と、ピアノとハープの nami のデュオの 1st CD《SILVER LINE》リリース記念ツアーの最終日。満員御礼。30代を中心に結構幅広い客層で、あたしより上、60代と見える御夫婦も一組。あるいは関係者かもしれないが、結構ノリノリで体も動いて聞き入っておられた。楽器演奏をされる方も多かったようで、hatao さんが今日の特典として、CD収録曲の楽譜を配ってます、と披露したときには歓声があがった。
CDには3年間ためてきたレパートリィを入れた、とのことだが、飛び入りでバゥロンを添えたトシさんの証言によれば、デュオの発端はすでに6年前の由。時間をかけてじっくり熟成してきたその跡はCDにも明らかだが、ライヴを重ねてさらに良くなっているのだろう。むろんCDはライヴとは別物ではあるわけだが、そこで聞き慣れた曲も初めて聴くようにあらためて新鮮だ。うーん、ライヴ録音出してほしいなあ。
デュオという形式は難しいが、うまくゆくと他の形態ではまずできない自由度の高い、多彩な表現が可能になる。ある時は贅肉を削ぎおとした、すぐれた俳句のような演奏もできる。ある時は二人だけとは思えない、重厚重層な伽藍も構築できる。昨日のお二人はそのうまくいっている時を存分に味わわせてくれた。
もっともこのお二人の場合、どちらかというと音が重層的で、全体として豪奢な雰囲気になる。削るよりも足してゆく。多種多様な音色で奔放な即興を展開する笛と、土台を支えると見せながらはっとするような合の手をはさむピアノ。リズミカルな曲では、ビートを刻むというよりは清冽な水の流れるよう。このあたりは個人的な性格もあるのかもしれない。あるいは演奏のスタイルに由来するのか。または両方か。とまれ、スケールの大きい音楽に包みこまれる感覚だ。
楽器で驚いたのはセリフロイト、柳の笛で、なんと教則本まで出されたそうだが、これは鮮烈。この笛にもいろいろサイズがあるようで、以前セベスチェーン・マールタが来てやったのはもう少し長かったような気がする。アレ・メッレルもこれが得意で、来日したときにはハイライトのひとつだったけど、hatao さんはアレとならべて聴いてみたい。この笛2本というのも、向こうであるかどうか知らないが、面白いんじゃないか。
ほとんど唯一、簡潔にしてやわらかい演奏を聞かせてくれたのが、〈結婚行進曲〉。ノルウェイの伝承曲で、あちらにはひとつのジャンルとして式の中で新郎新婦がフィドラーに先導されて歩く際に演奏される曲がたくさんあるそうな。これもその一つで、自分たちの結婚式でこの曲を聴きたかったという反応が多い由。
とはいえ、昨日の演奏はむしろぐっと気持をおさえて、新たな門出を祝う喜びというよりは、我が子を送りだす親の哀しみに重心を置いていたように思う。不謹慎かもしれないが、あたしの葬式の折りにでも流してもらえるといいかな、これで送られると思うと気持ちもやすらぐなあ、という想いが聴きながら湧いてきた。そこからの連想か、ふだんはまず思い出すこともない父親の死んだときのことも湧いてきて、なぜかほっと息がゆるんだ。
前半でバグパイプももってきてます、と口をすべらせたので、後半、ノーサンブリアン・パイプも披露。曲はスコットランドのニール・ゴゥの〈Neil Gow's lament for the death of his second wife〉。このパイプはまだわが国ではやる人がごく少ないので、生で聞けるのは嬉しい。これは将来、本格的なノーサンブリアン・チューンの演奏も期待できる。イルン・パイプでも中原直生さんが出てきたが、このパイプはなぜか本国でも女性にすぐれた演奏者がめだつから、こちらでも女性パイパーを期待する、というのはジェンダーか。まあ、YouTube に Kathryn Tickell の演奏がいろいろあるので、検索されたし。このパイプはイルン・パイプより小型で、立って演奏できるのもポイント。hatao さんも立ってやられた。
6年半ぶりに会う、というトシさんが、アンコールで飛び入り。hatao さんのソロ《Enihsi 縁》収録のスロー・エア〈Coolin〉をイントロにしたリールのメドレーをやる。これはまた hatao さんのホイッスルが別人のように熱くなる。
今月初めの上野のケルティック・ノルディック・ミュージック・パーティにシャナヒーで来られたときには、もろに風邪を引いて行けなかったので、ついに上原奈未さんにお眼にかかれたのは嬉しかった。やはり生き延びたことはありがたい。嬉しくなって、近くのパブで旨いギネス片手におしゃべりに夢中になり、終電ぎりぎり。(ゆ)
