人間誰でも一生に一冊は本が書けるという。

 では、ぼくの場合、なぜこの本だったか。

 直接の理由は書くように薦められたからだが、その薦めに乗ったのは、アイリッシュ・ミュージックとは何か、いちいち説明するのが嫌になったからだ。こんな本を書いたからといって、そう説明することが必要になる頻度が減るはずはないが、それでもとりあえず、これを読んでくれ、ということはできよう。

 その割には、いろいろな前提をすっとばし、すでに知られているものとして書いていた。そうなったのは、もう一つの理由が、漠然と捉えていたものにより明瞭な形を与えたい、というものだったからでもある。つまり、第一の読者対象は自分だった。ぼくなりのアイリッシュ・ミュージックというものを描くことで、つかまえようとすればするりと抜けてしまう相手をつかまえようとした。

 その間の機微は、旧版『アイリッシュ・ミュージックの森』の「はじめに」にまとめた。今回は編集者との相談の上さしかえたが、あれはこの本のなりたちについて述べているので、ここに再録する。横組用に一部数字をアラビア数字にしたり、段落の間を1行空け、明らかな誤字脱字を正した他は、初版そのままである。内容や文章にいささかあやしいところもあるが、20年前に書いたものとて、変更はしていない。(ゆ)


--引用開始--
 アイルランドやブリテンの音楽、それも伝統音楽を好んで聴いている、というとたいてい「なぜそんなものが好きなのだ」と尋ねられる。あるところの音楽を好きになるのに、理由などいらんだろうと尋ねられるほうは思うが、尋ねたほうは当然という顔で訊いてくる。ロックが好きだ、とかジャズが好きだ、クラシックが趣味です、あるいはカントリーが最高、中華ポップスにはまってますといえば、なぜ、という質問は出ないのだろうか。なぜ、そんな質問をするのだ、とこちらこそ尋ねてみたい。音楽でも人でも、好きになるのに理由があるのだろうか。

 とはいえ、確かに冷静になってみると、なぜこんな音楽が好きなのだ、と自分でも不思議に思う。「なぜ、と考えることが、トラッド・ファンは好きな連中だ」と松平維秋氏もかつて書いていた。東京・渋谷は百軒店にあったロック喫茶「ブラックホーク」で「お皿回し」を勤め、「トラッド」をわが国音楽シーンの一角に根づかせた張本人である。たまたまそういう理屈好きの人間が集まっただけなのか、「トラッド」とこの国では総称されるアイルランドやブリテンの伝統音楽/フォーク・ミュージックには、人を理屈好きにさせる力があるのか、それは知らない。いずれにしても、なぜ好きなのかと考えてみて、一応の結論として出てきたのは、こちらから進んで好きになったわけではない、ということだ。

 この手の音楽にのめりこむきっかけは、トラフィック(1967年結成)という英国のロック・バンドの「ジョン・バーリコーン」を聞いたことだ。1970年に発表された同名のアルバムに収められたこの曲を、スティーヴィー・ウィンウッドはアコースティック・ギターとフルート、それにトライアングルの伴奏で歌っている。アルバム発表からかなりあと、70年代も半ばころだった。これはイングランドの古いバラッドだが、そのときはアイルランドもイングランドも区別などつかない。

 この歌がぼくにはじつに異様に聞こえた。美しいとも、かっこいいとも、「いい音楽だ」とも感じられなかった。それまで触れてきた音楽、歌謡曲とかテレビ・アニメの主題歌とかクラシックとかロックとは、明らかに違うものに響いた。そして、その異常さが気になった。こんな妙な音楽がある、しかもそれを有名なロック・ミュージシャンがやっていることが腑に落ちなかった。喉に刺さった小骨だ。だからその小骨をとろうと、繰り返しこの曲を聴いた。当然その曲だけ何度も聴いても、異様さは薄れるものではない。似たものを探しはじめた。手がかりはこの曲のクレジットに記された "Trad." という言葉。「トラッド」ってなんだと訊いて回っても、誰も知らない。音楽通のある友人がペンタングルという名前を教えてくれた。だが、そのころのぼくにはペンタングルはまだ早すぎた。この唯一無二の集団の真価を理解しはじめるには、十年の歳月と得がたい友人が必要だった。そうしたある日、そのころ最後の花を咲かせていたロック喫茶の一軒として、ぼくは「ブラックホーク」の扉を押す。

