ほとんど2年ぶりに見る内藤さんは大きく成長していた。いや、そんな言い方はもうふさわしくない。一個のみごとな音楽家としてそこにいた。城田さんと対等、というのももはやふさわしくないだろう。かつては城田さんがリードしたり、引っ張ったりしていたところがまだあったが、そんなところも皆無だ。城田さんも、まるでパディ・キーナンやコーマック・ベグリーを相手にしているように、淡々とギターを合わせる。

 今日は〈サリー・ガーデン〉や〈庭の千草〉のような「エンタメ」はやりません、コアに行きます、と城田さんが言う。コアといってもアイリッシュだけではない。いきなりオールドタイムが来た。城田さんがもっと他の音楽、ブルーグラスもやろう、と言うのに内藤さんがむしろオールドタイムをやりたい、アイリッシュ、オールドタイム、ブルーグラスはみんな違うけれど、オールドタイムはどこかアイリッシュに近い、と言うのにうなずく。ブルーグラスは商業音楽のジャンルだが、アイリッシュとオールドタイムは伝統音楽のタイプなのだ。

 それにホーンパイプ。アイリッシュでもホーンパイプはあまり聴けないが、ぼくなどはジグよりもリールよりも、あるいはハイランズやポルカよりも、ホーンパイプが一番アイリッシュらしいと思う。〈The Stage〉はものすごく弾きにくい曲なんです、と内藤さんが言う。作曲者は19世紀のフィドラーだが、ひょっとするとショウケース用かな。

 その後も生粋のアイリッシュというのはむしろ少なく、アメリカのフィドラーのオリジナルやスコティッシュや、ブロウザベラの曲まで登場する。ブロウザベラは嬉しい。イングリッシュの曲だって、ケルト系に負けず劣らず、良い曲、面白い曲はたくさんある。速い曲も少なく、ミドルからスローなテンポが多いのもほっとする。

 コンサティーナもハープももはや自家薬籠中。コンサティーナの音は大きい、とお父上にも言われたそうだが、アコーディオンよりは小さいんじゃないか、とも思う。音色がどこか優しいからだろうか。ニール・ヴァレリィあたりになると音色の優しさも背後に後退するが、内藤さんが弾くとタッチの優しさがそのまま響きに出るようだ。

 今回の新機軸は城田さん手製のパンプレット。このバードランド・カフェのライヴ専用に造られたもの。主に演奏する曲の解説だが、曲にまつわる様々な情報を伝えることは、伝統音楽のキモでもある。伝統音楽というのは、音楽だけではなくて、こうした周囲の雑多な情報や慣習や雰囲気も含めた在り方だ。

 ここは本当に音が良い。まったくの生音なのに、城田さんのヴォーカルも楽器の音に埋もれない。それだけ小さく響かせているのかもしれないし、距離の近さもあるだろうが、こういう音楽はやはりこういうところで聴きたい。

 今回はイエメンとニカラグアをいただく。あいかわらず旨い。美味さには温度もあるらしい。熱すぎないのだ。あんまり熱くするのは、まずさを隠すためかもしれない。家では熱いコーヒーばかり飲んでいるが。

 終わってから、先日音だけはできたという、フランキィ・ギャヴィンとパディ・キーナンとの録音で、内藤さんの苦労話を聞く。今年の秋には二人を日本に招く予定で、それには間に合わせたい、とのこと。しかしこの二人の共演録音はまだ無いはずだし、ギターが城田さんで、内藤さんも数曲加わってダブル・フィドルもある、となると、こりゃ「ベストセラー」間違いなし。それにしても、内藤さんの話をうかがうと、アイリッシュの連中のCDがなかなか出ないのも無理はない、と思えてくる。

 城田さんは晴男だそうだが、近頃多少弱くなったとはいえあたしが雨男で、店の常連でこのデュオの昔からのファンにもう一人、やはり強烈な雨男がおられる、ということで、昨日は途中から雨になった。お店の近くの二ヶ領用水沿いの枝下桜は雨の中でも風情があって、帰りはずっと用水にそって歩いてみた。満開の樹とまったく花が咲いていない樹が隣りあわせ、というのも面白い。(ゆ)