CDには3年間ためてきたレパートリィを入れた、とのことだが、飛び入りでバゥロンを添えたトシさんの証言によれば、デュオの発端はすでに6年前の由。時間をかけてじっくり熟成してきたその跡はCDにも明らかだが、ライヴを重ねてさらに良くなっているのだろう。むろんCDはライヴとは別物ではあるわけだが、そこで聞き慣れた曲も初めて聴くようにあらためて新鮮だ。うーん、ライヴ録音出してほしいなあ。
デュオという形式は難しいが、うまくゆくと他の形態ではまずできない自由度の高い、多彩な表現が可能になる。ある時は贅肉を削ぎおとした、すぐれた俳句のような演奏もできる。ある時は二人だけとは思えない、重厚重層な伽藍も構築できる。昨日のお二人はそのうまくいっている時を存分に味わわせてくれた。
もっともこのお二人の場合、どちらかというと音が重層的で、全体として豪奢な雰囲気になる。削るよりも足してゆく。多種多様な音色で奔放な即興を展開する笛と、土台を支えると見せながらはっとするような合の手をはさむピアノ。リズミカルな曲では、ビートを刻むというよりは清冽な水の流れるよう。このあたりは個人的な性格もあるのかもしれない。あるいは演奏のスタイルに由来するのか。または両方か。とまれ、スケールの大きい音楽に包みこまれる感覚だ。
楽器で驚いたのはセリフロイト、柳の笛で、なんと教則本まで出されたそうだが、これは鮮烈。この笛にもいろいろサイズがあるようで、以前セベスチェーン・マールタが来てやったのはもう少し長かったような気がする。アレ・メッレルもこれが得意で、来日したときにはハイライトのひとつだったけど、hatao さんはアレとならべて聴いてみたい。この笛2本というのも、向こうであるかどうか知らないが、面白いんじゃないか。
ほとんど唯一、簡潔にしてやわらかい演奏を聞かせてくれたのが、〈結婚行進曲〉。ノルウェイの伝承曲で、あちらにはひとつのジャンルとして式の中で新郎新婦がフィドラーに先導されて歩く際に演奏される曲がたくさんあるそうな。これもその一つで、自分たちの結婚式でこの曲を聴きたかったという反応が多い由。
とはいえ、昨日の演奏はむしろぐっと気持をおさえて、新たな門出を祝う喜びというよりは、我が子を送りだす親の哀しみに重心を置いていたように思う。不謹慎かもしれないが、あたしの葬式の折りにでも流してもらえるといいかな、これで送られると思うと気持ちもやすらぐなあ、という想いが聴きながら湧いてきた。そこからの連想か、ふだんはまず思い出すこともない父親の死んだときのことも湧いてきて、なぜかほっと息がゆるんだ。
前半でバグパイプももってきてます、と口をすべらせたので、後半、ノーサンブリアン・パイプも披露。曲はスコットランドのニール・ゴゥの〈Neil Gow's lament for the death of his second wife〉。このパイプはまだわが国ではやる人がごく少ないので、生で聞けるのは嬉しい。これは将来、本格的なノーサンブリアン・チューンの演奏も期待できる。イルン・パイプでも中原直生さんが出てきたが、このパイプはなぜか本国でも女性にすぐれた演奏者がめだつから、こちらでも女性パイパーを期待する、というのはジェンダーか。まあ、YouTube に Kathryn Tickell の演奏がいろいろあるので、検索されたし。このパイプはイルン・パイプより小型で、立って演奏できるのもポイント。hatao さんも立ってやられた。
6年半ぶりに会う、というトシさんが、アンコールで飛び入り。hatao さんのソロ《Enihsi 縁》収録のスロー・エア〈Coolin〉をイントロにしたリールのメドレーをやる。これはまた hatao さんのホイッスルが別人のように熱くなる。
今月初めの上野のケルティック・ノルディック・ミュージック・パーティにシャナヒーで来られたときには、もろに風邪を引いて行けなかったので、ついに上原奈未さんにお眼にかかれたのは嬉しかった。やはり生き延びたことはありがたい。嬉しくなって、近くのパブで旨いギネス片手におしゃべりに夢中になり、終電ぎりぎり。(ゆ)
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