 そこは普通のロック喫茶ではなかった。少なくとも、すでに通いはじめていた新宿の「レインボー」や「ライトハウス」や、吉祥寺の「赤毛とそばかす」、同じく渋谷・百軒店の「BYG」とはまったく違っていた。あとから思えば、あの異様さは、「ジョン・バーリコーン」の異様さと相通じるものだったのかもしれない。そこには「スモール・タウン・トーク」という、店の発行しているミニコミ誌があり、ほぼ毎週「ブラックホーク・ニュース」というガリ版刷りのフリー・ペーパーが出ていた。そのなかで、松平維秋なる人物が、聞いたこともないミュージシャンやグループの、聞いたこともないレコードを紹介していた。それを読んでも、どんな音楽なのか、さっぱりわからない。その前に、書いてあることがわからない。たとえば、スティーライ・スパンのセカンドとサードについて、「ご存じのように、マーティン・カーシィとアシュレィ・ハッチングスがいっしょにいたのはこのときだけです」などとある。このカーシィという男もハッチングスという人物もひどく大物らしいが、いったい何者なのだろう。前提が違いすぎた。ただ、頻繁に「トラッド」の文字が現れる。店でかかる音楽も違っていた。まず静かだった。隣の人間としゃべるのに、相手の耳に口をつけて怒鳴らなくても聞こえる。音楽自体も静かだ。総じて、いちばん大きく聞こえるのはヴォーカルだ。電気楽器を使わないものも多い。これが「ロック」なのか。これでも「ロック喫茶」なのか。その異様さはやはり気になった。そこでまたこの店に戻ってゆくことになる。

 そうしてまたある日。店の片隅で本を読んでいたぼくの耳に、いきなり響いた。あの「異様な」音である。いや「ジョン・バーリコーン」ではない。曲は違う。けれど、この音運びの異様さ、ペンタングルにはない「土」の匂いのする肌触り。これは同類だ。「ブラックホーク」は出入り口の扉のすぐ脇がガラス張りのレコード室になっていた。ガラスの隅に、今かけているレコードのジャケットが飾られている。リチャード&リンダ・トンプソン『ポア・ダウン・ライク・シルヴァー』(1975年)。「トラッド」ではない。オリジナルらしい。だが、これは間違いなくどこかでつながっているはずだ。二つの異様さが重なった。

 その先にどういう世界があるのか、予感などというものはまるでなかった。なにか考えていたとしても、漠然とロックの変形、位置的にはプログレのようなサブジャンルなのだろうという程度。動機としてはただただ、喉の小骨を、あの異様な響きを異様なものでなくしたい欲求があるだけだ。結局「ブラックホーク」の異様な空間で、異様な響きは異様ではなくなっていった。そこには「異様な響き」がふんだんにあったからだ。リチャード&リンダ・トンプソンからニック・ジョーンズ、デイヴ・スウォブリック、フェアポート・コンヴェンション、アルビオン・カントリー・バンド、さしてジューン・テイバー、という順番は今でも覚えている。三日にあげず通いはじめれば、いくらでも異様な響きに浸ることができた。アイルランドの音楽も異様さの点では同じだったから、そのころはアイルランドもイングランドもスコットランドもみんなまとめて一つのジャンル、またはサブジャンルとして捉えていた。だいたい、アイルランドという国自体、「イギリス」の一部という認識から一歩も出ていなかった。

