札幌で Greyish Glow というユニットを永年続けておられる かんのみすず さんが東京に来られるのをきっかけに、格好の空間を得て実現した一夜は、ブリテン、アイルランドの伝統歌にたっぷりとひたれる、なんとも贅沢なものだった。

 かんのさんがブリテン、アイルランドの伝統歌をうたっておられることは聞いていたが、実際のうたに接するのは初めてで、まず声がいい。一般にこのあたりの伝統歌のシンガー、それも女性のシンガーには比較的声域の低い、クラシックで言えばアルトかそれより低い声の持主が多い(面白いことに男性のうたい手にはテナーが多い)。もともとソプラノとかは訓練しなければ出ないのだろうが、伝統歌のうたい手たちの声は力をこめなくても自然にあふれ出てくるようで、こんこんと大地から湧き出して中域から低いほうに豊かにふくらみ、滔々と流れる。かんのさんの声はこうした声のひとつで、しかも輪郭が明瞭で芯が通っている。伝統歌をうたっているからこうなったというわけではないだろうが、ふさわしい声ではある。こういう声なら何をうたわれてもいいとも思えるが、その声で英国やアイルランドのトラディショナルをうたわれると、あたしなどはもう何も言えずに降参してしまう。無伴奏でうたわれた〈The cruel mother〉のジャッキィ・マクシー版がハイライト。

 ポスターに書かれていた他の人たちはサポートと思っていたらとんでもなかった。後半、かんのさんのサポートにも回ったが、むしろそれぞれにうたを披露してくださったのには喜んだ。

 まずは木村林太郎さん。すぐれたハーパーであることはむろん知っているし、以前一度ライヴも見ている。が、こんなにうたにこだわっていたとは知らなんだ。しかもアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語でうたわれる。眼をつむって聴いていると、いにしえのアイルランドの吟遊詩人を前にしているように思われもする。秋田のご母堂の故郷に霊感を得てつくった曲もよかった。ふだんはクラシック系ヴァイオリニストとのデュオで活動されているそうで、これはもっと追いかけよう。

 ジム・エディガーさんのライヴを初めて見る、というとモグリのようだが、そういうめぐり合わせになってしまった。この人もどちらかというとプレーヤーとしての認識だったが、うたも味わいぶかい。鍵盤アコーディオンがまるでコンサティーナのようで、アリステア・アンダースンを思い出した。奥様も達者なうたい手で、お二人のハーモニーはもっと聴きたい。

 コンサティーナの染村和代さんも1曲だけだがうれしいうたを聴かせてくれた。この〈キャリックファーガス〉はじめ、いわゆる耳タコの曲も、こうして生でうたわれると、やはり沁みる。うたはやはりうたわれてナンボだとあらためて思う。うたそのものも然ることながら、決定的なのはうたい手なのだ。

 染村さんの息子さんがフィドルで参加されたのも、あたしにはうれしい驚きだった。中学生がこういう音楽に参加してくれるのは、母親の圧力(?)があるとはいえ、頼もしい。ヴァイオリンの初めはクラシックだそうだが、ビブラートをかけない奏法も板についていて、これからが楽しみだ。わが国からもフィル・ビアやスウォブリックに肩をならべるフィドラーが生まれるか。

 会場は、「トラッド」好きの店主が昨年6月にオープンした店で、サイトのスケジュールを見ると、実に様々なライヴをかけている。音楽だけでなく、映画、落語や演劇まである。下駄履きでふらりと行けるこういう場が近くにあればなあ、とうらやましくなる。高円寺といえば、この店のある通りの少し先には「抱瓶」がある。もうずいぶん昔になるが、ここでチャンプルーズを見たことを思い出した。あの時は最後はベロベロで総立ちで踊った。トシバウロンもここのどこかでライヴやセッションをやっているようなことを言っていなかったっけ。

 Grain に話をもどせば、「Grain トラッド研究会」なんてのもあって、うーむ、ふらりと行ってみるか。そういえば、昨夜は、惜しくも閉店してしまった八重洲の料理屋のマスターも来ていて、Grain の店主ともかんのさんとも知合いで、昨夜のライヴの影のフィクサーだったそうだが、かれに北欧音楽について話を聞く、なんてのもどうだろう。あたしは聞きたい。

 このところ、ライヴといえば別方面、録音といえばデッドばかりだったが、久しぶりに、ブリテン、アイルランドの伝統音楽、それもうたにたっぷりとひたらせてもらって、うーん、やっぱりこういうのはいいですなあ。

 木村さんからは4月4日5日のライヴも教えてもらって、これは行くべえ。(ゆ)


P.S.
 かんのさんのMCでジョン・レンボーンが亡くなったことを知る。ぼくはむしろバートのファンだったから、それほどの思い入れはないが、《THE HERMIT》と《BLACK BALOON》は忘れがたい。冥福を祈る。合掌。