 アイルランドのもので初めて聴いたのは、クリスティ・ムーアのサード、ザ・ブラックスミス、トゥリーナ・ニ・ゴゥナルのソロ。玉石混淆。アイルランド盤がどっと入ってきて紹介されていた時期でもある。イングランドやスコットランドのものに比べると、ずいぶんと「明るい」ね、などと数少ない同好の友人と言いあいながら、すでに刷り込まれていたブリテンとの違いを漠然と感じ取ってはいた。その違いがなんなのか、どこからきているのかよくわからず、「アイルランドは結局『二流のイギリス』だ」などという表現にうなずいていたりした。今から思えば、そうした表現はアイルランドの音楽が、既存のロックやポピュラー音楽の枠では捉えられないことへの苛立ちを表していたのだろう。しかし苛立ちながらも、アイルランド音楽を漁ることはやめなかった。「異様さ」はすでになくてはならぬものになってしまっていたからだ。そこから先はもう止めるものはなにもない。自分が足を踏み入れたのは、事実上無限に広がる沃野であると気づくのは、ずいぶんあとのことだ。

 だから、はじめから「好き」だったわけではない。たまたま聞いて気に入ったのではなかった。自分にとって異質なもの、異様なものを追いかけていたら、そしてその異質さ、異様さを消化しようとしていたら、いつの間にかそれなしではすまなくなってしまった。これを要するにミイラとりがミイラになったわけだ。なにかわからないが、得体の知れないものに取り込まれてしまったのだ。つまりは、ぼくはアイルランド音楽に、あるいはここでの主題ではないがブリテンの音楽に、選ばれてしまった。選ばれるというのが傲慢であるというならば、呼ばれたといおうか。そこにはこちら側の意志の入る余地はない。その点では、相手が音楽で、ヘロインなどではなかったことに感謝している。少なくともこの音楽は体も心も健康にしてくれる。ヘルシィなドラッグだ。

 この本はいうなれば、そのドラッグへのラヴレターである。選んでくれた、ないし呼んでくれたことへの報復ないし返礼である。それが第二次大戦後、こんにちまでのアイルランド音楽の歩みを跡づけるかたちをとったのは、歴史が好きだからだ。音楽そのものも好きだが、音楽の背後にあるものを探るのも同じくらい好きだからだ。当然、これはきわめてパーソナルな物語である。ぼくの眼に映った、ぼくの耳に聞こえた、ぼくの手の届く範囲で調べ回った物語である。それ以下のものではあるかもしれないが、それ以上のものではない。もしこの本を読まれて、アイルランド音楽が嫌いになったとしても、それはぼくの関知するところではない。縁がなかったのだと諦めていただこう。もしこの本を読まれて、いささかでもアイルランド音楽への興味が増したならば、それもまたぼくの関知するところではない。ぼくはただ、アイルランド音楽について、今の時点で書いておきたいと思ったことを記しただけであり、そのあとのことはアイルランド音楽自体の作用だ。

 ブリテンの音楽について触れていないのは、ひとつには単純にスペースと時間がなかったからであり、もうひとつにはすでにそちらを扱ったはるかに立派な本が存在するからだ。茂木健氏の『バラッドの世界——ブリティッシュ・トラッドの系譜』(春秋社、1996年)である。併読をお薦めしておく。

 アイルランドの音楽をブリテンの音楽とは別個の、深く結びついてはいるが独立した世界として認識しはじめたのは、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの『ブロークン・ハーティド・アイル・ワンダー』(1979年)あたりからのように思う。1970年代も終わろうとするころだ。メアリ・ブラックのソロ・ファースト『メアリ・ブラック』(1983年)、チーフテンズの『ライヴ!』(1977年)などがその後押しをした。最後のひと押しは、のちにアルタンとなるマレード・ニ・ウィニー&フランキィ・ケネディの最初のアルバム『北の調べ』(1983年)だったろう。かくも若い連中が、なんの飾りも道具立てもない素っ裸の伝統音楽を、かくもみずみずしく演奏している。アイルランド、恐るべし。

 アイルランドの音楽をアイルランドの音楽として意識して聴きはじめて教えられたことの一つは、音楽は特別なものではなく、おしゃべりや手紙のやりとり同様、人と人とのコミュニケーションの基本要素である、ということだ。はじめからエンタテンイメントの一環として他人に聴かせるためのものではない。とはいえ、このことを明確に認識したのはずっとあとのことになる。今年(1997年)アルタンが初来日したおり、公式のライヴが終わっての打ち上げが会場近くのビール・バーで行われた。そこでバンドのメンバーは、座ったと思う間もなく楽器をとりだしたものだ。それから延々朝方の二時過ぎまで、ほとんどとぎれずに彼らは音楽をやりつづけた。店が閉まらなければ、そのまま夜の明けるまでやっていたことだろう。周囲の関係者に聴かせようなどという姿勢はまるでなかった。それはちょうど友人同士でおしゃべりをしているのと同じだ。たがいが仲間であることの確認をしている。音楽の基本的性格は、娯楽のためのもの前に、コミュニケーション手段である。この点では、ジャズをはじめ、世界中の伝統音楽・大衆音楽はみな変わらないはずだ。音楽はやっている人間がいちばん楽しんでいる、という表現は、この事実をいささか嫉妬をこめて指摘したものだ。

 そのうち、娯楽の性格だけが肥大化してきたのは、音楽の「商品化」「メディア化」による。そのプロセスが始まるのはおそらく18世紀にヨーロッパで「クラシック」が新興市民階級の「娯楽」になってゆくころからだろう。それが19世紀の「ポピュラー音楽」の成立につながり、レコードの発明とともに産業として確立し、こんにちにいたる。今では音楽は「娯楽」のために「生産」され、「娯楽」として享受される以外の存在形態はないかのようだ。それがもう一度基本性格をとりもどす契機になっているのが文化的「周縁」地域から出て注目を集めている音楽である。そしてその代表格がアイルランド音楽、ということになる。

 あなたやる人、わたし聴く人、という垣根をアイルランド音楽は取り払ってくれる。少なくともぐんと低くしてくれる。たとえさまざまな理由から楽器を操ることができない、しない人間、すなわちぼくのような人間にとっても、同様の効果がある。アイルランドの音楽を聴いていると、たんに聴いているとい気がしない。外からやってくる音楽を受けとめているのではなく、すでに音楽はみずからのうちにあって、外からの音によってそれが刺激され、みずからの音を奏ではじめるのだ。録音でも生でも、目の前で演奏されているものは、自分のなかから引き出されたものがかたちをとっているように思えてくる。アイルランド音楽を聴くとき感じると、誰もが口を揃える「なつかしさ」の正体はそういうことだろう。

 そのなつかしく恐るべきアイルランド音楽はどのようにして現れてきたのだろうか。それをこれから確認してみよう。



 言葉遣いについて、この本のなかでは地域や音楽を表すうえで多少特殊な使い方をしているので、お断りしておく。

 「アイルランド」は島全体を指し、「共和国」はもちろん南部二十六州を指している。また英領ノーザン・アイルランドは「ノーザン・アイルランド」としてある。「アルスター」はあくまでも島全体を四つに分ける地方名称。「英国」は国家としての連合王国の謂。「ブリテン」は島としてのグレート・ブリテン島、つまりイングランドだけでなく、スコットランド、ウェールズも含む。「ケルト」は、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブレトンなど、いわゆる「ケルト文化」の息づいている地域。

 「伝統音楽」は、詠人不知として伝えられてきた音楽だけでなく、そこから直接派生したオリジナル曲も含む。必ずしもアイルランド国内で演奏されているものには限らない。「アイルランド音楽」という場合には、伝統音楽だけでなく、メアリ・ブラックに代表される、片足を伝統音楽においているようなスタイルからU2、ヴァン・モリソンなど、スタイルよりも担い手の出身地や主な活動場所に重点をおいた捉え方だ。

 つまりは、厳密な定義をしているわけではなく、視点の置き場所による捉え方、イメージの違いと思っていただきたい。

 また、各章末に、「補足」を加えてある。これは本文中の重要語句の注記であると同時に、本文のなかでは直接触れられなかった要素について、記したものだ。文化現象の変遷は1本のリニアな記述で語りつくせるものではないので、その不足をカヴァーするためのささやかな試みである。語句は五十音順にならべ、本文中に出ているものについては、本文中の語句と「補足」の語句の双方に*印をつけた。
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